1:14 第二陣
今日は地球から第二陣、後発組の人たちが来る日だ。八三人来ることになってる。
後発組のリストには田中さんの名前があった。少なくとも、仮想体のスキャンをするところまではどうやら無事だったみたいだ。
一〇〇人ほど来る予定だったけれど、さまざまな障害にあって、最終的に二〇人近くが脱落してしまったそうだ。
そして、これ以降の追加の人員は、たぶんもう来ない。誰も。
わたし達がこっちに来てから、地球ではまだ二日しか経っていないけども、その間にもあちらでは状況が着実に悪化してた。ネットワークは寸断され、システムを維持できなくなったサーバーも多く、地域全体がまるごと音信不通となってるところも大幅に増えた。単に経路の問題か、それとも、応答できる者がいなくなったか。
わたしが向こう側にいた時でもすでに絶望的と思ってたけども、まだまだ先があったようだ。
ドラマなんかでは、生き残った人間が残った資源を巡って争って、互いに殺しあったりするもんだけども、現実では違った。状況があまりにも過酷すぎて、生者同士で争ってる余裕なんてなかったのだ。
もちろん、一部では実際に過剰な利己主義に走って、他の残存勢力と争おうとした集団もいたようだけども、そういうのはあっという間に周囲を巻き込んで自滅した。
このままいけばきっと、将来こちらで開拓の成果があっても、あちらでそれを知る人はいなくなってるだろう。
悲観してばかりでも仕方ないけどもね。
*
『転送の間』と呼ばれる巨大な空間は、月面基地の地下800mに築かれていて、半径100mほどの半球形のドーム状になっている。
ここにはすでに、出迎えの人たちが大勢集まってきていた。
床の中心を取り囲むように、円形に配置された各種装置類があって、技術部の人たちがなにやら操作していた。
そして、中央には直径10mはありそうな、複雑で奇怪な紋様が描かれてる。ぱっと見の印象は、まさに『魔法陣』という感じだ。
「ゲート、開きます!」
「同期OK!」
「転送始まりましたー、データ来ますー」
技術部員の合図とともに、紋様が光り始め、その真上に光の渦が現れた。
この紋様って、前に魔法の講義で言ってた『時空間魔法』の魔法陣なんだろうか。でも、なんでここにあるんだろう。もしかして、地球とのリンクって、時空間魔法と関係してるんだろうか。
そういえば、わたしが地球からこちらに来たときにも、地球側で同様の魔法陣が設置されていたっけ。
でも、あそこは仮想空間だったはず。その時に聞いた話では、「雰囲気を盛り上げるための、ただの
仮想空間に時空間魔法が何か影響するのかというと、それも変な話なんだけども。
しかし、もし意味があったとしたら、それは何だろう。
魔法陣。何者か、あるいは
それは科学で割り切れる話なんだろうか。それに、リンク先が地球だとすると、あちら側にも影響があるはずで、そうなると「こちらの宇宙だけ」という話と矛盾してくるし、時空間というのと平行宇宙を創ったという話とも無関係とも思えなく……
……などと、思考の沼にはまって、正気度が下がりかけたところで、光の渦の中から後発組の人たちが一人ずつ順番に出てきだした。どこまでが演出なんだろう。
そして、見知った顔も出てきた。
「田中さん!」
「ああ、佐藤さん」
向こうも気がついたみたいで、手を振ってた。
これまで会ったときは田中さんはまだ生身で、VRアバターを使ってたので、仮想体同士で顔を合わせるのは初めてだ。
田中さんはたぶん二十代後半くらいで、身長は日本人の平均より少し高いくらいか。
顔立ちや体格はアバターの頃とまったく同じだけど、表情と体の動きはずっと自然になってる。あと、前はいつもぴしっと仮想スーツを着てたのが、いまはわりとラフな格好だ。眼鏡は七海ちゃんと同じく、伊達アイテムだろう。
「田中さん、おひさしぶり……と言ったらいいんでしょかね?」
「こちらでは三週間近くなるんでしたか? こちらではどうでした?」
「ドローンの訓練とかしてました。ニューホーツにも行きましたよ」
「おー、私も早く行ってみたいですね」
なんとなく、地球がどうだったかを話題にするのは憚られた。きっと、田中さんも同じだろう。
田中さんの笑顔もどことなくぎこちない。たぶん、あちらの惨劇を直接目にしていないわたしの表情よりもずっと。わたしと違って、田中さんにとってはつい昨日のことなのだ。
何より、彼が仮想体としてここにいるということは、彼本来の肉体は……。
考えてもどうにもならないことではあるけれど。
こういう場面って、リアルで〔対人コミュニケーション〕スキルを取ってないわたしにはちょっと厳しいなーと思っていたところ、マギーと七海ちゃんがやってきて挨拶した。
田中さんがVRアバターのときと同じの、いつもの営業用の笑顔を浮かべて、挨拶を済ませた。
「田中さんは今後はどうされるんですか?」
「私は技術部に配属されるそうです」
「え? 田中さんて技術系の人だったんですか?」
「ええ、仮想体になった方達のサポートまで幅広くやってましたが、元々はシステム開発がメインなんです。PAN社ってわりとブラックなんですよ。特に、日本法人は人員が少なかったんで余計に。給料はよかったですけどね。まあそれで、こちらでもサーバー関係をやることになりまして」
仮想体のサポートも、システム的な不具合チェックの一環なんだそうで。
ふと、田中さんの顔色が気になった。
気のせいか、ちょっと顔が青いように見える。けど、仮想体で具合が悪いなんてあるんだろうか。
「あの、田中さん、どこか体の具合、悪くないですか?」
「ああ、こっちに来る直前までほんとにギリギリだったんで、ちょっと疲れたのかもしれません」
そう言われると、そういうものなのかもという気がする。仮想体って変なところでリアルになってるし。
「そろそろ
田中さんはそう言って引き上げていった。
「はい。また明日~」
わたしは手を振って、田中さんが転送されてくのを見送った。
気がつくと、マギーはニタニタと、七海ちゃんはニマニマと、それぞれ微妙に生暖かい笑顔を浮かべていた。
「なに?」
「いえー、きりこさんも、ああいう顔するんだなぁって」
「ぶっちゃケ、どこまでイってるノ?」
「そそそ、そーいうんじゃないってばっ!」
なんか誤解されてる。
彼氏いない暦=享年+仮想体暦の喪女なわたしでは、そっち方面の経験がなさすぎて、男の人とどう会話したもんかよくわからないだけだというのに。ネトゲ仲間とかだったら気楽なのに。
まあ、田中さんは良さそうな人だな、と思わなくもないけど。
*
【ムーンベース仮想世界 ホーム空間(ユーザー:田中公一)】
Apr.25 17:30
「ぐっ……」
転送の間を離れ、ホーム空間に戻った田中は、ふくらはぎの痛みに顔をしかめた。
会場では我慢していたが、この激痛を耐えるのはなかなかに厳しかった。仮想体なので脂汗こそ出ていなかったが、生身だったら滝のように流れ落ちていただろう。
出血もないが、傷がじくじくと痛んだ。
「仮想体になって最初の感覚がコレとは、ついてない」
本当に、無駄に高性能な仮想体にうんざりする。だが、全身の神経系を再現することも仮想体の動作に必要だった。
田中は裾を捲り上げた。
そこは、食いちぎられたように、肉がごっそりと抉られていた。
仮想体となる前、田中はPAN社のビルに立て篭もっていた。
本来は社外秘となっている仮想体関連技術資料や各種ソースコードなど、可能な限りの非公開情報を集めて開拓団に送信する作業をしていた。
どうせもう、データを持ち出して守秘義務違反や背任行為を働いたところで、それを訴える人間はいないし、裁判所や検察、弁護士などによる司法制度は機能していない。それ以前に、そもそも政府機関が軒並み崩壊していて、国としてはもはや瀕死状態だ。
後生大事に秘匿しておいても、もはや参照する者もいない。それならば、開拓団で役立ててもらったほうがまだ有用なはずだった。
作業を終えた田中は、自身の仮想体作成のために専用のスキャン室へと向かった。
その時だった。ビル内に大きな衝撃音が響き渡った。次いで、何者かの侵入を知らせる警報が鳴った。
田中はスキャン室の扉をロックし、全身スキャン装置に入った。スキャンが完了するまでおよそ一〇分。
開始から二分たった時、スキャン室の扉が乱暴に叩かれた。その後も断続的に音がした。スキャンのメーターの進みがひどく遅く感じられた。
五分ほどしたところで急に静かになった。しかし、七分が過ぎたとき、室内で何か動く影が見えた。扉が開いたような物音は一切しなかったはずだった。そして、その影は田中に向かってスーっと移動してきた。
――田中が覚えているのはそこまでだ。仮想体に反映される記憶はスキャンした時点のものなので、スキャン以後のことは知る由もなかった。
その後、本来の田中の身に何があったのかは不明だ。足の怪我についても、どうやってできたのか経緯はわからない。何がそれをやったかは、推測するまでもなかったが。
少なくとも、スキャンした結果を仮想体として起動し、開拓団に送信したところまでは間違いないだろう。そして、おそらくは、彼本来の肉体はもう……。
「いや、考えるのはやめておこう……」
スキャンデータを送信して、こちらで仮想体を構築できただけでも幸運だったのだろう。
それよりも、今考えるべきはこの傷をどうするかだった。
極めて精巧に人体を再現している仮想体システムだが、その内部処理はかなり割り切った簡略化が行われている。
シミュレーションする最小単位となるのは細胞である。この細胞モデルでは、細胞の外面的な機能を再現することを主眼としており、細胞の内側で起きるはずの生化学反応はばっさりと割愛してしまっている。代謝機能のほとんどが省略されていて、細胞分裂や細胞の死といったものも模倣していない。
そのため、傷で組織がむき出しになっていても壊死はしないが、傷が自然治癒することもない。
人体に無関係な細菌やウィルスなどはシミュレーションの対象外なので、化膿することもないし、その他の
そして、血管はあるし、心臓も動いているのだが、血液はない。
血管には血流量や血圧、成分といったものがパラメータ化されていて、中を流れているはずの血液は省略してしまっているのだ。
心臓の拍動はあくまで自律神経系を再現するのが主目的にあって、その結果として動いてるだけだ。
なので、あれだけ大きな傷があっても出血はしない。出血まで再現していたら、転送の間に出現した時点で開拓団は大騒ぎになっていただろう。
一方、仮想体の根幹となる神経系については、その挙動がかなり詳細かつ念入りに造りこまれている。化膿はしなくとも、傷で神経が途切れていれば痛みも正確に伝えてくる。
「うぐっ、アス○リンもどき、さっさと開発進めておけばよかった……」
元々、仮想体システムは事故や不治の病によって残りの命がわずかとなってしまった人を主な対象としていたため、仮想体の起動前にスキャンした人体データを健常な状態に修正する決まりだった。今回のように、怪我を修復しないまま起動することは想定外だった。
そういう運用ルールだったので、痛み止め、鎮痛剤に相当する機能の開発は優先度が低いとして見送られていた。
「鎮痛剤機能、俺だけで作れるか? しかし……気持ちわりい……吐きそう。なんなんだこれ……」
どれだけ気分が悪く吐き気がひどくても、仮想体では胃の中に吐くべき物質がない。仮想体向けの食べ物は味と食感を再現しているだけであって、胃に溜まるような実体は存在しなかった。
吐こうにも、胃液すら出てこない。胃液も仮想体シミュレーションの対象外だった。
時間と共に、吐き気もだんだんひどくなっていた。
傷の痛みは、気力をそがれるほど猛烈にじくじくとするが、想定の範囲内ではあった。だが、この吐き気を催す強烈な不快感はなんなのだろうか。尋常ではない。
これまで何人も仮想体化の作業に付き合ってきたが、このような吐き気を訴える人はいなかった。前例がなく、原因について類推もできない。
ここまで吐き気がひどいと、全身の感覚を遮断したくなる。実際、実現可能な手段の中ではそれが一番安直で、実行するにも手間はかからないが、それは全身麻酔も同然である。それをするくらいなら、機能停止して修復してもらったほうがいい。
だが、襲われて傷を負ったことを知られたらどうなるのか。アレの影響が仮想体にまで及ぶとは想像できないが、システムを知らない人がどう受け止めるか。
結局、田中は襲われたことを申告しないまま、ここまで来てしまった。
もっとも、生身の肉体のままなら一日もたなかっただろうが、仮想体の細胞の挙動はプログラムで制御された擬似的なものであり、あの超常現象じみた変異とは無縁のはずだった。
なんにせよ、まずはこの傷をどうにかしなければならない。
肉体欠損を修復するプログラムは既にある。遺伝情報をもとに演算して、健康な状態の肉体を構築し、適用するのだ。少なくとも現実空間で再生医療を行うよりは、ずっと難易度は低い。
ネックとなるのは演算にかかる時間とCPUリソースだろうか。もっとも、このムーンベースには膨大なリソースが余っている。さほど心配はいらないだろう。
苦痛はあるものの、田中は仮想体になったことで安堵していた。
LRS、
想定された範囲のエラーには対処できるが、オカルトなどという想定外のイレギュラーに対応できるほどの柔軟性は備えていない。そういう方面にはまったく融通など効きようがないのだから、侵蝕される恐れは皆無だ。なにかあっても、
だから、その影響が仮想体に及ぶことなどありえない。彼はそう思っていた。
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