一話 見えざる魔女というか見えちゃいけない魔女

 気が付いたら僕は防衛隊の医療施設のベッドの上にいた。医務官に聞いたところどうやら僕が気を失ってから事態は収束したらしく、一度は撤退した小隊の一つが状況確認に戻って僕を救助してくれたらしい。


 幸いにして特に体に異常はないと言われた。胸に受けた衝撃は結構なものだったようにあの時は思えたのだけど、骨が折れたりもしていないらしい…………むしろ状況的に精神的な疲労を心配されていくつか問診を受けた。もちろん問題は無かったけども。


「何が起こったかは調査中、か」


 何が起こったも何も緊急出動の目的である見えざる獣を抑えきれなかっただけだと思うのだけど、今やその存在を信じていない一般都民たちを納得させるには他の理由が必要なのだろう…………当事者の僕ですら未だに現実味が感じられないくらいなのだから。


 ともあれ事態そのものは終息している。僕に関しても外傷はなく精神的にも問題は無いとして一旦の帰宅を認められた。明日には防衛隊に出向いて聞き取りを行うと言われたが今日はとにかく帰ってゆっくり休めという事なのだろう。


「…………はあ」


 だが休めと言われても緊急出動は夜に行われて時刻はすでに朝だ。気を失っていた時間が長かったからか眠気はないし、帰って余計な事を考える時間が丸一日出来てしまった…………目の前で消えた小隊長や宮崎の姿が思い浮かぶ。その痕跡こんせきも残さず消えてしまったからか二人が死んだという実感がまるで湧いてこない。


 それでもまあ、どこかへ寄り道する気もしないので真っ直ぐに家路に着く。歩いて帰る気力もないので都営のレールバスの駅へと足を進めると人通りが増えて来る…………昨日の夜の惨状など何も知らない人々が通勤してくる時間だった。


 彼らを守ったのだと思えば胸も張れる気がするが、僕の胸中には何も知らないくせにという暗い感情もくすぶっていた…………いけない傾向だと思う。暗い感情の原因を全て他人に押し付けていたらいつかきっと世界の全てが許せなくなる。


「とりあえず帰ってまずシャワーでも浴びよう」


 さっぱりして気分をリセットすれば少しはマシに、そんなことを考えていたら不意に人の流れが道の先で二つに分かれていくことに気付いた。駅まではまだ少し直線を歩かねばならないのでこんな風に人の流れが分かれる理由は無い…………まるでその先にある何かを避けているような分かれ方だ。


 一体何を、と首を傾げつつ前に進む。不思議なことに人の流れそのものによどみは無い。普通人が避けて通るような何かが先にあるなら、それを立ち止まって見てしまう人間もいるはずなのに、である。


「一体何が…………」


 呟きつつ僕もようやくその先に辿り着く…………そして見た。


「え」

 

 そこに居たのは、全裸で仁王立ちする黒髪の少女の姿だった。


                ◇


 まるで走馬灯のように記憶の回想は一瞬で終わった…………それくらい僕にとっては衝撃的で脳細胞がフルで活動しなくてはならないような事態だったという事だろうか。


 しかし回想を終えたところで目の前の現実が変わるわけでもなく、それに対する答えが見つかるわけでもなかった。意識を救う寸前に目にした救いの天使の正体は公衆の中を全裸で仁王立ちして興奮して喜ぶ露出狂…………いやそもそも最後に目にしただけで、僕が彼女に救われたのかどうかもわからないのが事実だ。


「と、とにかくまずはわたくしの話を聞くのっ!」


 焦ったような少女の声に僕は我を取り戻す。彼女の素性がなんにせよ全裸の少女と会話しているところを都民に見られるのは不味い。ただでさえ防衛隊員は無駄飯ぐらいと冷たい目で見られているのだ、これ以上おかしな疑いを掛けられるのは御免被ごめんこうむる。


「っ!」


 三十六計逃げるに如かず。僕は今度こそ身をひるがえしてその場から駆け出す。レールバスで家に帰ることはもはや諦めた。こうなれば割高だが適当なタクシーでも拾って家に直行するのが一番だ…………今見たものはすべて忘れると決めた。


「ちょっと、どこに行くの!」


 背中に聞こえる声は聞かなかったことにする。追いかけられれば余計に衆目を集めるだろうからとにかく引き離そうと疲弊する体に活を入れた。これでも日頃から厳しい訓練を受けているのだ、本気を出せば一般人なら数分と掛からずに大きく引き離せる。


「…………ふう、ここまで来れば」


 五分ほど走ってビルの間の通路に身を潜める。ここで身を休めながら少し様子を見て、問題なさそうならタクシーを呼び出そう…………と、思ったのだが。


「なんでいきなり逃げるの」


 不意に背後から少女の声が聞こえる。馬鹿な、と思って振り返るとそこには全裸でこちらを睨むように見る少女が一人。


「あまり逃げられるとわたくしの理性も持つか怪しいの…………だからまず私の話を逃げないできちんと聞くの」

「り、理性って…………」


 その恰好を見るにもう飛んでいるんじゃと僕は思う。


「失礼なの。この格好にはきちんと理由があるとわたくしは言ったはずなの」

「…………」


 どんな理由があるんだと僕は思うが、少なくとも走って逃げられる相手じゃないことは今の状況が証明している…………それならばいっそ取り押さえて警察に引き渡すかとも頭によぎるが、それが不義理に思える以前に彼女を見るとなぜだか出来る気がしなかった。


「信じるか信じないかは別としてまずわたくしの話を聞くの…………それとも君は命の恩人の言葉を聞くこともしないで逃げるような不義理な男なの?」

「命の恩人って…………」

「あの状況で普通の人間の助けが間に合うと思うほど君が愚かでないことを祈るの」

「…………」


 最後に目の前の少女を見た記憶はあっても助けられた記憶はない…………けれど状況を思い出せば少女の言う通り他の助けが間に合ったとも思えない。


「とりあえず、話だけなら」


 諦めるように僕はそう答えた。


                ◇


 ちょうど近くにあったカラオケの一室に僕と少女は場所を移した。中は個室と言えど少女が全裸である事を考えれば店員の目が痛いどころか通報される…………だから別の場所をと提案したのだが少女に押し切られる形で入るハメになったのだ。


「顔が少し青いの」

「…………誰のせいだと」

「心配せずともわたくしの存在は気づかれていないの…………クソッたれなの」

「?」


 首をかしげる僕に少女は店員に渡された伝票を指さす。そこに示された数字は入店したのが一名であることを示していた…………確かに思い返せば店員は全裸の少女に対して目を向けた様子も無かった。


 バイト店員にあるまじき立派なプロ意識だとその場では感心したが、冷静に考えれば少女の指摘通り彼女に気付かなかったと考える方が自然かもしれない。


「つまり君は人から見えない?」


 見えないという自分で口にした言葉に僕は昨夜遭遇したものを思い浮かべる。

見えざる獣。人類には認識することのできない存在…………それと似た性質を持つ少女が目の前に居るのは何かの偶然だろうか。


「君の考えは合ってるの。わたくしは見えざる獣と同質の存在なのよ」

「っ!?」


 反射的に腰に手が伸びる。けれどライフルどころかサイドアームの拳銃も都市部には持ち込めない…………つまりこれは相手に警戒を抱かせるだけの失策だ。流石にこの状況で自分が冷静であるとは思っていなかったが、こんな判断も出来ないとは。


「心配しなくてもそれくらいの反応は想定済みなの…………けれど思いのほか傷付きはしたから後で埋め合わせは要求するの。たっぷりなの」

「…………必ず」


 先方が許してくれるなら僕に他の選択肢はない。


「ところで見えざる獣っていうのはあの虫みたいなのでいいんだよな?」

「…………やっぱり見えてたの」


 答えず少女が呟く。


「あれも見えるという事はわたくしたちと同じ…………でもそれにしては弱いの」

「ええと?」

「こっちの話なの。見えざる獣はその虫みたいなやつであってるの…………正確には違う形状のもいるけど総称としてそう呼んでるの」


 自身の呟いたことには触れず少女は僕の質問に答える。


「それでその獣を君が倒して僕を助けてくれたってことであってる?」

「合ってるの」


 少女が頷く。その見た目と事実にはギャップがあるがあの状況では他に考えようもない…………ここはいい加減素直に信じるべきだろう。


「まだ疑うなら見えざる獣を持ってくるの」

「いや、信じるよ」


 持って来るに対する疑問はあえて口にせずに僕は答える。


「助けてくれてありがとう」


 そして素直にお礼を述べた。


「っ!?」


 なぜだか知らないがそれに少女は動揺したように体をびくりとさせて僕を見る。


「えっと?」

「問題ないの。不意打ちに感情がちょっと昂っただけなの…………望むならわたくしをファックしても構わないの」

「…………とりあえず遠慮します」


 いきなり何を言い出すのか。反射的に否定すると舌打ちが聞こえた。


「あーっと、まずは自己紹介をしないかな?」


 それをごまかすように僕は笑みを浮かべて話題を変える。


「僕は昼月陽ひるづきよう。この都市の防衛隊の一員だ」

「昼月、陽。その名前、魂に刻み込んだの」


 滅茶苦茶重たい返しに僕の笑みが少し引きつった。


「ええと、君は?」


 それを何とか取り繕って尋ねる。


「わたくしは朝倉結あさくらむすび


 すると少女は隠すこともなくその名を名乗る。


「人類を守る見えざる魔女の一人、なの」


 見えてはいけないものを、隠すことなく晒したまま。

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