織咲風莉はそれらすべての幻想を破壊する。

雨屋二号

第1話 ロンリーガール①

 織咲おりさき風莉かざりという女子生徒はこの学校で浮いた存在だった。

 白く長い、腰まで伸びるさらさらとした髪に、正しく雪のように真っ白な特異な肌と、血が宝石となったような真っ赤な瞳。

 そして、彼女の右頬には火傷の痕が痛々しく残っており、彼女の存在を際立たせていた。

 まるで童話の中から出て来たような、ミステリアスな儚さと、異質さ、更には誰とも関わらずにいる彼女の距離感や、物憂げな瞳、透き通ったか細い声は、まるで悲劇のヒロインのような悲壮感すらも覚える。

 10月も終わりになる頃には、もともと信憑性もない彼女についての噂話も、尾ヒレを生やして増えて、面白半分で流れていたくだらない噂も、彼女のイメージを悪化させるような『悪い』噂にエスカレートしていた。


「なんかもやもやするよなー」


 片頼かたらいいつきは既に空になったりんごジュースのパックに刺さったストローを、ただなんとく咥えながら呟いた。


「また織咲さんの話?」


 隣に立つ久屋くや光善みつよしは呆れた様子で樹を横目に見て、練乳入りのかなり甘いココアのパックのストローに口をつける。


「またって、俺そんな織咲の話してる?」

「自覚ないんだ。まあ樹が他人の話をするのって珍しいからさ」

「う……」


 樹は不満げに唸り声を出すと、誤魔化すように紙パックを平たく潰して、自販機の横にあるゴミ箱に捨てた。

 

「とっとと告白したら?」

「はっ!? べ、別にそういうんじゃねーから!」

「いやいやいや」


 光善は残ったココアを一気に飲み干す。見ているだけで胸焼けがしてくるが、光善にとってはこれが至高の一杯だという。

 この学校は3階建ての2つの校舎とその2階で繋がる2つ中廊下があり、中庭はそれらに囲まれる形で存在していた。

 その中庭の隅にある自販機には、小さな紙パックのジュースが売ってあるのだが、購買に行けば500mlの物が変わらぬ値段で売ってあるもので、ましてや、中庭に入る都合上、外履きに履き替える手間と距離もあり、昼休みにわざわざ買いに来る者は少なかった。


「で、今日なんて言われてたの?」

「手首にハンカチ巻いてたからリストカットしてたとか」

「うわ、大分過激だね……でも、織咲さんって少し病みっぽく見えちゃうのは否定出来ないかなー」

「お前もお前で包み隠さねぇな」


 それは4限目の体育が終わった頃の話、教室に戻って来た風莉の右手にはハンカチが巻かれていた。

 朝にはなかったそれは、やはり少し目立ってしまい、風莉が席を外した途端にまた話が作られていった。

 これも織咲風莉という人物の見た目からくるイメージ──妄想に過ぎない。

 樹はそれに納得が出来なくて、もやもやとしていた。

 

「……別に織咲はそういう風には見えないんだけどな」


 ぽつりとそんなことを呟いて、光善が「ふーん」と、何か言いたげな様子で相槌を打つ。

 そこで完全に2人は油断していた。


「私がどうかしましたか?」


 背中に氷を入れられたように2人の肩が跳び上がった。

 背後からの声に振り返ると、そこには先程まで話していた織咲風莉本人が立っていた。

 話を聞いていたのかはわからないが、風莉は感情の読めない表情で樹を見つめる。

 赤い瞳、思わずその右頬の火傷痕にも目がいってしまう。


「お、織咲っ……いや、なんでもない」

「そうですか」


 風莉は気にしていない様子で2人の横を通り過ぎると、自販機の前で立ち止まる。

 樹と光善は風莉から距離を取ると、少し離れたところで光善が小さな声で耳打ちをしてきた。


「まずいね」

「なにが?」

「さっきの僕たちさ、どう見えたと思う?」


  風莉に聞こえないように、樹も自分よりも背の低い光善に合わせるように顔を寄せる。


「樹は織咲さんを噂する人達を嫌ってたけど、織咲さんから見たらさっきの僕たちもその仲間だよ」

「それは……いや、そうだろ。実際影で話してたのは変わりないし」

「じゃあ僕は巻き込まれたんだけど?」

「それは俺が悪い」

「あと、今もこうしてコソコソ話をしてるのも良くないよねぇ」

「……何が言いたいんだお前は」


 光善が「だから」と話を続けようとしたところで、2人の目の前にハンカチが1枚、風に舞って落ちてきた。

 樹がそれを拾い上げると、軽く叩いて砂を払う。


「ありがとうございます」

「ああ────ん?」

 

 ハンカチは風莉が手首に巻いていたモノで、樹は風莉に返しそうとするが、そこで気になるものを見た。

 ハンカチを受け取ろうとした風莉の左手──先程までハンカチを巻いていた手首から血が出ていた。

 ただ、それはリストカットという程の傷ではなく、何か引っ掛けて抉れたような。風莉か真っ白な肌をしているせいか、傷としては大したことはなくても、未だじわじわと血が出ているのが目立って見える。

 樹は拾ったハンカチを改めて見てみると、やはりこちらにも血の赤が色濃く残っている。


「織咲これ……」

「あ、大丈夫です。多分もうすぐ止まりますから」

「いや、傷は大したことなくても、それシャツの袖汚れるぞ」

「え?」


 風莉はそっと手首を覗くと、びくりと肩を震わせた。

 冬服のブレザーの下、シャツの袖には赤いシミが出来ていた。


「……だ、大丈夫です」

「ほんとか?」


 傷の位置を考えれば、それはそうなるだろうと樹は呆れてツッコミたくなったが、それはやめておいた。


「保健室に行けば絆創膏くらいあるだろ」

「いえ、保健室は……この程度なら平気ですので」

「でも汚れるのは嫌なんだろ?」

「それは……」 


 なにやら保健室に行きたくない理由でもあるのか、風莉は要領を得ない返答をする。

 しかし、あまりくどくどと言うのも、お節介が過ぎて迷惑だろうと、樹は思う。

 そこで1つ閃いた。


「じゃあ俺が貰ってくるわ」

「え?」


 突然の提案に風莉はきょとんとした顔で樹を見上げる。その表情は今まで見たこともない、織咲風莉の顔で、樹も目を奪われた。


「いや、そこまでしていただく訳には──」

「じゃあ、僕は先に教室戻ってるねー」

「ああ」

「え、あの……」


 風莉の言葉を遮るように、光善はそう言って足早に去って行く。


「織咲もそれ買ったら教室戻っていいぞ。持ってくから」


 そう言って樹も学校の中に戻ることにする。

 どちらにせよ、光善がいなくなったから、樹もここに留まる理由もない。

 樹達1年生の教室は3階にあり、保健室は1階にある。ついでに寄って帰るのがちょうど良いだろう。

 風莉は歩き出した樹の背を困惑しながら眺めて、すぐに小走りで追いつくと、樹の袖を軽く引っ張って止める。


「流石にそういうわけには、私も行きます」

「お、おう……」


 不意に後ろに引かれて、振り返ってすぐに赤い瞳と目が合い、少しドキリとした。

 樹は誤魔化すようにすぐに前を向くと、樹の少し後ろを風莉は付いて、そのまま特に2人で話すこともなく保健室に向かった。

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