第38話 駆けつけた紅之介

 実光は下腹をさすりながら葵姫の着物に手をかけた。その目は獲物を見る野獣の目だった。葵姫はこんな裏切り者に体を汚されると思うと涙がこぼれてきた。


「ふふふ。さっきまでの威勢のよさはどうした? だがその泣き顔もそそるわ! じっくり楽しませてもらうぞ!」


 実光は葵姫の着物を剥いだ。するとそこに美しい白い裸体が浮かび上がった。


「うおっ!」


 それを見て周りの兵たちもいやらしい歓声を上げた。その体は神聖で犯しがたい気品を持ちながらも、誰もが欲望をかき立てられていた。実光はもちろん兵たちもよだれを垂らし、下卑た目で葵姫を見ていた。そんな辱めを受けて葵姫はぐっと目を閉じて叫んでいた。


「助けて! 助けて! 紅之介!」

「誰も助けに来ぬわ! さあ、姫。儂が抱いてやろうぞ!」


 実光は葵姫にのしかかろうとした。


「紅之介! 紅之介!」


 葵姫はさらに呼び続けた。その悲し気な声は雨の中に響き渡った。するとそれに呼ばれたかのように一頭の馬の蹄の音が聞こえた。「ん?」と実光が顔を上げると遠くから地侍が馬でこちらに向かってきていた。


「待て!」


 それは紅之介だった。葵姫の叫び声を聞いて駆けつけてきたのだった。思わぬ邪魔に実光は体を起こした。


「どこの者だ!」

「椎谷の里の者だ。姫様を返せ!」


 紅之介は馬を降りて実光たちに近づくと、その刀の柄を握って身構えた。


「紅之介!」

「姫様! 助けに来ました。ご安心を。」


 紅之介は葵姫にそう言うと、実光たちを睨みつけた。


「お前一人に何ができる。それにお前たちの主人、東堂幸信はこの儂が討ち取ってやったわ! ほれ、そこに首があるわ!」


 実光は傍らにある白い包みに目をやった。


「この姫は儂が慰めものにしてやる。あきらめてとっとと帰れ!」


 紅之介の目が光った。その顔は鬼のような形相になっていた。


「決してお前たちを許さぬ。御屋形様の仇。ここで取らせてもらう!」

「ならばここで死ね! やれ!」


 実光の言葉に、刀を抜いた武士が3人、紅之介に近づいてきた。


「里の者か。お前はここで死んでもらおう!」


 3人の武士が斬りかかってきた。紅之介は刀を抜きざま一人斬り、返す刀でもう一人斬り、そして刀を横に払ってもう一人を斬り倒した。血しぶきが飛び、辺りを紅く染めていた。それを見て実光は顔色を変えて言った。


「これだけの使い手・・・貴様何者だ!」

「二神紅之介。血塗られた紅剣がお前たちを斬る!」


 紅之介は静かに言った。


「なんだと!」

「血に染まりたい者はかかって来い!」


 紅之介は刀を構えた。


「何を! これだけの人数だ。紅剣だろうが、貴様でもどうすることもできまい!」


 実光が右手で合図を送ると、兵たちが槍を構えて紅之介に向かって来た。紅之介は刀を振るって次々に斬り倒していった。武士たちも下馬して斬りかかってきたが、紅之介は刀をひるがえし、時には滑らかに、時に鋭く動かして次々に斬っていった。辺りは真っ赤に染まり、血だまりができていた。


「さっさと討て! 相手は一人ぞ!」


 今度は乗馬した侍たちが向かって来た。刀を抜いて、その白刃をきらめかせて紅之介に馬ごと突っ込んでくるのである。だが紅之介は泰然として動かず、間合いに入ったところで目にも止まらぬほどに刀を動かした。馬が通り過ぎた後、侍は斬られて次々に馬から落ちていった。


「向かってくるものは斬る!」


 紅之介は刀を構えなおした。それを見て侍や兵たちは逃げ腰になった。


「おのれ!」


 実光は葵姫を放り出し、自ら槍を持って紅之介に向かって来た。かねてから実光の槍の腕は江嶽一と言われており、自信を持っていた。いくら優れた剣の腕を持っていても長い槍の名手には敵うまいと・・・。

 実光は槍を振り回して何度も紅之介に向けて突いてきた。その動きは鋭いものの、紅之介はそれをすべて受け流した。「こんなはずはない」と焦る実光はさらに間合いを詰めて槍を繰り出した。

 だがそれが仇となった。実光が槍を突いたところを紅之介は懐に入って刀を振り下ろした。実光はそれを槍の柄で受けようとしたが、紅之介の刀はそれごと実光を斬った。


「ぐううっ!」


 実光は断末魔の叫びをあげた。彼は兜や鎧を割られ、頭から体まで真一文字に斬られていた。そしてそのままどうっと後ろに倒れていった。あっけない実光の最期を見て、その家臣の侍や兵たちは茫然とした。紅之介は刀の血を払い、再び刀を構えて彼らを睨みつけた。その眼光は獣のような殺気に満ちており、彼らを恐怖の底に突き落した。


「殿がやられた! に、逃げろ!」


 彼らは這う這うの体で逃げ出した。それを見て紅之介は刀をしまい、葵姫の方に駆け寄った。葵姫はあわてて着物の乱れを直した。


「姫様、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 その目はいつもの優しい紅之介の目に戻っていた。


「紅之介!」


 葵姫は紅之介に抱きついた。紅之介はしっかりと抱きとめた。


「もう心配ございません。紅之介がついております。」


 自らの身は助かり紅之介の顔を見て安堵したが、そうすると討たれた父のことが思い起こされた。


「紅之介。父上は・・・父上はあ奴らに討たれてしまった。ううう・・・」


 葵姫は泣きながら紅之介の胸にすがりついた。その涙は雨とともに地面に落ちた。


「姫様・・・」


 紅之介に葵姫の深い悲しみが直に伝わり、それ以上の言葉をかけられなかった。ふと見ると白い包みが投げ出されているのが見えた。それは幸信の首だった。紅之介は葵姫を放し、その首を拾って丁寧に泥を払った。そしてそれをそっと葵姫に渡した。


「父上!」


 葵姫はその首を抱きしめた。その目からは涙がとめどもなく流れていた。その姿に紅之介はどんな言葉をかけていいかわからなかった。ただ


「姫様。」


 と葵姫の肩を後ろから抱きすくめた。紅之介の目にも涙が光っていた。


「紅之介・・・」


 葵姫もそれ以上、言葉が出なかった。降りしきる雨がさらに2人を濡らしていた。

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