全裸の魔女と世界を救う話
火海坂猫
第一部
プロローグ(1)見えざる獣
「君に必要なのはそう…………ハーレムを維持する力だ」
東都防衛隊司令官
◇
目の前のそれが何なのか一瞬理解できなかった。薄れゆく意識の中で月明りに照らされた彼女のその顔だけが印象に残っている…………あの時僕は彼女が死にゆく僕を見取りに来た天使か何かだと思ったのだ。
その天使が今、目の前に居る…………全裸で。
「なっ、えっ!?」
声がうまく出ない。東都の商業エリアに位置する大通り。都民が多く行き交うその通りの真ん中で彼女は全裸のまま仁王立ちで立っている…………しかも僕の目が腐っていなければ、いや腐っているからそんな風に見えるのか。
彼女、興奮してね?
そんなはずはないと思いつつも、その赤らんで緩んだ頬にふるふるとひくついた唇が僕にそんな想像を駆り立てさせる。
「ろ、露出狂…………」
「ち、違うの…………!」
さあっと、人の顔が青くなるのを初めて見た気がした。
「わ、わたくしは別に変態ではないの!」
そう叫んで彼女が言い訳らしきものを並び立てはじめるが、僕の耳にはまるで入って来なかった…………ただずっとなんでこんなことになったのかと頭の中でずっと繰り返していた。
全てはそう、あの緊急出動が始まりだった。
◇
警報が鳴り響く中でライフルを担いで歩く。周囲を歩く同僚たちも走る事無くどこか気の抜けた表情で通路を進んでいた…………そのまま通路の先の大扉を抜けると夜の空が頭上に現れる。
防壁の中から外に見える世界はどんよりと暗く、月明かりに照らされた外の景色もただただ荒れ地が広がるばかり。
「相変わらずつまらない景色だなあ」
外に出られるのは警報が鳴った時くらいなのにと僕は思う。ライブラリーに残されているかつての世界の光景はあんなにも綺麗だったのに…………今の世界はどこまで行ってもこんな光景が続いているんだろうか。
僕らよりも何世代も前、まだ人類がこの地上の多くの地域に暮らしていたその時代に見えざる獣と呼ばれる何かが現れたらしい。それはその名前通り人には見る事も出来ない存在であると同時にあらゆる機械のセンサーにも引っ掛からなかった。
ただ、それに喰われて消失した人々だけがその存在を証明した。
そして人類はその脅威に対抗する
「おーい、遅れるとまたどやされるぞー」
ぼうっとそんなことを考えていると同僚の一人に声を掛けられる。それに慌てて止まっていた足を動かして、同僚たちの向かう防壁を下りる階段へと向かう。
「今日は第一防壁だっけ?」
「ああ、面倒だよな」
「だね」
僕らの暮らす都市は三つの防壁に囲まれている。一つは今いる場所で都市を守る最大の大きさである大防壁。そしてその大防壁を囲むように一回り小さな第二防壁と第一防壁が並んでいる。
僕らが向かっているのは第一防壁でありもっとも外、つまりは都市から一番遠い防壁。当然ながらそこまで歩いて行かないといけないので配置としては外れだ。
「ま、この都市が出来た時と違って安全な演習なのは助かるけどよ」
「宮崎、一応は実戦だよ」
「ん、あー…………そうだったな」
上官の姿を探して周囲を見回しながら宮崎が答える。演習というのはこの警報鳴り響く緊急出動のことであり、ほとんどの防衛隊員がそう呼んでいる…………ただ、それはあくまで通称であって公式に認められたものではない。だからこの緊急出動をそんな風に呼んでいることを上官に聞かれれば小言を貰うのは間違いない…………例えその上官自身もそう思っているとしても規律は規律だからだ。
見えざる獣と呼ばれる脅威が現れたのは僕らよりも何世代も前の話だ。僕らの世代の人間はその脅威を知らず…………むしろその実在すら疑っている。
なにせ見えざる獣の存在を証明するのはその接近と方向を知らせるだけで正確な位置も数もわからないセンサーだけ。それ以外に見えざる獣の存在を証明するものは何もないのでそれが正しいかどうかもわからない…………噂ではあるが厳罰承知で防壁の外に出て行った防衛隊員が何事もなく戻って来たという話もある。
「本当に実戦なら給料泥棒なんて呼ばれなくていいんだがなあ」
「…………」
緊急出動の実態は都民も知るところで、防衛隊の存在意義を捏造するために無駄に実弾を消費していると批判の的だ。防衛隊の訓練自体は非常に厳しく誰もが努力して防衛隊員として胸を張れる技術と体力を身に付けている…………けれどその努力もこの演習のせいで見向きもされないのが現状なのだ。
「何を隠してるのか知らないが、とっとと明かしてもらいたいもんだぜ」
「そうだね」
見えざる獣の実在が疑わしくとも人類がここまで追い詰められたのは事実だ。だから一般に明かせない後ろ暗い真実が存在し、それを隠すために見えざる獣という存在を作り上げたのではないかという見解が隊員の中では広まっている。
「でもさ、見えざる獣がいないってなったら防衛隊も解散じゃない?」
僕らの所属する防衛隊は外からの脅威に対抗するための組織だ。都市内の治安を維持するのは警察機構であり防衛隊の役割ではなく、現状では見えざる獣の襲撃以外に外からの脅威は存在していない。
そんな状態でもしも見えざる獣が実在しないと公表されれば当然ながら防衛隊も必要ないということになるだろう。そうなればいきなり防衛隊は解散もしくは大幅な縮小、解雇された隊員たちのいくらかは警察が引き取ってくれるかもしれないがほとんどは無職になる。
「あー、それは困るな」
宮崎が顔をしかめる。防衛隊の訓練は厳しいが給与自体は悪くない。だからこそ給料泥棒と都民の反感を買っているのだが、これで給料が安ければ多分隊員の辞職率は高くなっていた事だろう。
ともあれ安定した給与が無くなるのは誰だって困る話だ。
「はー、結局はこの茶番を続けるしかないのか」
「だね」
溜息を吐きながら僕と宮崎は配置場所へと急ぐ。
今日もまた、何も起こらない演習で終わるのだと信じながら。
◇
「構え!」
小隊長の号令と共に防壁内に備え付けられた銃座からライフルを構える。防壁と呼ばれているが実際のそれはただの壁ではなく内部にはそれなりの人数が行き来できる通路や弾薬を納めた保管庫などが存在している。さらには防壁内には外に向けた大量の銃座が設けられていて壁際に防衛隊員がずらりと並んでいる状態だ。
僕も含めて防衛隊員の動きには淀みなく、構えたライフルは固定されたようにピタリと止まってブレは無い。射撃訓練は徹底的に行われてもはや何千回構えたかもわからないくらいだ。
「狙いはいつも通り事前に通達された区画だ。隙間なく弾薬をばら撒け!」
ライフルの狙う先には何もない荒野が広がっているだけ…………だから狙うのは空間そのもの。小隊ごとに決められた区画内に徹底的にライフルの弾をばら撒く。これもまた給料泥棒とは別に弾薬の無駄遣いとして都民に責められる要因の一つだ。
「撃て!」
それでも撃てと命令されれば撃つように僕らは訓練されている。幾度となく行った反復訓練で、意識が身に入っていなくても正確な射撃を繰り返す。もちろん射撃中に無駄話をすれば厳罰ものだから誰も口は開かないが…………この射撃音の中でも眠そうな顔をしている隊員は少なくない。
誰だって意味のない行動を繰り返していればやる気も
「…………今日はちょっと長いな」
そんな単調な射撃を繰り返す中で思わず呟いてしまう。いつもであればそろそろ小隊長が射撃の終了を号令しているところだ。しかし今日はまだその号令は掛かる事無く横目で確認した小隊長もライフルで射撃を続けている。
「センサーが故障でもしてるんかね」
「宮崎!」
僕の声を拾ったのか皮肉気に呟く宮崎を思わず咎めるように呼ぶ。ちらりと小隊長を確認するが今の言葉を聞かれてはいなかったようでほっとする…………その間にも手は射撃を繰り返し流れるような動作で弾の切れたマガジンを交換する。
「っ!?」
再び引き金を引こうとした刹那に僕の耳は周囲の音の変化を捉えた。盛大に鳴り響いていた銃声のコーラスが僅かに減じていた。つまりはどこかの小隊が撃つのを止めたということになる。けれど再び小隊長に視線をやっても終了の号令を出す気配はない。
「小隊…………ちょ」
そのことを問おうと僕は完全に射撃を止めて小隊長へと体を向け…………その異常に気付いた。
「おい、昼月! 何やってる!」
「う、後ろ…………」
小隊長の怒声もほとんど耳に入らず僕はその後ろを指さす。
「後ろに何が…………」
振り返った小隊長の言葉も止まる。彼の後方は長い防壁の通路が続いていた…………続いているはずだった。それなのにその視線の遠くには夜空が見えていた。
ぽっかりと防壁は消え去ってそこにいたはずの隊員の姿も無い。
「なん、だ…………?」
隣で気づいたのか呆然と宮崎もそちらを見て呟く。その異常に気付いているのはまだ僕と彼と小隊長だけのようだった。防壁が消えた近くにいる他の小隊の防衛隊員ですらそれに気づくことなく銃座から射撃を続けている…………つまり音もなくそれは起こったのだ。
「っ!?」
そしてその異常はまだ終わってはいなかった。防壁が消えた場所から最も近くの隊員の上半身が不意に消え失せ、次いでその下半身もこの世から消え去った。音もなんの気配も無かったので見ている僕ら以外にその隣の隊員すら気づかず…………そして次にその隊員が消えた。
「しょ、小隊長!」
慌てて小隊長に声を掛ける。もはやぼうっと見ていられる状況でないのは明らかだ。彼には即時に的確な判断を下してもらう必要がある。
「てっ、撤退だ! 射撃を中断して即座に第二防壁まで後退する!」
隊長の判断は迅速で間違っていたわけではないと僕は思う。不測の事態が起きたなら一旦退いて状況を見極めるべきだし、防壁は三つあるのだから一つを放棄して二に下がるというのは堅実であるように思える。
問題は、僕らの任務がなんだったかを忘れてしまっていた事だ。結局のところこれを実戦ではなく演習と思ってしまっているのは小隊長も同じで、だからこそ不測の事態にこれが実戦であるという建前をすぐさま放棄してしまった…………その銃弾が何を押し留めていたのかを理解することもなく。
「撤退!」
「撤退だっ!」
「第二防壁まで下がれ!」
繰り返し、他の正体にも周知するように僕らの小隊は銃座から離れ撤退行動を開始する。
そしてそれが完了する前に、銃座ごと目の前の防壁が消えうせた。
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