淡々短編集

鱈場蟹 蠢徊

吾輩?

吾輩はかぼちゃである。名前はまだ無い。

私が産声を上げた時、は0時を指していた。

生まれてしばらくの間、私はこじんまりとした農業ハウスの中で、兄弟と共に平穏な日々を過ごしていた。

嗚呼…あの頃は、幸せだった…のんきだった…あの日がやって来るまでは。


それは、夏の晴れた日だったように思う。

あまりに暖かくて気持ちよかったので、うとうとと居眠りをしてしまった。

それがいけなかった。

私が昼寝から目を覚ますと、私は暗闇の中にいた。

最初は、夜なのだろうと思った。

しかし、どうもおかしいのだ。ゴー、という奇妙な音と、それに追随する振動。

周りの空間は、驚くほど張り詰めている。あの、自然界の新鮮な空気よ、いずこに。


「ここは、どこだ?」、ふと呟いた。

次の瞬間、聞き覚えのある声がした。ー「おい、君よ、今までずっと寝てたのかい?」

我が兄の声だ。

兄弟が近くにいるとわかって、安心した、不安は解けた…あのときは、そう思った。

だが、その直後、兄が発した言葉は、あまりに衝撃的なものだった。私は、その刹那、氷河期に転落したのだった。


「我々は、拉致されてきたのだよ。人間という忌まわしいけだものに。彼らは、我々を売りさばこうとしている。ああ、悲しいかな。じきに、我々は店に着く。」


1時間後、我々は、店の棚の上に陳列されていた。

思えば、あの時、の針は、尋常でない速度で動いていた。

さっきまで2時だったのが、気づくと10時になっていた。


そして…遂に、私は買われた。それは、ごく一瞬のことであった。

私は、そいつの家に連れて行かれた。私は、孤独だった。

そいつは、妙な目つきで私をじろじろと眺めた後、包丁を手に掴む。

嗚呼、の針は、11時59分!


あれ?


そいつは、私を食べなかった。代わりに、私を独特な形へと彫刻した。そいつは、芸術家だった。

とにもかくにも、の針は、反(!)時計回りに、猛スピードで逆走していった。

私は、そいつの家の外にある台の上に載せられた。


ある日の夕方のことだった。

突然、人間の少女が、私のもとに駆け寄ってきた。柔らかな黒髪が、後ろで上手に結われている。

少女は興味深そうに私を眺めてこう言った、「なんて見事な造形なのだろう。」


少女は、その後も、週に一回くらい熱心に私のところを訪れた。

彼女は芸術に興味があるらしかった。時に白いカンバスを持ち歩いていた。その中の一枚には、かぼちゃの彫刻の絵が、色彩豊かに描かれていた。


少女は、純粋だった。輝いていた。私が今まで会ってきた人間とはまるで違った。


だのに…はたして、少女は、死んだ。


あれは、甚だ冷酷でショッキングだった。私は、その時、あまりの驚きと悲しみで、気を失いかけた。呆然とするよりほかなかった。私が今、その時のことに関して覚えている唯一の事実は、少女が私のすぐ目の前で、車に轢かれて死んだということである。


それから、一週間が経った。私の脳裏には、今も、少女の優しい目と仄かな笑みが、はっきりと刻印されている。道路には、未だ、少女の壊れた靴が転がっている。

私は、激しい虚無感に襲われた。嗚呼、世界は無情也。自然なる神秘が、不自然によって打ち砕かれた!


私は、わざと足を滑らせて、下に落ちた。そのまま転がって、道路へと出た。

車がやって来た。私は、それを受け入れた。

私の寿は、ちょうど12時の鐘を鳴らした。「私は死した。」


ー 清掃員が、ほうきを使って、道に飛び散った汚いかぼちゃの残骸を、集めて捨てる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る