■Deorbit burn(2)


 タチアナの言葉を聞いてから、義足が送ってくる信号を理解しようと努めた。そうしているうちに、気付けば――劇的な発見ではなく、いつの間にか――義足のセンサーが伝えてくる情報を感覚できるようになっていた。力はどのくらい入っているのか。どんな角度で立っているのか。足を出す速さ、踏み込む強さ、関節の可動域の限界、隅々まで自身の感覚として受け入れられた時、義足は、私の足になった。


 と、過去に浸りながら義足の調整を続けていると、シゲさんが立ち上がったのが見えた。


「わかったの?」

「大枠はな。ここが核心だろう」

「そっすね。難読化も暗号化もされてなくて助かりましたよ。慌てて、生のデータをそのまま保存バックアップしたって感じだ」


 羽刈と各務弁護士も立ち上がり、目を押さえたり、腰を伸ばしたりしている。藍さんが、差し入れにとお茶の缶を投げた。


「お疲れ様です。どのような情報データだったか、伺っても?」


 鷹見社長が、代表として各務弁護士へ問う。各務弁護士は、羽刈へと視線を投げた。


「羽刈さん、説明を頼めるかな。私では、専門用語に頼ってしまいそうだ」

「了解っす……間違ってたら指摘してください、シゲさんも」

「俺ぁまだ良くわかってねえがな」


 頷き、羽刈が言葉を整理するのに、二秒。


「こいつは、『AIに倫理を教える』プログラムです」


 各務弁護士をちらりと見てから、我慢しきれずといった様子で、続けた。声に熱がこもっているのは、興奮だけではないように聞こえた。


北楽きたらって人は、本物の天才か、じゃなければ大馬鹿ですよ」

「AIに……倫理?」

「そうです。AIの判断に、倫理的な基準を追加するためのプログラム……簡単に言えば、AIが人命や正義を優先するようになります」


 思わず首を傾げた。


「それってすごいことなの?」

「ものすごく、すごい。だが問題が二つある。ひとつは、このプログラムは倫理や人命を最上位の優先事項にねじ込む。そういう判断基準がそぐわないAIであってもだ」

「そぐわないAIって……」

「兵器とか、警備とか。交通管制でも、いきなり判断基準が変われば混乱するだろ」

「うーん……? でも、いいことのような気もするけど……」

「弁護士から言わせてもらえば、その『倫理』という概念も、時代や立場で変わるものだ。基準として妥当なものでは、決して、ない」


 漫画や小説でロボットに埋め込まれる『ロボット三原則』や『良心回路』みたいだ。


「もう一つの問題は、このプログラムの考え方自体だ」

「考え方って、どういうこと?」


 羽刈が、お茶を口に含んで一息おく。考えをまとめると言うより……恐ろしいことを口に出す前の、躊躇いのように。


「AIに、別の判断基準をねじ込む。これが『倫理』だからまだいい。その判断基準を自由に操作できるようになったら、どうだ?」

「……」


 オフィスに、沈黙が落ちた。

 情報技術に詳しくない私でも、それが、どれだけ危険かはわかる。


 AIは、都市のあらゆる意思決定に関わっている。AIに干渉できるということは、その意思決定の全てに干渉できるという意味を持つ。どれほどの影響が出るか、想像もつかないほどだ。


「……恐ろしいのは、干渉できることだけではない」


 各務弁護士が、一言一言を区切るように言葉を絞り出す。


「AI技術が進歩した今でも……いや、進歩したからこそ。複雑化したAIの判断が正しいかどうか見極めるのは、専門の技術者にとっても難題だ。もし、その改変が、誰にも知られることなく行われたら……判断が歪まされたことすら、気付けない可能性がある」

「どういう……ことですか?」


 各務弁護士の言葉に滲む並々ならぬ危機感に、聞くのをためらいながら、問う。


「AIは、人間とは桁が違う数のデータから、独自の結論を導き出す。『彼ら』の結論を、人間は、本質的には理解できないのだよ――『彼ら』が、誰も知らなかった正解を見抜いたのか、それとも狂っているのか、解らないんだ」

「人工知能技術者が『預言者オラクル』って呼ばれる所以でもあるな。腕のいいハッカーが魔法使いウィザードなら、人工知能技術者はAIの託宣を受けて皆に伝える預言者ってわけだ」

「つまり……北楽さんのプログラムを使うと、AIに干渉していることすら、バレない?」

「その可能性が、高い」


 各務弁護士がうなずく仕草の重さが、事態の重さを表していた。


 と、その時だ。

 私たちの耳を、ラジオからの音声が奪った。


『……紛争地域で使われている無人兵器が、原因不明の故障を繰り返し、紛争が一時停滞していると、国際紛争協議NGO〈チャンネル〉から発表されました。攻撃動作を突如停止する無人兵器が増加しているとの事です。この無人兵器は以前、戦争に反対する複数のNGOから『殺戮兵器』と批判を受けたものです。そのため、紛争に反対する組織からハッキングを受けているのではないかと推測している関係者もいる模様です』


 パーソナリティの冷静な声だけが、事務所の沈黙の上を通りすぎる。

 無人兵器。AIにより、自動で移動し、目標を設定し、方法を選択し、攻撃する兵器だ。遠隔操縦のものもあるが、いまやほとんどはAIを搭載した自動兵器で、人間は管理するだけとなっている。


 その兵器が、戦争を止めた。

 人を殺傷するために作られた兵器が、人を傷つけるのを止めた。


「……これって」

「まさか、な」


 はははは、と、羽刈と乾いた笑いを交わす。


「つまり、北楽氏のプログラムを使えば、こうなるというわけだ。……各務弁護士、私はこのニュースもまた、このプログラム――『倫理回路』とでも呼ぶべき――にかかわる事象と考えるが、如何ですか」

「……同感です。関係がないと判断する方が、不自然だ」


 社長は、何が楽しいというのか、笑みを深くする。対して各務弁護士は蒼白だ。


「だが……推測にはなるが、北楽がばらまいたとは思えない。無人兵器につながるようなコネクションもないはずだ」

「コネクションはなくとも、繋がりはあるでしょう」

「……なに?」

「確か、NFL-セキュリティの子会社に、『高リスク地域における保安・警備業務』を請け負う企業があったはず」

「ああ。『紛争地域で武器を試して都市に持ち込む気か』って批判されてましたね」


 そういえば、〈スピカ〉のバックにはNFL-セキュリティが絡んでいるということだった。北楽さんが気にしていたのも、実際に、NFL-セキュリティが何かを仕掛けていたのかもしれない。

 各務弁護士は、険しい表情だ。


「北楽が、NFL-セキュリティにこの技術を提供した……と?」

「あるいは、盗まれたか」

「北楽さん、すごく警戒してたし。産業スパイみたいな感じで、一部を盗まれてた……ってのがありそうだね」


 ここまで厳重に各務弁護士へ渡そうとした情報を、北楽さんが自分から誰かに提供するとは思えない。むしろ、警戒が杞憂ではなく、実際に盗まれていたと思ったほうが自然な気がする。


「だけど……、どうしよう。盗まれちゃってるのなら、もう隠す意味はないのかな?」


 だとしたら、北楽さんが危険だし、必死に荷物を守った意味もない。

 事務所の空気が更に重くなるのが、目に見えるようだった。


「敵がこのプログラムを追うのは、『完成品』を手中に収めたいのか、それとも闇に葬りたいのか。それが問題だね」と社長。

「……おそらく、盗めたのは一部だけだろう。ニュースになっている案件は、実験のつもりだろうが……『完成品』が手元にあるなら、実験の必要などないレベルの完成度だ」と各務弁護士。


 うん?

 何か、引っかかった。

 そっと手を挙げる。視線が集まって、ちょっとどきっとした。


「どうしたのかな、ティコくん」

「こっそりやられるのが危険なんだよね。じゃ、さ――」


 穏やかな社長の声に促されて、ええい、笑われてしまえと思い切って、言った。


「もう、全部、公開しちゃえばいいんじゃない?」

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