第3話信長、長篠の戦いを語る

 信長は近藤に会わせろと副長二人に要求したが叶わなかった。

 既に夜分遅くなっているし、まだ近藤にも報告していなかったからだ。

 山南の提案で今日のところは休んで、明日の午後に場を設けることとなった。


「総司。こいつの世話をしてやれ」

「いいですよ。まずは……風呂に入りましょう。寝巻ねまき姿で外歩いたんで土埃つちほこりが酷いです」

「そうだな。本能寺でもキンカン頭の兵どもと戦った後だ。汗もかいている」


 信長の言葉に土方は嘘つけとばかり鼻を鳴らす。

 そして沖田に連れられて信長が出ていくと「山南さん。本当に近藤さんに会わせるのか?」と真っ先に問う。


「ああ。もちろん、会わせるつもりだよ」

「あんたも正気じゃなくなったのか? どうせ狂言きょうげんに決まっているだろ」

「だとしても、得難い人材だよ」


 山南は腕組みをしながら土方に説明する。


「壬生浪士組の問題点を把握する速度。何一つ分からない状況で推測する対応力。そして人の心を見透かす洞察力……私や君にはない能力だ」

「昔から思っていたけどよ。あんたは他人を高く評価し過ぎる。総司がいい例だぜ」

「妥当な判断を下しているつもりだけどね。もちろん、土方くんのことも信頼している」

「人を面と向かって褒めるなんて、気色の悪いことをすんのは、何か後ろめたい提案がある証だ」


 土方の鋭い指摘に山南は「察しのいいところは君の美徳だよ」とたおやかに微笑んだ。


「私はね、あの人が壬生浪士組に必要だと考える」

「あのなあ……自称信長なんて――」

「土方くん。私はあの人が織田信長だとは思っていないよ」


 とは言うものの、心の奥底では否定しきれない気持ちがある山南。

 だがしかし、三百年前の亡くなった偉人がこの世に生き返るなどありえないと断じていた。


「究極的には、あの人が何者だろうと良いんだ」

「……壬生浪士組の役に立てばいいって考えか?」

「それと同じく、近藤さんの為にもなりそうだ」


 山南は腕組みを解いて土方に言い聞かせる。


「近藤さんはお優しすぎる。果断な判断はできるが苛烈な決断は難しい」

「そりゃ分かっている。だから俺たちがいるんじゃねえか」

「それにも限度がある。その上で、あの人の言葉が必要だ」


 山南は笑顔を消して真剣な表情で告げた。


「短い会話で分かったよ。あの人は苛烈な決断を何度もしてきた。その中には人を処分する事柄も含まれていたのだろう」

「…………」

「その強さを近藤さんにも学ばせたい……この言い方は傲慢ごうまんかな?」


 土方は「近藤さんは意外と勉強好きだからな」と頭を搔いた。


「そういう目的なら手を貸すぜ。そうじゃねえと複雑怪奇な京の都で生き残れねえ」

「ありがとう、土方くん」



◆◇◆◇



「はあ? 織田信長? あんたが?」

「沖田。お前も本気で言っているのか?」

「いくら何でも……冗談ですよね?」


 風呂上りの信長を一先ず隊士がいる大部屋に連れてきた沖田。

 そこで彼は主だった副長助勤に信長の正体を明かした。


「あははは! 本気で言っているなら面白れえおっさんだな!」


 短髪で髷を結っていない、武士らしくない粗暴な恰好をしているのは、原田左之助はらださのすけだった。信長の姿をまじまじと眺めて幽霊ではないことを何度も確認している。外見は荒くれ者だがどこか女を引き寄せる格好良さを持っていた。


「信じられん……ふざけているのか?」


 半信半疑な男は永倉新八ながくらしんぱちという。がっしりとした体格で着物の上からも筋肉粒々であることは分かる。色は濃く海辺の漁師か海賊のような雰囲気があった。信長が生身の人間だと知ると、彼もまた狂言だと疑った。


「沖田さん、俺たちをからかっているんですよね?」


 全く信じていないのは藤堂平助とうどうへいすけだった。沖田と同世代の若者だが、沖田より大人に見える。面長な顔が特徴的でまげっていた。原田や永倉が近くで見つめているのと異なり、遠くから様子を窺っている。


「私も初め信じられませんでしたけど、話を聞くと織田信長らしいんですよ」


 沖田の言葉の真偽を図りかねている三人を余所に「地味な装いだな」と信長は文句を言った。彼が着ているのは灰色の上下の着物だった。


「贅沢言わないでくださいよ。八木さんに借りたんですから」

「明日、着物を仕立てに行くぞ。沖田、付き合え」

「いいですけど、お金持っているんですか?」

「何を言うか。おぬしが出すのだ」


 当然のように言ってのける信長に沖田たちは開いた口が塞がらない。


「銭など持っておらん」

「……この堂々不敵さ。本当に信長っぽく思えるぜ」

「左之助。それは思えるだけだ」


 永倉の言葉を聞き流しながら、原田が「そういや、斉藤さいとうは?」と皆に訊ねる。

 藤堂が「今日は留守にしていますよ」と答えた。


「飲みに行きました」

「一人で? なんだよあいつ。俺も誘えよ」


 唇を尖らせる原田。

 今度は永倉が「あなたが織田信長なら訊きたいことがある」と訊く。


「前から疑問に思っていたのだが……長篠ながしのの戦いで三段打ちをしたと伝わっている。あれは真か?」


 永倉の問いに信長が何と答えるのだろうと他の三人は黙った。

 信長はきょとんとして「三段打ち?」とよく分かっていなかった。


設楽原したらはら武田たけだ勢との戦のことか?」

「そうだ。軍記物語では鉄砲を三人で交代しながら打ったらしいが」

「そんなことせん。効率が悪い。儂は鉄砲を交換させて打たせていた」


 藤堂が「鉄砲を交換、ですか?」と不思議そうに言う。


「ああ。下手な者より上手な者が打ったほうが良い。一人を弾込めさせ、もう一人に射撃させていた」

「じゃあ三段打ちってのはなんだ?」


 信長は「どうせ作り話だろう」と断言した。


「それに武田勝頼との戦で勝ったのはそういうことではない」

「なんですか? 聞かせてくださいよ」


 沖田の促しに「あのときは大量の鉄砲と大勢の兵がいた」と信長は言う。


「取り囲んで鉄砲を撃ちまくった。柵や土塁で高所から狙えるようにした」

「……随分と単純ですね」

「複雑な策など要らん。多くの兵と最新の武器さえあれば、強敵を倒せる」


 それらを聞いた永倉は見た目より知識があるなと考えた。

 死人が生き返るわけがないので、目の前の信長は騙っているのだと彼は判断している。

 しかし……同時に見てきたように話すことに疑問を覚えていた。


 加えて永倉は長年、三段打ちに疑問を持っていた。

 三人一組で素早く火縄銃を打つには厳しい訓練が必要だ。

 しかし鉄砲を交換して打つ方法ならば、短い時間で仕上げられる。


 つまり、信長の言っていることは理にかなっているのだ。

 とても物狂いとは思えないし、演じているとしたら相当の知識が必要だ。


「午後に近藤に会う予定だ。だからその前に行くぞ」

「いつか返してくれますよね?」

吝嗇けちなことを言うでないわ」


 信長と沖田のやりとりは、内容を無視すれば親子のようだった。


「なあなあ。加藤清正かとうきよまさってどんぐらい強かったんだ?」

「加藤清正……誰ぞそやつは?」

「ええ? 知らねえのかよ? 虎退治の」

「皆目知らぬ」


 原田は単純に信長であろうがなかろうがどうでもいいらしい。

 ただ面白いおっさんという認識だった。


「……私の理解を超えていますね」


 藤堂は首を横に振ってから苦笑いをした。


「ノブさん。そろそろ寝ませんか? 明日の朝、買いに行くなら」


 沖田の呼び方に「ノブさん?」と戸惑う信長。


「あれ? いけませんか?」

「……ま、着物代として許そう。是非もなし」

「あ! ずるいなあ」


 信長は沖田の呼び方に、彼の警護役だった弥助やすけを思い出す。

 黒人の彼は自分のことを『ノブ』と呼んでいた。それを信長は特別に許していた。


「まったく、現は面白いものよ」


 信長は布団に入った。

 本能寺で襲われたときは途中で目覚めてしまったので、すぐに眠ってしまう。

 こうして、信長の長い一日が終わり、幕末での新しい生活が始まる。

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