1:16 屍竜

 カーン……カーン…………コーン……

 無骨な造りの斧を幹に叩きつける度に、辺りに甲高い音が響き渡る。

 幹の水平方向から切りつけて、時折斜め上からも打ち付けて、∠の形に削っていく。

 半ばまで切れ込みができたら、今度は反対側を削っていく。


「そろそろかな?」


 幹がかなり削れてきたかな、というところで幹の上のほうを押してみると、「メキッミシミシミシッ」と音を立てて傾いでいった。そして、どすんと地面に落ちた。

 これで三本目。


 何をしているかというと、木こりの真似事だ。ハーキュリーの訓練の一環で、力加減を憶えるのが第一の目的になってる。

 ハーキュリーの力は非常に強い。事故を避けるためだけじゃなく、全力を出し続けてしまうと機体のフレームがもたないって問題もあって、適度に力を抑えないといけない。

 斧で木を切るのが、ちょうどその練習に良さそうということで、やってみることになった。斧も全力だとすぐ壊れてしまうし、かといって弱すぎると幹に傷がつかない。丁度良い力加減っていうのが必要だった。


 あと、腕を振り下ろす動作の正確さと握り方も重要になってくる。刃の向きと、振り下ろすベクトルが一致してないと、変な向きで刺さったり、幹に喰いこむ力が分散されて充分に力を発揮できなくなる。指先まできちんと制御しないといけないので、その辺もハーキュリー訓練に良いと見られていた。

 肉体労働だけど、体が機械だから疲労を感じることもないので、楽と言えば楽かもしれない。単純に動作に集中していればいいのだ。


 ちなみに、この斧はわたしの訓練用として、技術部の人が特別に造ってくれたものだ。本格的に開拓作業に入るときはチェーンソーや、デカい伐採用ドローンなどを使うので、そっちの役には立たないだろう。今はあくまでハーキュリーの訓練がメインだ。

 斧は武器として使えなくもないけど、これで生き物を斬ったりしたらひどくスプラッタな場面になりそうで、ちょっとどうかという気もする。


 切り倒した木は、後で研究用や、有機化合物製造用の原料に回されることになってるので、引っ張って行って一カ所にまとめておく。切り株のほうは、スコップの訓練として後で掘り起こす予定。

 自然破壊については、わたし一体が訓練で伐れる本数は知れてるし、この辺りまではいずれ開拓で拡げることになるだろう、ってことで許可されている。



 わたしは基地の北東にある林の端っこに来ていた。行動許可範囲も最大25Km圏内にまで広がったので、だいぶ足を延ばした感じだ。

 辺りにはわたししかいなかった。空を飛んでる七海ちゃんたちとは高度も速度も違いすぎるんで、だいたいは別行動になってしまう。

 なんかあれば集合することにはなっているし、オンラインで会話チャットはしている。決して、ぼっちというわけでは……。

 いいんだ、わたしにはタマがいる。


「にゃぁああぁ~~」

「タマ~」

「ぅにゃあ」


 ちょうど、タマが遊びに来たようだ。タマが猫に似たいつもの鳴き声をあげた。わたしが「タマ」と呼んでるのも理解してるっぽい。

 タマは時折こうしてふらっと現れて、じゃれついてきたり、わたしの作業を眺めては真似をしようとしたりする。毎回かまってたせいか、だいぶ遠慮がなくなってきた。

 他の魔竜たちも、わたしを警戒してはいないようだ。タマといても、放置されてる。

 ちなみに、タマと遊ぶのは彼らの習性を知るために必要だ、という名目で許可をもらってる。なので、記録とって、後でレポート書かなきゃね。

 タマは近寄って抱きついてくると、背伸びしてハーキュリーの顔をぺろぺろ舐めてきた。犬みたいだ。鳴き声は猫だけど。


「お~~~、よしよし、どーどー」


 お返しに背中に並んだ細い毛をわしわしとなでつけた。

 そうして、タマは切り倒した木のほうに向き直った。葉っぱに興味があるみたいだ。


「あー、ちょっと待ってて。枝を切り落とすから」


 言葉は通じないだろうけど、わたしは一応そう声をかけて、タマをちょっと押しとどめた。やろうとしてることを理解したのか、タマはわたしの作業を見守ってた。

 葉っぱがついた太い枝を切り落とし、タマに渡した。

 タマは両手で受け取ると、むしゃむしゃと葉っぱを食べ始めた。この木はブナっぽい広葉樹で、タマはこの葉っぱが好物なのかな。まだ背が低くくて、枝に手が届かなくて、なかなか食べられないのかもしれない。

 ついでに、枝についていたカナブンっぽい昆虫も、指でつまんで口に運んでいた。どうやら雑食らしい。

 さらに枝を何本も落として、タマの近くに置いておいた。



 そうして、いつものようにタマと戯れてたんだけども。

 不意にタマが顔を上げた。キョロキョロと首を回して、辺りを窺った。鼻もヒクヒクさせ、尻尾をピンと立ててた。


「どしたの?」


 なんか緊張というか、警戒しているみたいだ。

 こういうときは、まず〔近距離探知機ショートレンジセンサー〕を見ないといけないんだった。

 二次元表示されたセンサーの反応では、20mほど先の茂みの中に何か動体反応がある。と思ったけど、ちょっとセンサーを見るのが遅すぎたようだ。

 ちょうどその位置から、一匹の恐竜がゆっくりと茂みを掻き分けて出てきたところだった。

 一瞬身構えたけど、『それ』は全長8mくらいはある草食の首長竜だった。個体数の多い種類で、この大陸ではわりとどこででも見かけるものだ。基本的に温厚で、凶暴なところはまったくない。


 ほっと安堵しかけたのだけど、ちょっと違和感があった。何か、『それ』は様子がおかしい。

 よたよたとして、足取りがちょっと覚束ない。ふらふらと、一歩踏み出すたびにバランスを崩しそうになりながら、辛うじて移動している。まるで、酔っ払っているみたいだ。


「う゛~~~~~」


 タマは『それ』を見ながら、低くうなっていた。


「ど、どうしたの?」

「う゛ぅぅ~~~~~」


 わたしが話しかけても、タマは『それ』から一瞬たりとも目を離そうとしなかった。この草食恐竜を警戒している? いや、タマの体が小刻みに震えてる。これは、怯えてるんだろうか。

 さらに、タマはハーキュリーの腕を掴んで、後ろに引っ張ろうとしだした。まるで、この場から離れようというみたいに。


 そんなわたしたちに一切興味をもたず、『それ』は近くの木へと近寄ると、その枝へと首を伸ばした。

 体の向きが変わって、横腹が見えた。


「……え?」


 あまりにも異様すぎて、その意味を理解するまで数瞬かかった。

 『それ』の腹は半分以上がごっそりと抉れていて、大穴が開いていた。肉の断面は茶色く変色している。そこから千切れた腸が長く垂れ下がっていて、ひきずられていた。

 そんな状態にもかかわらず、紅い血は一滴も流れてない。その代わり、ドス黒い粘液がゆっくりと垂れ落ちてるけど。

 よく見てみれば、『それ』の目は白濁していた。何も見ていない。

 そんな状態にもかかわらず、『それ』は平然と葉っぱを食べてた。

 あまりの異様さに、わたしはしばし呆然としてしまった。


「な……なに、これ……」


 どう見ても生きてるはずないのに、平然と動いてる。

 それと似た事例を、つい最近までわたしはさんざん見てきたのだけど、唐突過ぎてこの時はまったくその類似に思い至らなかった。ただただ、気持ち悪さでいっぱいだった。

 地球では仮想空間に引きこもってたから、動画ばっかりで、『ソレ』を生で直接見たことはなかったし。


「えーーーーっと……」


 おかしい。どう見てもこれはまともじゃない。

 というか、これは『アレ』なんじゃないの? Zワードなやつ。と、ようやく何に似てるか思い当たった。

 とりあえず、コレは基地に報告入れないとダメな案件だよね……。


「もしもし、開拓基地02デヴ・ベースゼロツーですか? 事業部の佐藤ですけども」

『サトー……、ああ、ハーク1か。こちらデヴ2、どうした?』


 そーいえば、作業中だったり訓練で出ているドローンがものすごく多いから、通信するときは機体ごとのコールサインというのを使うんだっけ? たしか、わたしが『ハークワン』だったか。1というけど、2以降が出るのはいったいいつになるのだろう。


「あ、あのー……、その、ものすごく、変なの? というかおかしなモノをみつけてしまったんですが……」


 なんて言えばいいんだろう。こっちにも『アレ』がいるって? 報告しようにも、混乱してて頭の中がまとまらない。


『変? もう少し具体的に』

「恐竜? なんですが、おかしいというか……ものすごくヤバいんじゃないかというか……その……」

『わかりにくいようだったら、映像は送れるか?』

「あ、はい」


 わたしは視覚映像を転送するモードに切り替えた。


『……っ!!』


 すこしのタイムラグの後、通信の向こうから息を呑む気配が伝わってきた。


『ハーク1、その場で「それ」を監視しててくれ。こちらは月面基地ムーンベースに指示を仰ぐ』


 めちゃくちゃ早口でそう言って、一旦通信が切れた。やっぱり、異常と思ったのはわたしだけじゃなかったんだ。

 見たモノがあまりにも衝撃的すぎて、受け止め切れなかったんで、わたしは仲間も巻き込むことにした。


「七海ちゃん、マギー、今忙しい?」

『いいですけど、どうしたんです?』

『なんかあったン?』

「んー、お願い、ちょっと来てほしい」


 マップで互いの位置はわかる。二分ほどして、二人のドローンがやってきた。


「ね、ねえ……、『あれ』、何だと思う?」


 わたしはそう言って『それ』を指差した。


『え? …………………………………………わわわわっ!?』

『…………………ぞ、「ゾンビ」っ!?』


 二人もモノを認識して理解するまで、やや間があった。

 うーん。言っちゃった。Zワード。

 これ、やっぱりだよねぇ……。モノが人間のじゃなく、恐竜のだけど。

 二人のいい反応で、なんかこっちは一周回って落ち着いてきてしまった。


『ちょっ、きりこさん! なんなんです!? なんなんですあれっ!? なぜあれがいるんですかっ!?』

『ほぉぅりぃ、しっ! アレがっていうノッ!?』

「そうみたいだねえ……」


 『アレ』は地球にしかいないはずのもの。そして、わたしらがここに来ることになった直接の原因でもあった。

 あの騒動で、わたしの両親も消息不明になってて、考えたくないけど、たぶんもう……。

 思い出したくなかった事だ。ニューホーツに来た以上、こちらではもう無関係なことのはずだったから、なるべく地球で起きたことは考えないようにしてた。けど、そうもいかなくなったみたいだ。



 なぜ、ろくな準備もないまま開拓団が急遽編成され、ニューホーツへと慌しく送り込まれたのか。


 すべては、地球で突如発生した『ゾンビ・アポカリプス』のせいだ。


 どう見ても死んでるはずの人間が動き出し、生きてる人間を襲う。襲われて死んだ人も動き出して、別の生きた人間を襲う。そうやって被害がどんどん際限なく広がっていく。

 映画やゲームなど、フィクションの中ではさんざん持てはやされたジャンルのそれが、現実に起きてしまったのだ。


 あちらではまだ一ヶ月もたってない。

 発生からわずか十日あまりで、地球の人口は半減した。そして、今やかつての一〇〇〇分の一以下になってる。総人口一万を割るのも時間の問題だろう。


 だから、すべてが手遅れになる前に、開拓団を急いで送り出したのだ。

 平行宇宙にあるニューホーツなら、地球からは物理的に隔離されてるので、ゾンビが広まることもないはず。そんな期待もあったから、開拓が進められることになったのに。

 『アレ』がニューホーツにも出るなんてことになったら。


 衝撃を通り越して、呆然としながら、わたしは連絡を待った。





【月面基地仮想空間 司令室】

Apr/26 11:30



 フォレストは副司令のデュボアと探査計画について練っていた。

 ふいぃーーいん、と呼び出しのアラームが鳴り、フォレストは通話をONにした。


「フォレストだ」

『司令、デヴ2から緊急の連絡がきています』


 緊急と聞いて、フォレストは思わずデュボアと顔を見合わせた。


「つないでくれ」

『……こちらデヴ2』

「フォレストだ。何があった?」

『地上で、訓練中のドローンが恐竜と遭遇したんですが、その……とにかく映像送ります』


 送られてきた映像は、一匹の恐竜が木の葉を食んでいるところだった。一体、これの何が問題なのかと疑問に思ったところで、カメラがズームして恐竜の腹部がアップになった。


「……!?」

「なっ!? これは……」


 フォレストはほんの少し眉を寄せるだけで抑えたが、副司令は動揺を隠せなかった。

 恐れていた中で、最悪の事態だった。



 実のところ、委員会が開拓団を送るにあたって、ニューホーツでゾンビが発生する可能性について、まったく考えていなかったわけではなかった。


 なにしろ、地球で発生したゾンビは何が原因なのか不明なのだ。


 便宜的に、それは『ラザロ反射症候群』と呼ばれていた。ラザロ反射――脳死状態の遺体の一部、腕などが筋肉の反射動作によって一時的に動く現象――の派生形と思われたことから付いた俗称だ。医療関係者や報道などには、そういう説明の方が通りが良かったのだ。

 もっとも、映画などのフィクションの影響もあってか、細菌やウィルス、あるいは何らかの化学物質が原因だろう、という認識のほうが一般的だった。この現象を常識の範囲で無理やり理解しようとすれば、そういう解釈に落ち着くしかなかったのだろう。


 しかし、フォレストは軍に所属していた関係で、調査にあたった医療チームの報告書なども直接目にしていた。そこでは、調査期間が短いというのはあるにせよ、多大な犠牲を払ったというのに、原因の特定には至っていなかったのだ。

 あれだけあからさまな異常を起こしてるにも関わらず、苦労して採取した血液や体組織のサンプルからは、原因となりそうないかなるウィルスや微生物、薬物等も、その痕跡すら見つかっていない。

 疫学的にみても、通常の感染症とはまったく異なる不自然な拡がり方をしている。


 さらには、常識では考えられないような、ほとんど超常現象とでも言うべき異常な能力を発揮していた。映画と違って、頭をふっ飛ばしてもまだ襲ってくる。ゾンビが宙に浮いて移動していた、なんていう荒唐無稽な報告も一件や二件ではない。

 もはや医学ではなくオカルトの領域ではないか、とまで考えられている。『』というよりは、『死霊』イーヴルデッドとでも呼んだほうが近いのかもしれない。

 少なくとも、医学の範疇であれば、人類がここまで追い詰められることはなかっただろう。


 そのくらいに常識と理屈を無視した存在だったので、ニューホーツが物理的に隔離されてるからといって、絶対に安全だという確証はなかったのだ。



 とはいえ、いざ実物を見せられると、衝撃は大きかった。


「デヴ2、場所はどこだ?」

『デヴ2から北東に12Kmほどの地点です。訓練中のハーク1が発見したようです』


 ハーク1といえば、最新型ドローンのハーキュリーでラプトルと交戦し、魔竜と交流をもった女性テストパイロットか。彼女は厄介ごとを引き当てる才能でもあるのだろうか。


「わかった。接触を避け、監視を続行してくれ。こちらで対応を練る」


 基地まで12Kmというのは、非常に近い。移動速度にもよるが、最短で半日もかからないのではないか。基地近くでそんなものが徘徊しているというのも問題だ。


「デュボア、各部長を集めてくれ」


 とりあえず、事態を把握し、対応を協議しなければならない。

 もし、これが地球のゾンビと同種のものであれば、開拓は頓挫する。開拓団の目標に重大な障害となりうる事態を前に、さすがにフォレストも頭を抱えた。

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