第8話 そもそも顔がいい
朝は流石に冷え込む時期になったが、まだ本格的に寒さ対策が必要なほどではない。
白いプルパーカーの上に、去年着る機会のなかった、母の買ってきた薄い青のデニムジャケットを羽織った。
昨日、母の
「だから友達だって言ってるだろ……」
ぽつりと呟いて、ため息を吐いた。
昨日の夜にチャットで簡潔な文章で教えられた
時間は正午を過ぎた13時頃。
正直待ち合わせ場所がアバウト過ぎて、どこにいるのかははっきりわかっていない。
とりあえず店の中に入ると、休日なのもあってか店内は賑わっているように見えた。
「まず、
あたりを見回して、入口すぐの所に並んだベンチの、その横にある大きな広告や店内の案内図が掲示された柱、そこに背中を預けるようにしてスマホを眺める人を見つけた。
あまりにも学校の時と違う姿に、思わず2度見をしてしまったが、その白く長い髪と右頬の火傷痕が目立っていた。
「織咲?」
オーバーサイズの黒のパーカーにダメージジーンズのボトムス、ハイカットのスニーカーを履いて、帽子を被っている。
所謂メンズファッションと呼ばれる装いで、そのせいか顔にある火傷の痕も、普段とは一転してワイルドな印象を受ける。
道行く人もその白く長い髪が目立つからか、チラチラと横目で見ながら通り過ぎる。
むしろ少し怖いと思われているのか、あからさまに距離を取って通り過ぎる人達もいた。
恐らくあの白い髪は
「おはよう織咲」
「樹さん。おはようございます」
樹に気づいた風莉は耳に着けていたイヤホンを外し、背中を柱から離して背筋を立てて樹の顔を見た。
真っ直ぐに見つめてくる赤い瞳と、見た目に反した透き通った声に、風莉だと確信すると少しホッとした。
「来るの早いな」
「家にいると3度寝しそうだったので」
「2度寝はしたのか」
「1時間程前に起きました」
「……なんかまだ眠そうに見えるけど」
「大丈夫です」
少し目がうつらうつらとしているように見えるが、気のせいだろうか。
「本当に大丈夫なのか?」
「樹さんが来たので安心したら、眠くなってきました」
「おい、嘘だろ」
「嘘ですよ」
風莉に冗談を言われるのが初めてなもので、それが強がりなのか、本当に嘘なのかが見抜けなかった。
感情の起伏を感じない、真っ直ぐな瞳で言うのだから本当に分からない。
「それで、今日は何するか決まってるのか? 一応織咲が誘って来たから、俺はそれに付き合うつもりで来たんだが」
ただ、風莉は元々違う所で暮らしていた人間だ。
もし風莉がこの街の案内をしてほしいとか……そこまで詳しく教えてもらうのでなくとも、適当に何か見て回りたいというのなら、それはそれでリードするつもりはある。
異性相手に、気の利いた場所を案内出来るかは、樹には自信はないが、友達なのだからそんなに難しく考えなくていいだろう。
そんなことを考えて店内を軽く見渡して、改めて風莉を見ると、ジトりと樹の顔を睨みつけるように見ていた。
「ど、どうした?」
「…………織咲?」
「か、風莉さん……」
「はい」
それでいい。と、言わんばかりに風莉の頬が緩む。
昨日、『風莉』と呼ぶと決めたことをすっかり忘れていた。
そんなにも不服そうな態度を取る程だったのかと思ったが、決まり事を守らなかった自分が悪いと、樹は飲み込むことにした。
「今日はお弁当を買いに来ました」
「ああ、まだ昼は食べてないのか、でもそれならフードコートにでも──」
「違います。お弁当箱の方です」
「箱?」
「はい。せっかくなので新しいのを買おうと思いまして」
「……俺はそれに付き合えばいいのか?」
「お願いします」
「ああ、わかった」
風莉の『せっかくなので』という言葉の意味はよく分からなかったが、深く気にせず、言われたとおりに付き合うことにする。
何故、弁当箱を買う必要があるかはわからないが、確かに風莉がいつも使っている弁当箱は、今のかっこよさが目立つ風莉とは合わないかもしれない。
もしかしたら、改めて自分の好きなデザインの物を買いに来たのだろうと思うことにした。
「これにしましょう」
「ん、いいんじゃないか」
店内の一角にある雑貨スペース。
そこで見つけた黒い弁当箱を、風莉は他の物と見比べたあとで、指を差して決める。
風莉が樹の顔を見上げると、樹も適当に賛成したが、樹には何故自分に聞いてくるのかがわからなかった。
(俺いる?)
わりと機嫌の良さそうな風莉に、そんな水を差すようなことも言わずに、あまり深く考えず風莉をの後ろを歩く。
「樹さん。まだ時間はありますか」
「ああ、というか時間気にするほど悩んでなかっただろ」
「それは樹さんも決めてくれましたから」
「俺は何もしてないだろ」
「樹さんが決めたんですよ」
「……何か、責任を押し付けようとしてる?」
「? 別にそんなことは思っていませんが」
風莉も樹の言葉の意図がわからなく、2人で向き合って、はて? と首を傾げた。
何かすれ違ってるような気はするが、風莉はじっと樹の顔を見て一言。
「ではクレープでも食べますか」
そう言ってフードコートに向かう風莉に樹も着いていく。
クレープと言えば様々なトッピングがあるが、2人が頼んだのは生クリームにチョコレートソースの掛かったシンプルな物。
本格的な専門店というわけでもないので、変にこだわるよりもシンプルな方が食べやすいと思ったが、聞けば風莉は苺などの果物類が苦手らしい。
空いてたテーブルに座り、2人は向き合いながらクレープを食べた。
「本当はCDなんかも買いに行きたかったんですけど」
風莉は口の中の物を飲み込んで、食べかけのクレープを眺めて呟いた。
「CD?」
「はい、樹さんにも布教しようかと思ったんですけど、インディーズバンドなんで流石にここでは売ってなかったですね」
「マイナーなやつなのか。どんな──」
樹が少し興味を醸し出したのを、風莉は見逃さず、ポケットからイヤホンを取りだした。
「聞け。と」
察した樹に風莉は頷く。
樹は風莉の持っていっるワイヤレスイヤホンを受け取ると、それを耳に着ける。
聴こえてきたのは、激しいドラムの音から始まり、荒々しいギターと、唸るような低音のベース、しゃがれた声でがむしゃらに歌うような男性ボーカルの声。所謂、邦楽ロックと呼ばれるカテゴリの曲だった。
「あー、男の子の好きそうなやつ」
「樹さんは?」
「いや好きよこういうの」
こういう激しい曲は聴いてても歌ってもテンションが上がるので好きなのだが、曲自体は初めて聴く曲だ。
すると風莉は椅子を樹の側まで寄せて、寄り添うように隣に座った。
(…………近くない?)
あまりの急接近に樹の肩がびくりとしたが、樹は音楽に夢中なふりをして平静を装う。
風莉はスマホをテーブルの上に置き、画面を見せる。
そこには再生中の曲のタイトルとアーティストの名前が書かれているが、やはりどちらも樹は知らなかった。
「イヤホン貸して下さい」
樹の肩を叩いて耳を指差すジェスチャーと共に風莉が言うと、樹はイヤホンを外すと風莉に返した。
受け取った風莉は自分の右耳にイヤホンを着け、もう片方を樹の左耳に押し込んだ。
「!?」
突然の出来事に驚いて、樹は手に持っていたクレープを握り潰しそうになる。
(んん? んんん? 何これ……どういう状況!?)
ワイヤレスのイヤホンはスマホとは物理的に繋がってはいないが、イヤホン同士はコードで繋がっている。
強引に離れようとすれば風莉の耳からもイヤホンが抜けるだろう。
それは対したことではないはずだが、人に迷惑をかけたくないという心理なのか、2人を繋げるイヤホンのコードは、まるで括り付けられた首輪の如く樹をその場所から動けなくした。
「この曲もいい曲なんですけど……」
風莉は何事もないように細く白い指でスマホを操作する。
(なんでこいつはこんな落ち着いてる!?)
傍から見れば言い逃れが出来ないほどカップルに見えるが、そんなことを1人気にしている樹は、恥ずかしさで顔が熱くなる。
現実から目を背けるように、左耳から流れる曲に集中した。
「……すっごいストレートな歌詞だな」
「こういう現実に潰されそうな歌詞を叩きつけるような歌いいんですよね」
「確かに、所々のフレーズに耳が痛くなるくらいには刺さるな」
風莉は樹が集中して曲を聴いているのを見ると、邪魔をしないようにクレープを食べて間を潰す。
小さな口が開いて、クレープに噛みつくのを樹は眺めていた。
思わずその姿に見入ってしまったのには理由があった。
「風莉、それ俺の……」
コクリ。と、小さく喉を鳴らして飲み込むと、風莉は自身の左手に持ったクレープを見て、樹の方を見る。
先程風莉が齧ったのは樹が左手に持っていたクレープだ。風莉が身を寄せたことでちょうど目の前の位置にあった。
「…………すみません」
本当に失敗したと思っているのだろう。風莉は顔から冷や汗を流して、樹に謝罪する。
「目の前に私が買ったものと同じものがありましたので……間違えました」
そんことがあるか。と口には出さずに頭の中でツッコミを入れる。
風莉は本当にいけないことをしてしまったかのように落ち込んでいる。
「あの……私のも食べていいですよ」
「え?」
ハの字に眉を潜めて、不安そうな顔で樹を見上げる。
まさか、ここまで反省してるとは思わなかったので樹は驚いたが、それ以上に初めてみる風莉の表情に、どきりとしてしまった。
今日の風莉はどちらかというと、かっこいいという印象が強い。服装に関しても音楽の趣味に関しても。
それが、不意にしおらしい顔をしたので樹は落ち着かなかった。普段の風莉からも想像がつかない。
(というかそれ食べたら間接キ……)
急に早くなった胸の鼓動が、頭の中の雑念を加速させる。
「いや、大丈夫だ。気にしてない」
「そうですか?」
「ああ」
落ち着かせるように、再び曲に耳を傾ける。
先程よりも集中するように、右手で頬杖をつくふりをして、右耳を塞いだ。
既に曲は切り替わっていた。
今度の曲は突拍子もなく謎の人名や地名が飛び出てきたり、勢いに任せて歌っているように聴こえるが、ところどころのフレーズが皮肉のようにも聞こえて、バラバラな言葉選びながらも1つの曲として完成していた。
「……なんかすっごいなこれ」
「このジャンクフードみたいな雑な感じがいいんですよね」
「褒めてるのかそれ? でも頭に残って口ずさみたくなるな」
既に風莉はいつも通りの表情に戻っている。
それを見て樹も少し落ち着いて、クレープを口に運ぼうとする。
そこで気づいた──
(あれ? これも関節キ……)
樹はクレープを見て固まった。
「どうしました? 樹さん」
「ん!? い、いや! なんでもない!」
何故、風莉はこんなにも落ち着いていられるのだろう。
樹は疑問に思うが、逆に自分が気にしすぎなのだろうと思うことにした。
クレープを1口食べる。さっき食べた時はこんな味だったろうか、頭の中で無心になると決めてもなれるものではない。
「樹さん、樹さん。次はこれも聴いてみてください」
「……ああ」
結局、その日は夕方まで風莉に振り回されることになった。
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