■Launch(1)


 コーシカ商会は、下層住宅地区シタマチの雑居ビルに居を構えている。

 社長室はない。オフィスの一番いい席が社長の机だ。四階の、明るい午後の陽射しを遮るブラインドの前で、机に座った鷹見たかみ社長が私の名を呼んだ。


「ティコくん」

「はーい」


 社長の机の前に立ち尽くす、私。

 自分の机で据え置き端末デスクトップと電卓と格闘している青年、経理の羽刈はかり

 堂々と電子煙草タバコを吸っているお姉さん、通信手オペレーターあいさん。

 オフィスにいるのは社長を含めて四人だけだ。


 鷹見社長は、若々しい印象の、多分三十代の男性。胡散臭い笑みを浮かべた顔立ちは、日本人にしては彫りが深い。ダークグレーのスーツを着て、姿勢よく座っている様子は、それこそ、鷹が樹上で静かに佇んでいるような印象を受ける。


「二百五十二万飛んで五百八十円。何の値段かわかるかな?」

「ボーナスですか」

「先日の仕事で君に課せられた罰金の合計だ」


 中等級オレンジだったはずの罰金額は、〈紅華飯店ホテル・コウカ〉への不法侵入と、警察業務執行妨害が重なってめでたく高等級レッドへ。NFL-セキュリティの留置所で一晩過ごし、身代金もとい罰金の振り込みが確認された朝にようやく解放されたというわけだ。

 五回に四回は逃げ切れているのだが、今回はあの機動捜査官シェパードの女が邪魔だった。

 私は机の前に立ったまま、視線を窓の外へ向けて答える。


「悔しいので、次は捕まりません」

「実に頼もしい」


 鷹見社長は笑顔のまま頷くと、湯飲みに入ったお茶をゆっくりと含み味わう。

 私も机に近付いて、湯飲みの横に置いてあったカゴからお菓子をひとつ奪う。包み紙を開いて、チョコレートでコーティングされたさくさくした生地を味わった。


「相変わらず、お金持ちのくせに普通のお菓子が好きなんですね」

「日本が誇る生産技術の賜物だよ」


 ミーティングはしばし中断。

 二人でお菓子を味わい終えると、鷹見社長が居住まいを正した。


「さて、言うまでもなく、君は我が社のエースだ」

「褒められると嫌な予感しかしないので帰っていいですか」

運び屋ミュールとしての能力、実績、将来性。都市シティにおいても随一と言っていいだろう」


 真摯な意見を完全に無視して、鷹見社長は笑う。この人は常に笑っているが、笑顔にもいくつか種類があるのだ。


「その胡散臭い笑顔で言われても嬉しくないです」

「本当のことだとも。君のその実力ならば、次の大仕事も果たせるだろう」

「大仕事?」


 思わず、オウム返しに聞き返した。

 〈コーシカ商会〉は、小規模輸送、いわゆるバイク便業者だ。常勤社員六名、内一名は出張中の、零細企業である。情報はインターネットが、小包はドローンが運ぶ時代に、ヒトが運ぶ大仕事などあるのか。

 答えは、ある、だ。

 この男、鷹見社長は、何処からか大金が動く仕事を持ってくる。〈コーシカ商会〉が身の丈に合わない技術や設備を持っているのも、ほとんどは鷹見社長の人脈コネだった。

 問題は、たったひとつ。


「社長の『大仕事』は大体ヤバい荷物ブツだからイヤです」

「真のビジネスとは、危険な道を切り拓くことを言うのだよ、ティコくん」

極道ヤクザの事務所で二重スパイから証拠物件を受け取って警察企業イヌに送る仕事もビジネスっていうんですか?」

「依頼料と、警察企業からの報奨金。何よりどちらにも顔を売れた。実力を証明することこそ、何よりの広告ということだね」

「お気に入りのパーカーが穴だらけになったの、忘れてませんからね」


 振り回されている怨みを込めて睨み付けても、鷹見社長の余裕は崩れない。


「……社長、地道にこつこつ稼がないとダメですよ」

「それでは、安全な仕事で地道に稼ぐとしよう。その場合、社で立て替えた君の義足のローンは、三十年に伸びるが、こつこつ行こうじゃないか」

「うぐ」

「福利厚生の一環として出しているお菓子も、一段グレードを下げざるを得ないだろうね」

「ガンガン稼ぎますよ、社長!」

「解ってくれて嬉しいよ」


 一度たりとも崩れなかった笑顔を蹴りつけてやりたいのをぐっと堪える。落ち着け、ティコ。やるなら夜道だ。

 私の同意が取れたのが一旦の区切りだったのか、社長は机に書類を広げる。


「羽刈くん、藍くん、いいかな」

「いいように見えますか。誰かさんの滅茶苦茶な出費と、何処からかもわからない収入を必死に突き合わせてるんですが」

「羽刈くんの電卓捌きはいつ見ても素晴らしい。だが、今回の件は全社を挙げて取り組むべき案件で――」

「ああもう解りましたよ!」


 社長の爽やかな弁舌を聞かされながらでは集中できなかったのだろう、諦めた羽刈が電卓を机に叩きつけて立ち上がる。今どき、持ち運びできないどころか画面投影の機能すらない端末と、ただ計算するだけの電卓が、羽刈の相棒だ。

 藍さんの方は立ち上がりすらしない。小型の電子煙草を咥えたまま、自分のデスクからこちらを見ていた。


「そもそも、我が社をはじめとした運び屋稼業が期待されていることは何か。解るかな、ティコ君」

「私の脚線美」

「一理ある。五年後は真実となっているだろうね。だが、今はまだ違う」


 他愛のないやり取りを見つめる羽刈の瞳が、『余計な前置きを聞いている時間はないんですが?』と言いたげな剣呑な色を帯びた。社長も気付いたか、咳払いをひとつ入れ、ようやく本題に入る。


「それは、『秘密』だ」

「……電子ネットじゃ覗かれる。ドローンじゃ堕とされる。ヒトが運ぶのが一番、安全、ってところですか」

「その通り。我ら、『通信の秘密』の最後の担い手というわけだ」


 面倒そうな態度と裏腹に、意外に付き合いが良い羽刈の言葉。我が意を得たりと、社長が頷いた。確信が籠った深い頷きは、むやみな説得力に満ちている。


「そして、我が社はティコ君の加入以来、多くの『秘密』を運んできた。先ほども言った通り、その証明たる実績こそが我が社の強みだ」

「で、今回の仕事は?」


 長口上をばっさりと切り捨てる、硬質な言葉の刃。藍さんの発言はいつだって憤りイライラと鋭さに満ちている。

「以前のお客様の紹介でね。ベンチャー企業〈スピカ〉から、極秘裏に情報プロダクトを運んでほしいと依頼があった」

「〈スピカ〉?」羽刈が眉をひそめる。「人工知能A I系の、結構名があるところじゃないですか」

「いかにも。正確に言えば、会社からではなく、社長直々のご指名だが」

「あそこの社長っていうと、凄腕の人工知能技術者オラクルでしたね。新型のAIでも開発したか」

専門的オタクな話はその辺にしてよー。荷物は?」

汎用サイズ100×70積層記憶媒体ボックスが二点。直接の受け渡し。送り先は都市内、受け渡し時に指定。機密の運搬では妥当な条件だね」

保護セキュリティバッグ担いでいかないとダメだねー……あれ、重いから嫌い」

「送り先が解らないのが面倒だな。急ぎじゃないなら一旦戻るか?」

「わざわざ私たちを雇うような荷物、抱え込むのは危ないでしょ」

「それもそうか。〈スピカ〉くらい技術力ウデがあるベンチャーなら、融資つばを付けてる企業がいるはずですが、社長?」


 あらゆる分野で、ビジネスは加速している。予測不可能VUCAなどという単語がもてはやされ始めたひと昔前と比べても、その速度はけた違いだ。その速度に対応できない企業は、淘汰されてきた。

 特に技術が関わる分野において先陣を切るのは、ベンチャー企業たちだ。彼らは新たな発想で、磨き上げた技術の刃で、道を切り拓く。


 大企業も、無論、技術開発は行う。だが、その最も大きな役割は、ビジョンを示すことだ。目指す世界、新たな社会とはどうあるべきか、というビジョンを。言い換えるなら、それは解くべき問いを示すことだ。そしてビジョンの実現に向けて情報を収集し、投資し、仲介する。

 ……みたいなことを、羽刈が言っていたのを思い出す。正直、下っ端も下っ端の私には良く解らないけれど、世の中はそうやって動いているらしい。羽刈だって同じ位置にいるはずなのに、随分遠い社会ところを見ているのだとちょっとだけ感心したものだ。


「つまり……〈スピカ〉っていうのは結構いい感じの会社で、大企業がバックにいる可能性が高いってこと?」

「実に妥当な推測だ」


 勿体ぶって、社長が頷く。表情は、悪戯めいた、楽しそうな笑顔。


「我々のような、機動力に長け、しがらみに捕らわれない組織に頼る必要がある状況。新進気鋭のAIベンチャーに『何か』があった……そこに、ビジネスチャンスがある」

「弱みに付け込む?」

「課題を解決する、と言いたまえ」


 背景の共有は終えたと判断したのだろう。社長が全員を見回し、楽しそうに笑ったまま、宣言する。


「羽刈君、特にAIに関連して情報収集を。藍君、〈スピカ〉社屋周囲の下調査を頼むよ」

「うーっす」

「はいはい」

「ティコ君。どのような状況に陥っても走れるよう、念入りに調整を受けてくれたまえ」

「了解!」


 号令一下、私たちは動き出す。

 獲物に襲い掛かる瞬間を待ち望む獣のように、今は爪を研ぐ時間だ。

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