■Deorbit burn(6)


 都市外、俗にイナカなどと表現される地域にも、当然ながら人は住んでいる。太陽発電ソーラープラントや野菜工場ファームが点在し、その周囲では『持続可能サステナブル』を謳う農林業が営まれている。国土の狭い日本では、土地を遊ばせておく余裕はないようだ。


 ティコさんが周辺の地図を忘れかけていて最後に少々時間が掛かったが、無事、目的地――〈コーシカ商会〉の倉庫という建物へたどり着いた。

 倉庫は小高い丘のふもとにあり、地上二階立ての、工場と工房の間といった様相の建物だった。グレー一辺倒の色使いが、無骨な印象だ。


「やー、懐かしいなー」


 ティコさんが扉の鍵を開けて、中に入る。

 一階部分のほとんどを占めるガレージのようなスペースは広く、雑然と多くの荷物が積まれていても、十分な広さを感じる。〈トモエ〉を転がして端に止めた。

 一角に置かれたソファにティコさんが座る。私も、隣に腰を下ろした。


「ふー」

「はあ」


 同時に、吐息。思わず見つめ合って笑みを零す。


「バイクに長時間乗るのは、結構体力を使いますからね」

「うん。意外に疲れた」


 言いながら、ティコさんがバックパックのポケットから小さなペットボトルのミネラルウォーターと、お菓子を取り出した。派手な色合いのパッケージに包まれた、チョコレート・バーだ。


「はい、糖分補給」

「助かります」

「都市の中なら、ドローンでいくらでも買えるのに、ね」


 もそもそとチョコレート・バーを咥えながら、ティコさんがぽつりとこぼす。その声に、否定的な色はなく、ただ思いついたという響きだ。


 ドローンによる小規模輸送は、今や都市の重要なインフラだ。お菓子も、日用品も、人間以外のものはたいていドローンが運ぶ。

 だからこそ、都市の発展は中心部に集中した。ドローンの航続距離である約20km範囲を中心に都市は発展し、人が集った。少子化とともに減少傾向にある人口も相まって、都市外からは人が減っていき、代わりにソーラーパネルや風車が立ち並んだ。


「何故、このようなところに倉庫を?」


 ふと、疑問が口をついて出た。


「都市内に土地を確保するのは大変と言っても、不便ではありませんか」

「ああ。ここ、もともとシゲさんの工房ガレージなんだよね」


 ティコさんの答えは、懐かしそうな響きに満ちていた。

 視線を追うと、ガレージの壁に、手すりが取り付けられているのが見えた。


「……いい思い出、というやつですね」

「まさか!」


 驚いたような声と表情。脚をばたばたさせて、全身で否定してくる。

 私も、ティコさんも、そんな話をしている場合じゃないと、しっかりわかっていた。一刻も早く、状況を整理して、打開するための一手を考えなければいけないことくらい、わかっていた。


 でも……チョコレート・バーを食べるくらいの間は、話をしてもいいかなと思った。友達同士の、馬鹿みたいな話を。

 きっと、ティコさんもそう思ってくれた。


「立ち上がるだけで必死、歩くだけで地獄、だったよ。そこの手すりで立ち上がって、反対側の壁まで歩いて、さ。転ばないで歩き切れるようになるまで、一ヶ月は掛かった」

「リンクスがあっても、それほどに大変なんですね……」

「リンクスがあるからこそ、かな」

「……あるからこそ、ですか?」


 うん、と、ティコさんが頷く。咥えたチョコレート・バーが揺れた。


「歩くだけなら、動力も神経もない義足とか、松葉杖の方が簡単だし。そもそも移動するだけなら、義足じゃなくて、車椅子の方が安定してて楽だし」


 言いながら、彼女の指が、義足に触れる。指先が、大腿部の外側にあしらわれたマークを撫でた。歯車の意匠の赤い刻印は、義肢メーカーの〈ツァーンラート〉社のものだ。……義肢の大腿部、白い太ももがどこか艶やかに見えた。


「けど、私は『自分の脚』が欲しかった。こっちの方が、自由だから」


 ティコさんの目は、脚を通して、過去を見ている。


 ああ。

 彼女はきっと、過去にも、同じ表情を浮かべていただろう。唇の端を少し上げた、挑むような、楽しむような、猫のような――あの夜に私を置いて走り去ったのと同じ表情を。


「そんな小娘の我儘を、社長とシゲさんが叶えてくれた。結果、私は元気に飛んだり跳ねたりして、割と天職な運び屋なんてやってるわけ。以上!」


 言っている途中で恥ずかしくなってしまったらしい。ティコさんは最後に強引に話を打ち切ると、ソファから立ち上がった。


「昔の話は終わり。これからの話をしようぜ、キヌ」

「……そうですね。荷物を運ぶ先、ですが」


 ガレージまでの道すがら、『荷物』の詳細と、『公開する』という方針はティコさんから聞いていた。プロフェッショナルであり、当事者でもある各務弁護士が同意したなら、現状では最善だろう。

 情報収集用に、ティコさんが年代物の板状端末タブレットを取り出してきた。接続元を隠蔽できるブラウザから、Webに接続する。


「広く公開するなら、特許として出願するのが確実かもしれません」

「特許?」

「はい。特許は、知的財産として正しく保護されます。何より、核心の部分が公開されますから。独占を狙っている連中がいても、手も足も出ないはずです」

「……キヌって、そういうのに興味がない武闘派かと思ってた」

「あのですね。警察企業の研修で一番キツく叩き込まれるのは法律の知識なんですよ」


 ごめんごめん、と笑うティコさんに、つい目をすがめる。

 ……実際、法律関係の試験は死ぬほど苦労したことは黙っておこう。


 ちょっとした秘密を抱えながら、タブレットを一緒に覗き込む。特許庁のサイトではWeb上での出願も可能だったが、流石に危険だろう。

 と思っていたら、タブレットの画面が突然、ブラウザを閉じた。画面には『被探知警告』の文字。羽刈さんという〈コーシカ商会〉の技術者が仕込んだセキュリティだろう。改めて設定をし、ブラウザを開き直す。


「やはり、捜査五サイバー課は特許庁を警戒しているのでしょう。アップロードを始めた瞬間に、回線をたどられます」

「そっか……。でも、出願? 登録? したあとで奪われたりはしないの?」

「それは大丈夫だと思います」


 頷く。

 あらゆるものを金に変えて加速するビジネスの中で、最も重要な要素はアイディアであると、人々は気付いていた。アイディアは、金のなる木ではない。木が育つための土壌なのだ。そして、アイディアの適切な保護と公開こそが重要だと結論した多くの人の思惑によって、特許システムは強化されてきた。

 日本においても特許庁の権限は強く、国自体からもある程度独立した体制を保っている。経済界からの有形無形の支援により人員面でも技術面でも資源が豊富だという。特許庁の預かりとなったものに手を出すことは、NFL-セキュリティでも不可能だろう。


 端末に表示されたWebサイトの文言を、指でなぞる。

 『書面で提出する際の手続き』。Webでの二十四時間手続きが当然のものとなり、AIによる簡易受付が役所にも導入されて、『窓口』といえばWebサイトのフォームを指す時代になっても、紙での受付フローは当然のように残っているらしかった。


「一世紀前の手続き方法がちゃんと残ってる。お役所仕事に感謝だね」

「はい。出願料と電子化手数料は、後ほど請求しましょう」


 笑い合う。

 そこからが、大変だった。


 ティコさんが工房の片隅から古ぼけたプリンターを引っ張り出してきて、様式を印刷する。


「っぎゃー! インク固まってる!」

「埃が……けほっ、けふ」


 Webで『特許 出願 書き方』と検索しながら書き込む。


「うちも書類が多くて面倒と思ってましたけど、役所はレベルが違いますね……」

「新規性って何? ソフトウェア特許? なんで同じことを書く場所が三箇所あるの……?」

「しゅ、出願さえしてしまえば見てもらえるはずですから!」


 大量の書類に埋もれながら、整理していく。


「さっき書いた書類がない!?」

「順番は……これが二枚目で……いえ四枚目……?」

「書き損じだと思って丸めちゃったああああああ!」


 封筒代わりのクリアファイルに突っ込んだ頃には、二人とも疲労困憊だった。脳を働かせるためのお菓子ねんりょうはすでに空っぽで、達成感よりも虚脱感の強い笑みを浮かべながら、二人で寄り掛かりあってため息をついた。


「……終わったね」

「はい……お疲れ様でした……」

「もう勝った感じがする……」

「絶対負けられませんね……」


 ソファで虚脱して、ほんの少しの休憩に浸りつつ、色々な意味で決意を新たにしたのだった。

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