第7話信長、唆す

「浪士組に目付めつけもうける? それは如何様いかようなものか?」


 八木邸の水戸派の部屋。

 魚のヒラメを連想させる平べったい顔の男、壬生浪士組の局長である新見錦にいみにしきは土方の提案を不可解に思った。


 内部の監察ならば副長の山南や土方が行なえばいい。そしてその行為自体はこっそりとやるべきだ。わざわざ水戸派の自分に知らせるのは、全く意味をなさない。ただでさえ、派閥争いをしているのに……


「目付と言ってもただの相談役です。何も権限を持ちません」

「ならば無用な役職ではないか。君たちは何を考え……いや、企んでいる?」


 土方の説明を聞いて、ますます訳が分からなくなる新見。

 自分たち水戸派を追い込むつもりならば、もっと有効な策があるはずだ。

 たとえば目付に大きな権限を与え、派閥を超えた懲罰ちょうばつを下すなど、方法はいくらでもある。


「念のために言っておきますが、これは試衛館派に対する目付です。水戸派の方々には何の差し支えはありません」

「お前たちだけの目付だと?」

「我々は年若く軽輩けいはいなものばかり。経験ある年長者の意見も聞きたくなるときがあります」


 つまり相談役というよりご意見番と言い換えたほうが適当だ。

 しかしそれでは格好がつかないため、目付と表現しているのだろう。

 新見はそう判断した上で、何故目付を設けるのか考えた。

 試衛館派を増やす口実なのか……?


「新見局長が賛同してくだされば、芹沢せりざわ局長も頷かざるを得ないでしょう。平山ひらやま平間ひらまたちも反対などしません」

「……そうだろうな。だがその男が何者なのか。判然としない限り許可など出せん」


 新見の言うことはもっともである。

 もし許せば壬生浪士組の人事が乱れてしまう。

 土方は「ええ。今、隣の部屋にいます」と応じた。


「新見局長がそうおっしゃると思い、待機させております」

「そうか。手回しがいいな」


 土方が立ち上がり、襖を開けると――信長が胡坐をかいていた。

 新見を見るなり「おぬしが新見か」とにやけ出す。


「小賢しそうな顔つきをしている。ふひひひ」

「な、なんだその男は? 随分と偉そうだな……」


 偉そうと控えめに表現したが、本当は無礼者と罵りたかった新見。

 信長は立ち上がり、畳を踏み鳴らしながら――新見の眼前に近づく。


「なあおぬし――芹沢と手を切らんか?」

「……唐突になんだ?」

「まあ聞け。儂の計画をな」


 信長は実に悪そうな笑みのまま「おぬしにとって、良い話ぞ」と告げた。


「まずは人を増やす。大勢集めるのだ。だいたい千人ほどに」

「……そんな大所帯になれば、養うことなどできない」

「話を最後まで聞け。多く集まった後に、芹沢たちを斬り――」


 信長は芹沢の右腕であり、水戸派の序列二位の男に、あっさりと裏切れと言った。

 大した度胸だと土方は口元を歪ませた。

 それに飲み込まれている新見――


「壬生浪士組を二つに割って、おぬしだけの組織を作るのだ」

「ふ、二つに割る?」

「ああ。割合がどうなるか分からんがな。もしかすると壬生浪士組の遊軍ゆうぐんと位置付けられるかもしれん。だが――おぬしが好きにしていい集団だ」


 心を撫で切るような甘い言葉。

 信長は事前に新見がどのような男か土方と山南に聞いていた。

 乱暴狼藉を働く芹沢を疎ましく思う反面、軽々に手出しできぬ間柄だと。

 加えて権勢欲けんせいよくの強い人物であるとも教えられた。


「京の都で五百ほどの勢力は凄まじいぞ。混沌の世であるが故に、必要とされるだろう」

「…………」

「どうする? 新見錦。名の通り錦を飾るか?」


 信長は人の心の弱い部分を支配する。

 そして人間誰しも弱い部分を持っている。

 だからこそ、信長の核心を突いた言葉は……新見の心を掴んで離さない。


「なにを、すればいい?」


 かかった! と信長は内心で快哉を叫んだ。

 笑顔を絶やさないまま「簡単なことだ……」と土方に目をやる。

 土方は黙って懐から書状を取り出した。


「これは……法度はっとか?」


 紙に書かれていたのは、壬生浪士組における法であった。


一、士道ニ背キ間敷事

一、局ヲ脱スルヲ不許

一、勝手ニ金策致不可

一、勝手ニ訴訟取扱不可

一、私ノ闘争ヲ不許

右条々相背候者切腹申付ベク候也


 士道に背くようなことはしないこと。

 組を脱走することを許さないこと。

 勝手に金策をしないこと。

 勝手に訴訟を取り扱わないこと。

 私闘を禁止すること。

 これらに背いたら切腹を申しつける。


「やけに苛烈だな……特にこの『士道に背かないこと』は曖昧過ぎないか?」

「だから良いのよ。確実に葬れるからな」


 信長は「次回の会議のとき、儂の目付就任と法度のことが近藤から提案される」と言う。


「目付のことはともかく、法度のことは強く推してもらいたい」

「きみはそれでいいのか?」

「ああ。むしろ提案が通らなければ、もう片方が通りやすくなる。目付の代わりに法度という形でな。それにおぬしが推せば芹沢も頷くだろう。ま、一番良いのは二つとも通ることだ」


 信長は新見の左肩を掴んだ。


「頼んだぞ……新見局長」



◆◇◆◇



「あ、ノブさん。どこにいたんですか?」


 土方たちと別れた後、信長は八木邸の廊下を歩いていた。

 そこに庭先で稽古をしていた沖田が声をかけたのだ。

 上着をはだけていて、白いが筋肉質な身体を惜しみなく晒している。


「沖田か。何用ぞ?」

「別に、用はありませんよ。それよりどうですか? ノブさんも」


 一緒に汗を流そうと竹刀を信長に差し出す沖田。

 信長はしばし黙った後「軽く汗を流すのも悪くあるまい」と受け取った。

 草履を履いて庭に出た信長は沖田と同じように上着をはだけた。


「――ふんっ!」


 びゅんと竹刀が風を切る音。

 信長の一振りに沖田は口笛を吹いた。


「凄いですね。まだまだ現役じゃないですか」

「年寄り扱いされては困るな」


 二人して竹刀を振り続ける。

 信長は自分の息子たちが武芸の稽古に励んでいるときを思い出した。

 沖田も「他の人たち、付き合ってくれないんですよ」と振りながら言う。


「休めるときに休みたいって。そんなんじゃ駄目ですよ。いつ実戦になるか分からないんですから」

「熱心だな。しかし、沖田よ」


 竹刀を振るうのをやめて、信長は真剣な表情になる。

 こんな顔見たことないなと沖田も手を止めた。


「おぬしに問いたいことがある」

「なんでしょうか?」


 五月の薫風くんぷうが庭の中を流れた。

 庭木が微かに揺れる。

 葉も池に落ちていく。


「おぬしは――人を斬ったことがないだろう」


 信長は沖田の顔を真っすぐ見た。

 美少年は魔王の目から逸らした。


「……あははは。分かってしまいましたか」


 圧力で白状したわけではない。

 隠しきれなくて明かしたのでもない。

 ようやく言えたという気の楽さを感じ取れた。


「あの場面で峰打ちする意味がないからな」

「見ていたんですね。まあそうです」


 沖田は「近藤先生や土方さんは斬らなくていいって言うんですよね」と口を尖らせた。


「いつもあの人たちは、私を子供扱いする」

「実際、子供ではないか」

「ノブさんから見れば、近藤先生も子供じゃないですか」

「であるか。ま、人を斬ったところで一人前になるわけではない」


 信長は竹刀を沖田に預けて「人を斬って、ようやく半人前だ」と告げた。

 そして縁側に座ろうと誘う。

 沖田は黙って従った。


「じゃあどうすれば一人前になるんですか?」


 座るとすぐに沖田は訊ねる。

 信長は「斬ることの意味を知ることだ」と答えた。


「儂は多くの命を奪った。直接的にしろ、間接的にしろ。だがそれには理由があった」

「理由、ですか?」

「ああ。天下布武のため。もしくは日の本から戦乱を失くすため。様々な理由だ。しかし沖田よ。それらで人を斬ることは……虚しいことなのだ」


 沖田は信長の言っていることが分からなかった。

 だけど、自分に何かを伝えたい気持ちが痛いほど分かった。

 その気持ちだけで十分嬉しかった。

 何故なら、天才剣士である沖田に教えを授ける者などあまりいなかったからだ。


「ノブさん。私が最初に人を斬るとき、その言葉を思い出しますよ」

「で、あるか……」


 信長は沖田の中に覚悟を見出した。

 それは美しく燃える、紅蓮ぐれんの炎のようだと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る