1:18 発症

【アーテア大陸 開拓基地02】

Apr/27 14:00


 およそ4Km四方ある開拓基地02の敷地の一角に、真新しいコンクリートの壁でできた巨大な『箱』があった。

 ちょっとした旅客機の格納庫ほどの大きさがあるが、窓は一切ない。一階部分に物資搬入用の小さな扉が設けられているのみだ。まさに箱としか形容のしようがなかった。


 コンテナに入れたゾンビ恐竜は基地02まで運ばれたのだが、現状ではまだこうした生物学的危険物質バイオハザードマテリアルを扱えるような施設は造られていなかった。ただでさえここは未知の生態系なので、重要性は認識されていたが、そこまでは手が回っていなかったのだ。


 そこで急遽、超絶突貫工事によって簡易隔離施設が造られた。敷地の端を整地し、そこにコンテナを置いてから、周囲を三重のコンクリートの壁と天井で覆ったのだ。基地のドローンを総動員し、魔法の助けもあって、一夜にしてどうにかここまで出来上がった。


 三重の壁の一番内側、中心となるコンテナの置かれた部屋は、便宜的に『棺桶コフィン』と呼ばれている。ゾンビを納める場所なので。


 生身の人間の出入りを想定していないため、この種の施設としてはかなり割り切った造りになっている。

 中には作業ドローンが常駐しており、電子顕微鏡、分析器といった装置も置かれた。ある意味、そこは一般的な生物学実験用のクリーンルームというよりは、さらにその内側に置かれる手袋つき完全密閉容器グローブボックスの内部に近い。

 もっとも、光学式顕微鏡や遠心分離機、インキュベータといった生物学実験で使われる機材の大半はまだ生産もされておらず、今日明日にでも造って納品されることになっている。電子顕微鏡などは素材研究に使われていたものを無理やり流用している。

 検体の活動によって変化するかもしれない空気成分や、内部にこもる熱などは魔法で処理してしまうため、外部との空気のやり取りが起きるのは検体や各種資材、薬品の出入口に限られる。当然、出入口には滅菌処理装置が設置されている。



 急ごしらえなため、安全性、信頼性は少々心許ない。耐震性も怪しい。

 心情的には、バイオBセーフティSレベルL4クラスの施設に隔離・封印しておきたいところではある。もっとも、本来、BSLはその危険度や感染性の強弱から判断するものである。しかし現在のところ、この恐竜の症状が何なのかまったく不明であり、危険度や感染性はまったく評価できていないため、BSLについて議論できるような段階にはなかった。


 そもそも、果たして隔離施設に封じ込めることに効果があるのかどうかさえ、定かではなかった。

 あんなモノが近場をうろついていた時点で、すでに周辺地域に広まっている可能性もある。仮にきちんとした設備があったとしても、防疫の意味があるのかどうは甚だ怪しいところではあった。

 加えて、地球のゾンビの場合、完全に隔離していても拡散を抑えられなかったという報告もあった。


 それでも、そんな気休めにしか過ぎないかもしれない壁でも、開拓団には必要だった。

 恐ろしいのだ。それほどまでにゾンビという存在が。


 団員たちは仮想体なので、病原体などに感染するようなことはない。だが、地球で起きたゾンビ・アポカリプスの記憶は生々しすぎて、誰もがトラウマとなっていた。

 できることなら、近寄りたくない。触らずに済むなら、触りたくない。

 しかし、調べないわけにもいかない。

 それで、団員の間で広がる不安をどうにかする必要があった。フォレスト司令も、強固な壁で囲うことで団員が安心できるならと、隔離施設建造を承認したのだった。



 棺桶コフィン内部。

 天井に据え付けられた魔力による発光装置が蛍光灯に似た白色光を放って、コンテナを照らしていた。

 コンテナの天井部分は鉄格子に架け替えられ、ゾンビ恐竜の姿を上からカメラが二四時間体制で監視している。

 検査用のドローン二体と、万一ゾンビ恐竜が暴れた際の対処用として保安部員の操作するドローンが三体稼働していた。


「ラクシャマナン部長、こちらハリソン。これより組織サンプルを採取する」


 ハリソンは月面基地にいるラクシャマナン医療部長に報告を入れた。

 検査ドローン一体を操作するハリソンが作業内容を報告した。若干のタイムラグを置いて、返答が入った。


『……了解。対象の様子はどうだ?』

「身動きせず、おとなしく立っているだけのようだ。こちらの動きにも特に反応する様子は見られない。

 バランスを取って立ってるところをみると、脳がまだ部分的には機能しているらしい。

 体温は20.1℃でほぼ室温のまま。心拍は数分に一度で、間隔は不規則だが完全に止まってはいないらしい。眼球は白濁し、対光反射はなく瞳孔は開ききってる。

 腹部から露出している内臓のうち、胃と思われる臓器には穴が開いており、そこから胃の内容物が未消化のままこぼれている。胃壁などは病変によるものか、部分的に組織がただれているように見える」


 ハリソンは畜産が専門で、家畜の解剖などは経験があったが、異世界の恐竜の、それもゾンビともなると扱うのは初めてだった。加えて、ドローンの操作もまだたどたどしい。


「腹部の開口部周辺には咬傷らしきものや、鉤爪で裂かれたような痕がみられる。襲われたために感染したのか、それとも感染後に襲われたのかはまだ判断つかないが、いずれにせよ、他に感染している生物がいる可能性は高そうだ」





【ムーンベース仮想空間 医療部】


 報告を受けたラクシャマナンは、現状までにわかっていることをまとめていた。


「電子機器の誤動作グリッチも起こらんか。これはやはり、地球のとは別物かのう」


 地球のゾンビの場合、なぜか周囲にある電子機器が不具合を起こすことが多かった。あれが不可解現象パラノーマルとか超常現象スーパーナチュラルとか言われる理由の一つである。

 これだけ違いがあると、別の要因、フィクションではありがちな細菌やウィルスによるものを想定したほうが良さそうか。


 ただ、ラクシャマナンは人間の治療が専門であり、ハリソン以上に恐竜(に似た生物)などの知識はない。また、正常な状態のサンプルもほとんどないので、比較検討もしにくい。調査が難航しそうで、ラクシャマナンは頭が痛くなってきた。

 その時、保安部から連絡が入った。


『医療部長、月面基地でドローン訓練中に事故が発生し、訓練していた者のうち一人が意識不明のままになっています』

「事故?」

『はい。突如、ドローンの応答がなくなり、格納庫の壁面に激突して小破。接続を切った後も意識が戻らなくなっていまして』


 意識不明というと医者の出番と思いがちだが、実のところ、仮想体の扱いは医療部ではなく、サーバーとプログラムを扱う技術部の範疇だ。助言くらいはできるかもしれないが、畑違い感は強い。

 それを告げようとしたのだが、


『その、意識不明者の体には、大きな傷がありまして……』

「傷? どんな?」

に喰い千切られたかのような……』


 そこまでで、何を言わんとしているのかは伝わった。


「司令部には?」

『すでに報告済みです』

「わかった。わしもそちらに行く」





【ムーンベース仮想空間 技術部・仮想体システム班オフィス】


 田中は猛烈な吐き気と戦いながら、徹夜で自身のログを調べていた。

 傷の痛みは相変わらずで、吐き気は周期的に襲ってきて、それが時間とともにひどくなる一方だった。


 仮想体システムのログを見れば、なにか原因がつかめるかもと思い、一通りログを漁っていた。

 ログにはたしかにエラーが記録されていた。ただ、それが膨大で、内容も多岐に渡っており、そこから原因を探るのは至難の業だった。


(原因は、何なんだ……。何があれば、こういうエラーが出る……?)


 痛みと吐き気と、焦りで気が狂いそうだった。

 そんな中、ふと思いつくものがあった。


(神経モデルが違う? いやまさか……でも、俺はスキャン中に負傷してる。あれで起きたとすれば……)


 田中はその仮説を立証する情報と、考えられる対処法を大急ぎでまとめ始めた。

 そうして作業に没頭していると、保安部から連絡があった。


「ミスタ・タナカ、格納庫01に来てもらえますか? 仮想体に異常が発生している模様です」





【ムーンベース仮想空間 格納庫01】


 十数人の団員を保安部員らが押しとどめていて、遠巻きに見守る中で、男が一人、格納庫の床に寝かされていた。

 体は小刻みに痙攣していて、白目をむき、顔は苦悶に満ちていた。ツナギの上半身は剥かれていて、露出した右腕の上腕部の肉は大きく抉れていた。さらに、左わき腹には、ちょうど指くらいの太さの小さな穴が五ヶ所空いていた。仮想体なので出血は皆無だが、傷口からは内部の肉が露出していた。

 彼はセレスティーノ・ドナティ、一昨日第二陣で来たばかりの者だった。

 彼を見下ろしながら、フォレストはラクシャマナンに小声で訊いた。


「どう見る?」

「スキャン前に襲われたんでしょうが、どういう影響があるかはまだ何とも」


 前例のないことでもあり、何とも答えようがないことではあった。

 その時、タナカがやってきた。どういうわけか、彼もずいぶんと顔色が悪い。


「こ、これは……」


 寝かされたドナティの姿を見て、驚愕していた。


「ミスタ・タナカ、仮想体の専門家として聞きたい。この症状は何が起こっている?」

「恐らくは……」


 タナカは推察を語った。この状況を予期していたかのような口ぶりに、ラクシャマナンが片眉を上げた。


「論拠となる、データと、たぶん、解決、方法に、なりそうなのを、まとめ……」


 そこまで言ったところで、タナカの体が揺らいで、倒れこんだ。見守っていた団員たちから大小の悲鳴があがった


「な!?」

「わた、し、も、噛ま、れ……うぐっ……」


 駆け寄ったフォレストらに、タナカはそれだけ言って、意識を失った。





【ムーンベース仮想空間 技術部・仮想体システム班オフィス】

Apr/27 16:00



Donati, Celestino

Tanaka, Kouich

Woods, George J.


 大型スクリーンには三名の名前とスキャン画像、バイタル数値などが表示されていた。


「とりあえず、三人は停滞ステイシスさせておこう」

「他に異常があった者は?」

「今のところ、この三名だけですね」

「最後の一人、ウッズか、彼は?」

「班長によると、今朝から呼び出しに応答がなくて、確認しようにもホーム空間にも入れなかったそうです。それで管理者権限でホーム空間に入ったところ、意識を失っているのが発見されたということです」


 技術部の砂田やデュボア副司令らも交えて、状況を調べていた。


「今のところ、他に不調を訴える者はいません」

「ふむ。三人とも第二陣で、噛み傷や裂傷があると」


 ドナティは二の腕とわき腹、タナカは脹脛、ウッズは右肩の肉が抉り取られている。

 歯形を見るに、動物によるものではない。おそらくは人間だ。

 ドナティのわき腹の穴については、おそらく成人男性の右手の指が食い込んでいたものと推測される。


 第二陣の大半は、地球側でここ数日のうちに仮想体となった者達である。事態がかなり悪化した状況の中では、スキャン前に噛まれるという事態も、当然予想してしかるべきだった。


「出血でもしていれば、もっと早期に発見できたかもしれんが」

「仮想体ですしね。慌しかったのもありますが、検疫とかありませんし」


 怪我については仮想体でも再現されることは知られていたが、ウィルスや病原菌はそもそもシミュレーションの対象外で、たとえスキャンデータにそれらが含まれていても活性化するようなことはありえない。そのため検疫や各種健康診断などは行われていなかった。

 現実世界から仮想世界へ、境界をまたいで影響が出るとは誰も想像していなかったのだ。



「やれやれ。ゾンビ恐竜でゴタゴタしておるところに、団員がゾンビに噛まれておったとはな。医療部はもうしばらく暇だろうと思っておったのにのう」


 本来、医療部の主任務は新人類の健康管理だった。新人類の合成と培養、育成が始まれば相応に忙しくなるはずだが、それまでは環境の安全性評価作業の協力が主で、地味な作業が続くと思われていた。

 ところが、ゾンビ恐竜が発見されて、医学者としての立場からその生理機能の解明に協力することになった。彼らの専門は人体であって、恐竜もゾンビもまったくの専門外なのだが。

 そこへもって、今度は仮想体の不調である。

 仮想体の専門家であるタナカが倒れたのも、大きな痛手であった。


「しかし、仮想体でゾンビの影響とかほんとにありうるんですかね」

「わからん。常識的には絶対にありえん話だが、ゾンビ化自体、常識の範疇ではなかったからのう。実際、この三人は意識がなくなっておる」


 これはいったいどういう現象なのか。仮想体システムでもゾンビ化は起こりうるのか。

 不幸中の幸いというべきか、彼らのスキャンデータはすべて残っている。彼らが噛まれた直後、どのような変化があったのか。

 これまで地球では、ゾンビに襲われた者のこれほど詳細なデータはなかった。だいたいは、スキャンしている傍から修羅場と化してしまうためだ。

 地球に対してはすでに手遅れかもしれないが、ゾンビ化のメカニズムを解明するのはきっと無駄にはならないだろう。


 タナカは自身の仮説と対策などの詳細データをサーバーにアップしていた。それを元に、ラクシャマナンらは検証を始めた。





「えーーっ!? 田中さんが倒れた!?」


 今日のドローン訓練も終わって、月面基地に帰ってきたところ、その話が噂になっていて、わたしはびっくりして飛び上がった。

 仮想体ということで、技術部の管理下にあるそうなので、わたしたちは技術部に行ってみた。

 砂田さんに、仮想隔離空間にいる田中さんの状態を映像で見せてもらった。他にも倒れた人がいたらしく、映像では三人がベッドに横たわっていた。眠っているように見えるけれど、現在は仮想体の処理を停止していて、いわば『凍結処理』のような状態になってるそうだ。


「なんでも、スキャン直前に襲われてたようで」

「そ、そんな……」


 なぜこうなるのだろう。ゾンビ恐竜だけじゃなくて、団員にまで。ゾンビはどこまでも付きまとって来るのか。


「田中さん、自分の状態調べて、原因やら対策とか練ってたみたいだから、それを確かめるまで待ってほしい」

「はい……」


 わたしにはそう答えるしかなかった。

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