第40話 里の危機

 東堂の軍勢が壊滅した戦が終わってはや10日が過ぎた。その頃に万代宗長は東堂幸信が裏切りにあって山岡実光に討たれたことを知った。そこは落城した麻山城だった。東堂の軍勢をさんざんに打ち破った後、その勢いですぐに麻山城まで押し寄せた。そこの守備隊の兵は少なく、また東堂の敗戦を知って士気が下がっていたので、力攻めで簡単に落とせたのだ。


「これでこの江嶽の国は我がものになった。」


 宗長は感慨深げに言った。もちろん彼には山嶽に潜む、ちっぽけな敵のことなど眼中にない。麻山城さえ我がものとすればこの江嶽の国を支配したことになる。弱小だった国衆の一人から上り詰めてやっとここまで来たのだ。これで欲するものがすべて手に入った。だが・・・それでも宗長は枕を高くして寝ることはできなかった。いつこの身が何者かに脅かされるかと思うと。それは・・・。


「東堂家にゆかりのある者はすべて殺したか?」


 宗長は武藤三郎に聞いた。このような汚れ仕事はよそ者の忍びである三郎に任されていた。


「城中の者はすべて抹殺しました。逃げ出した者も我が手の者で追い詰めて始末いたしました。」


 このような残酷なことを平気でやってのける三郎は万代家中の者からも忌み嫌われていた。だが三郎はそれでよいと思っていた。自分は所詮、金で雇われた傭兵であるのだからと。


「それは大儀。褒美を遣わす。」

「しかし一人だけ残っております。」


 上機嫌になりかけた宗長は、その言葉に不快な顔をしてじろりと三郎を見た。


「それは誰じゃ?」

「幸信の一人娘、葵が山嶽の奥、椎谷の里に匿われております。」


 三郎は答えた。逃げ帰った山岡実光の家来の話だと、椎谷の里の地侍に幸信の首を奪われ、一旦、捕らえた葵姫も奪い返された。しかも主人の実光まで斬り倒されたという。三郎はその地侍は自分に深手を追わせたあの男だと直感していた。


「ならば殺せ。 里の者ごと皆殺しにするのだ。」


 宗長はこともなげに言った。彼は滅ぼした一族を根絶やしにするのがあと腐れなくてよいと考えていた。もしその末裔が残っていたら遺恨を覚えて、必ずこの万代の家に災いをもたらすと固く信じていた。


「わかり申した。」


 三郎は宗長の前を退いた。彼もまた椎谷の里を消したいと思っていた。特に自分に深手を追わせたあの地侍。あの恐るべき剣を使うその者を何とかして葬りたかった。




 里に植えられた木々の葉は赤く変わりかけていた。今のところ椎谷の里には平穏無事な日々が続いていた。山岡実光から奪い返した東堂幸信の首は、景色の素晴らしい小平丘に丁重に葬られた。そこからは五条山が見え、その向こうに麻山城がある。ここに埋葬された幸信が麻山城に思いを馳せられるようにということだった。もちろんその幸信の墓を参る葵姫たちもそうだった。いつの日にか、万代宗長を倒して麻山城を奪回して幸信をそこに戻したいという気持ちもあった。


 葵姫はあれから母屋の方に移り、屋敷の警戒は厳しくなった。いつ何時、万代の手の者がこの地を攻めてくるか・・・里の者はその緊張感に包まれていた。だが百雲斎はすぐには万代の軍勢は攻めてこないと見ていた。


(籠城戦の後の大戦だったはず。収穫の時期を迎えていたとはいえ、すぐに兵糧は集まらぬ。まとまった兵を動かすにはまだ日がかかる。早くて秋の終わりか、冬の初めか・・・)


 だがそれまでには準備をしなえればならなかった。それまでの間、忍びの心得のある地侍は探りに出され、以前と同じように道はすべて地侍の監視の下に置かれていた。


 だが百雲斎たちも気づかぬ敵の動きがあった。武藤三郎に率いる一党だった。彼は故郷の三伊の国から仲間を呼び寄せた。その中には手練れの忍びもいれば、単なる雇われの浪人者もいた。そして万代家からも兵を借りた。それで椎谷の里を攻めることができるだけの数はそろった。そこは迅速さが肝心だった。相手の備えが固まらぬうちに攻めることが肝要だったのだ。

 三郎の兵はすぐに出立して山嶽の地に足を踏み入れた。それはすぐに道を監視する地侍たちに発見され、椎谷の里に通報された。


「こんなに早く・・・」


 百雲斎は想定外の速さに絶句したが、その数は二、三百ほどと聞いて冷静さを取り戻した。


「とにかくこの地から追い払うのだ。里の地侍の力を見せつけよ!」


 今すぐ戦いに振り向ける地侍の数は敵の五分の一ほどだが、それぞれが一騎当千のつわものである。押し返すことができなくても時間が稼ぐことができると考えた。それは里の百雲斎の屋敷にいる葵姫を要害強固な梟砦に移すことだった。

 里は慌ただしい雰囲気に包まれた。地侍たちはそれぞれが得意の武器を持ち、統一感のない雑多な集団を形成していた。それが敵を求めて山道を進んでいくのであった。その指揮を取るのは重蔵である。

 百雲斎は葵姫と数名の地侍とともに梟棘に向かった。そこにはもちろん紅之介もいる。敵の目に留まらぬように目立たぬいで立ちで徒歩で移動していくのである。葵姫を気遣う紅之介が尋ねた。


「姫様。大丈夫でございますか?」

「大丈夫じゃ。これくらい。」


 険しい山道で足腰が悲鳴を上げているとは思うが、葵姫は弱音を吐くことはなかった。

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