第33話 追撃
麻山城からは次々に軍勢がくり出されていた。目指すは領地に戻ろうとする万代宗長の軍勢だった。多く集まった国衆の兵たちはとうに引いており、重臣たちの軍勢もなぜか、どこかに行ってしまったようだった。そこには宗長の本隊しかいないようであり、城からの軍勢で簡単に蹴散らすことができそうだった。
「敵は手薄! この好機を逃すな! 宗長めの首を取るのだ!」
東堂幸信は全軍に檄を飛ばした。東堂軍のいずれの武将もこの状況に勝ち戦を想像した。だから手柄を立てようと我先へと兵を進ませて行った。ただおかしなことに宗長の本隊は縦隊の行軍態勢で、それもゆっくりと進んでいた。それも攻め方の手が及ぼうとする範囲内で。それはまるで攻めてくださいと言わんばかりだった。だがそれを不審と見る者は少なかった。
その宗長の本隊は森に囲まれた隘路を通って行こうとしていた。そこを抜ければ草原の広い場所に出て、すぐにもう万代領である。そうなればいくら攻めても逃げられてしまい、みすみすの好機を逃してしまうことになる。
「急げ! すぐに攻めかかるのだ!」
幸信は指令した。そこで軍勢は一丸となって行軍速度を上げた。そしてその先手勢は宗長の本隊の後備えに食らいついていった。すると大した抵抗もなくあっけなく崩れて逃げ出した。その先にいる宗長の本隊もあわててその隘路に入ろうとしていた。
「よし、いいぞ。このままあの隘路に追い込め。狭い道で逃げ足が鈍くなろう。そこを攻め立てるのだ!
幸信は全軍突入を命じた。さすがにそれを見ていた老臣の山形甚兵衛は危うさを覚えた。あまりにも簡単に宗長の本隊が逃げ出している・・・あの狡猾な宗長がこんなに容易く崩れるはずはないと。それにあの隘路、あまりに多くの軍勢をつぎ込んでしまうと身動きできなくなるかもしれぬと危惧していた。
「御屋形様。全軍挙げての深追いは危のうございます。万代の他の軍勢の居所が知れませんというのに。」
甚兵衛は急いで幸信の前に出てそう言上した。だが幸信はそれを振り切った。目の前につるされた大勝利の誘惑に他のものが見えなくなって、慢心と油断が出たのかもしれない。
「敵はもう逃げておるわ! 宗長の兵など物の数ではない! この分ではあの隘路で宗長の首が取れよう。皆、続け!」
幸信自身が勢い込んでそう言うと、自ら槍を持って突っ込んでいった。そうなると誰も止められない。幸信に引っ張られるように、全軍が宗長の本隊を追って隘路に入って行った。
一方、逃げる万代宗長は冷静だった。東堂の軍勢の動きを見てニヤリと笑った。
「かかりよったわ! 間抜けな幸信め! お前の最期になるとは知らずに。」
宗長は馬を止めて返すと、大きく軍配を上げて合図を送った。すると本隊は逃げるのをやめて素早く迎撃体制の陣となった。この本隊には屈強な兵を集めている。狭い隘路でいくら多くの兵で攻めかかろうとこの陣を破ることは難しかろう。そこで・・・
「三郎!」
宗長の呼び声に武藤三郎が何処からともなく駆け寄ってきた。
「お呼びでございますな。」
「手筈通り、軍勢を進めよと重臣どもに触れ回れ! すぐに行け!」
「はっ! お任せを。」
三郎は不気味な笑みを残してすぐにその場を離れた。彼が向かうは隘路の入り口近くの森である。そこには重臣たちの軍勢を密かに隠しておいた。東堂の物見の兵が見逃していた軍勢がここに集まっていたのだ。身を隠しながら走る三郎には万代の軍勢が総がかりですべて隘路に吸い込まれるように入って行く様子が見えた。
「目論見通りだ。フフフ。」
あとは三郎が重臣たちに宗長の命を伝えるだけである。その森に入ると重臣たちの軍勢が攻めかかる態勢で待っていた。
一方、罠とも知らず、幸信の軍勢はどんどん隘路の中に入って行った。
「進め! 進め!」
幸信は叫びながら馬を駆けさせていた。先手勢はもう万代の兵たちを蹴散らせているはず・・・そう思いながら前方を見ると、万代の兵たちががっしりと陣を構えていた。そこには急造の陣地があり、矢を雨のように放っていた。そしてそこにぶつかる先手勢をことごとく止めていた。どうしてもそこを抜くことができない。もっと兵をつぎ込まねば・・・と。
「行け! 宗長の首を取るのだ!」
幸信はさらに叫んだ。先手勢に引き続き、2番手勢、3番手勢がさらにぶつかっていくが、まだ万代の陣は破れない。押しとどめられているのであった。それに狭い隘路に多くの兵を入れ過ぎて身動きができにくくなった。そこに敵の矢が降り注ぐ。兵の損害は大きくなる一方だった。そうなると幸信は焦ってきていた。
「後ろ備えの兵も動員するのだ!」
そうなるとさらに兵が密集し身動きが取れなくなった。そして軍勢に崩れが見え始めてきていた。だが幸信はここさえ破れば勝つことができると信じていた。宗長の首まであと少しだと・・・。
だがその期待は裏切られた。後方から
「何事か! 見て参れ!」
幸信は叫んだ。その時、彼は嫌な予感を覚えたが、まだ目の前の勝利を疑っていなかった。そばにいた物見の兵が後方に馬を飛ばしていった。
しばらくして物見の兵が息を切らせて戻ってきた。あわてて幸信に告げた。
「後ろに軍勢が!」
「なに!」
幸信は信じられなかった。敵は目の前にいる宗長の本隊だけのはず・・・
「どこの兵だ?」
「万代の軍勢です。重臣たちの兵のようです!」
「なんだとっ!」
それを聞いて幸信は真っ青になった。重臣たちの軍は散り散りになって逃げ戻っていたとばかりと思っていたのに、隠してあったのだ。それが隘路に入った我が軍勢を挟み討ちにしている。このままでは全滅する。
「こうなったら構わぬ! 前の宗長の陣を抜くのだ! 後ろからの敵にやられぬうちに。」
幸信は叫んだ。その命に東堂の軍勢は一気呵成に前方の宗長の陣に攻め寄せた。だが兵同士が密着して動きにくくなっているうえに、敵の急造の陣地は強固であった。矢を射かけられ近づくことも難しい。どうしても前方の陣を破ることはできない。そのうちに東堂の軍勢の後ろを守る兵たちが万代の重臣たちの軍勢に蹴散らされていた。そしてその兵たちが前に逃げてきて幸信の周りまで大混乱に陥る始末だった。もう乱戦となって組織だっての反撃はできない。あとは前の幸信の強固な陣と後ろからの重臣たちの軍勢で東堂軍はすり潰されるだけである。
「これまでか・・・」
幸信は自らの最期を覚悟した。敵の中に飛び込んで討ち死にするか、ここで腹を斬って自害するしか道は残されていないように思われた。その幸信の様子を見て、山形甚兵衛が駆け寄ってきた。
「お逃げなされ! ここはもう持ちませぬ!」
「いや、逃げぬ! ここで奴らに一太刀浴びせてやる!」
幸信は首を横に振った。誇り高き武門の名家に生まれて、負けて逃げるなど彼の頭にはなかった。だが甚兵衛は必死に訴えた。
「何を馬鹿なことを! 御屋形様がいなくなればどうなりますか! 多くの者があなた様に従って来たのですぞ! 頭を冷やしなされ!」
「だからこそ皆を捨てて逃げることはできぬ。」
幸信は頑なだった。甚兵衛はこのまま同じことを言って説得しても聞いてくれまいと話を変えた。
「御屋形様。あなたを待っている方がいるのですぞ。」
「ん? それは誰だ?」
「葵姫様でございます。ずっと山深い里で不便な生活を我慢なさっていたのは、ひとえに御屋形様にいつの日かお会いできるからと希望を持っていたからでございますぞ。」
葵姫のことを聞いて宗長の厳しい顔がいくらか緩んだ。
「葵か・・・。かなり苦労をかけたのだな。」
「はい。姫様のためにもここは生き抜いてお会いになるべきと。」
「うむ。」
幸信の決心は変わり始めていた。考えて見れば山嶽にはまだ味方する者たちがいる。ここで敗れても東堂家を再興することも夢ではない。それにそこには愛する娘の葵もいる。何かいい方に変わるかもしれない・・・幸信はそう思い始めた。
「確かにそうだ。そちの言うとおりだ。しかしもう逃げ道はない。」
確かに狭い隘路で前後は敵に塞がれている。だが甚兵衛はこの辺りの道に明るかったのだ。ここから抜け出す方法は一つだけあった。
「いえ、向こうに細い間道がございますぞ。そこを通れば森を出て、その先は山嶽地方に抜けられるはず。そこには姫様のいらっしゃる椎谷の里もございます。そこに落ちなされ!」
「わかった! では行くぞ! 一緒に参れ!」
だが甚兵衛は首を横に振った。彼には別の決意があったのだ。
「いえ、ここで敵を防ぎまする。ではご免!」
甚兵衛は幸信の兜を取って、自分の兜をかぶせた。そして幸信の兜を自らの頭に乗せた。あまりのことに幸信が声を上げた。
「何をするのだ!」
「身代わりになり申す!」
「馬鹿なことを申すな。家臣を身代わりの犠牲にしてまで生き延びるわけにいかぬ!」
「もうこうなってはつべこべ議論している時はござらぬ。 この命、御屋形様に捧げましたぞ! さあ!」
甚兵衛は幸信の馬の尻を槍で叩いた。すると幸信の馬は驚いていきなり走り始めた。幸信は必死に馬にしがみつきながら、甚兵衛の方を振り返っていた。その目には涙が光っていた。最後まで忠義を尽くしてくれた甚兵衛に対する感謝と惜別の涙だった。甚兵衛は幸信を見送りながら、
「御屋形様、どうぞご無事でお逃げください。」
と目を閉じてそう祈った。そして目を開けると、顔をパンパンと叩いて自らに気合を入れた。
「これが今生の見納めだ!」
とつぶやいて馬を返して敵の方に突っ込んでいった。
「東堂幸信じゃ! これはと思う者はこの首を取れ!」
甚兵衛はそう叫びながら槍を振り回していった。
「幸信だ!」「幸信がいたぞ!」「討ち取れ!」
手柄欲しさに敵が群がってくる。甚兵衛はその年に似合わぬ動きで槍で敵を突いていった。だが敵に囲まれて力づくで馬から引きずり降ろされた。そして引き倒されて首を斬り落とされた。
「東堂幸信を討ち取ったぞ!」
その声が戦場にこだました。それに衝撃を受けた東堂の兵たちはもう支えることはできなくなって逃げ始めた。
「逃げるな! 戦え!」
東堂の武将たちはそう叫びながら、その場にとどまって戦ったものの、一人また一人と討ち取られた。やがて東堂の軍勢は全滅した。その隘路には無数の東堂の武将と兵の亡骸が転がることになった。
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