摩天楼スイングバイ

橙山 カカオ

■Opening:あるいは日常

 夜が、好きだ。


 地面を流れる自動車の前照灯ライト、空中に揺れるドローンの航空灯ライト。けばけばしく光る看板ネオンに、踊り狂う立体光学広告ホロ、視界の中だけに存在する拡張現実広告エアラッド。ビルを彩る、営みと残業の明かり。夜の都市シティは、光に満ちている。本物の星なんて見えないけれど、光の中を走ると宇宙を旅している気分になれるから、私は夜が好きだった。

 運び屋ミュールをやっていると、昼も夜も都市を駆けずり回ることになる。なんとなく、夜の方が、本当の都市の顔という気がしていた。


 ただ、刺々しい波をぶつけてくるドローンは、嫌いだ。ビルからビルへ飛び移る時、不躾な赤外線で私を見つめていたドローンを蹴り飛ばしてやった。視界の中央に捉えても所属や飛行ルートが表示されないやつは、大抵は報道屋パパラッチが飛ばす未申告の闇ドローンモスキートだから、壊しても罰金は発生しない。


「やーっ、あはは!」


 三週間前に新調した義足あしは、ようやく馴染んできた。今夜は久しぶりに、本気で走っても良さそうだ。

 夜の明かりをわずかに照り返す、艶消しされた白色の大腿義足。右太ももの外側に、赤い歯車の企業ロゴエンブレム。太ももの途中からつま先まで、私の脚は造り物だ。

 白とオレンジのスニーカーを履いた足から、隣のビルに着地した。勢いを殺さず、狭いビルの屋上を蹴り、再び空中に身を飛ばす。遠くに、暗い海。眼下にきらびやかな都市の夜景。丸いドームを囲む公園にはちらほらと、寄り添う人影が見えた。

 都市の風景を楽しむ猶予も一瞬。目前に、レンガ風の素材と大きな窓で彩られたホテルの壁面が迫る。

 身を捩って、ホテルの壁面に足を当て、四十五度ほど傾いて着地。斜め下へ向けて緩やかに落ちながら疾走する。重力加速度というやつは最低の友人で、一生の腐れ縁だが、速度が得られるのは悪くない。身体が傾き切り、疾走が落下に変わる直前に、思い切り壁面を蹴り付けて跳んだ。


 姿勢を整えるために緩く回転する身体が、一瞬、ホテルの窓に向く。

 グレーのパーカーに、小さめのバックパックを背負った少女わたしが映り込む。金に染めた髪を高い位置でくくって、一本にした髪型だ。黒のショートパンツからのびる太ももは、中程から義足の接続部クッションで隠れていて、その下に伸びる白い義足が一番目立つ。

 よく生意気そうと言われる顔には、挑戦的な笑み。我ながら、獲物を前にした猫のような、楽しそうな笑顔だった。ここしばらく、義足の習熟リハビリで少し控えめに走っていたから、久しぶりにお気に入りのこのルートを使うのが楽しい。


 自分の姿を見ていたのも一瞬。足が下になるように姿勢を整えて、ホテルのそば、丸いドームの屋根に降り立った。深く腰を沈めて衝撃を溜めに変え、走り始める。下からは屋根を通して歓声が聞こえる。どれだけ技術が進歩しても、人間は球遊びが大好きらしい。

 中央が高い丘状の屋根を真っ直ぐ駆け抜けようとすると、進行方向に警備装置セキュリティが立ち上がったのが見えた。脳裏に、にゃん、と猫の声が響く。

 私の脳と脊髄に噛み付くように埋め込まれた神経接続装置『リンクス』が発した警告音アラートだ。通常設定の警告音はあまりにも可愛くないので、制限解除ジェイルブレイクして猫の鳴き声に変えてあった。


「げっ、音波銃バンシー!?」


 いつの間にか、警備装置が電気銃マッサージャーから変わっていた。流石に、音より早くは走れない。S字走行スラロームを入れて狙いを外し、ドームの屋根を降りる。


「くそぅ」


 悪態を置き去りにして、樹脂舗装道路プラロードへ降り立った。降りるだけでも二秒のロスだ。

 しばらく跳躍の必要がないから、歩幅を大きめに脚を回転させる。走りながら脳裏で軽く地図を確認。目的地は四区画先、〈紅華飯店ホテル・コウカ〉の605号室。予定外に地面グラウンドに降りてしまったから、どこかで高度を稼がないと。

 ビルの上とは違って、地面には多くの人が行き交っていた。優雅に歩く人混みを、縫うように駆けていく。途中、ビルの隙間の死角でドレス姿の女を自動車に押し込もうとしていたバカがいたから、ハイジャンプして手近なドローンを掴み、投げ落としてやった。


 にゃん。再び、リンクスが鳴いた。

 今度の警告は警察企業イヌからだ。圧縮された警告が、一気に思考を埋める。警察企業の特権、拒否できない短距離通信ウィスパーが、勝手に展開された。


 私有地立ち入り。

 空中移動ルート非申告。

 ――知るか。

 徒歩速度違反。

 ビルの壁面、ドームの天井への損害。

 ――うるさい。

 ドローン破壊と、他者への傷害。

 ――最後のは人助けだ。


『罰金に応じますか?』


 脳裏に浮かぶ親切な問いかけに、ノーを叩きつける。

 瞬間、都市の空に浮かぶドローンのうち、ダサいブルー&ホワイトのものが敵に回った。


「そこの女性、停まってください。こちらはNFL-セキュリティです」


 拡声器を通した、女の声が響いた。通行人たちが脚を止めてざわつく中、目立つのは覚悟で走る速度を上げる。

 視線を巡らせれば、車道を走る一台の大型バイク。跨っているのは小柄な女だった。白と青のプロテクター付き制服は、都市の治安を請け負う警察企業、ニューファンドランドN F L-セキュリティの機動警察官シェパードのものだ。

 なぜかお決まりのフルフェイスヘルメットを被っておらず、眼鏡をかけた、少々幼い印象の顔と、短い黒髪を露にしていた。三角形の犬の耳のような飾りがついたカチューシャで、髪を押さえている。……と思ったら、視界に『最先端頭部保護装備の治験中。ヘルメットの装着は法律上の義務です』との案内が出た。


「罰金の案内が行っていますね。中等級オレンジですので、速やかに支払いに応じれば拘束することはありません。すぐに……」


 警告の声は丁寧で、眼鏡越しの視線は生真面目な印象だった。絶対に話が合わないタイプの女だ、と直感する。元々払う気は一切なかったが、大人しく従う気も失せた。

 ちろりと唇を舐めて、脳裏でルートを思い描く。元々のルートにアレンジを加えて、追ってくるバイクとドローンを撒かなければならない。


「あっち通って、こう行って、最後は跳んで、よしいける」


 港湾地区ミナトは庭みたいなものだ。空中へ至るルートは、身体が覚えている。身体でしか覚えていないから、毎回その場でアレンジしていくことになるが、それが警察企業に捕まらない秘訣でもあった。


「停止しないのであれば、罰金不同意と判断し、拘束します!」

「上等!」


 振り向いて、ベー、と舌を出してやる。そのまま身体を回して方向を変え、狭い路地へ入り込む。ビルの隙間、怪しげだがどこか温かみのある飲み屋や占い師の看板の下を走り抜けて、一本向こうの大通りへ。大通りへ出た瞬間に警察企業と報道屋のドローンに囲まれたが、場所が分かってもバイクでこっちに回ってくるのはしばらくかかるはずだ。

 警察企業の巡回ドローンパトローンはあくまで監視用で、拘束装備ぶきは持っていないし、速度もそこまで速くない。代わりに数が多いが、都市全体をカバーしなければならないのだから、私だけに割ける数はそう多くはないはずだ。脅威ではない。

 数台のドローンを引き連れて走る。歩幅は小さめ、刻むように。ドローンの一部はついてこれずに脱落し、代わりに騒動トラブルの気配を嗅ぎつけた報道屋と野次馬のドローンが行列パレードに加わる。

 途中、行きつけの屋台の前を通りがかり、蒸しあがったあんまんをかっさらった。リンクスを通して代金を払い込んでおく。食い逃げは罰金無視よりよほど恐ろしいことになりかねない。はむ、と咥えて、『今日の蒸し具合も最高クール!』の一言も忘れずに。


「おいひ」


 熱々のあんまんを味わう。中の餡は漆黒、ごまの気配が香ばしい。私が知る限り、艶やかエロスという言葉が最も似合う存在だ。蒸気機関車レトロスチームのように、白い湯気がたなびいた。


「見つけました! 停まりなさい!」

「むっ」


 予想よりも二段ほど早いタイミングで、白いバイクが追いついてきた。眼鏡に夜景を煌めかせて、こちらを的確に追い詰めてくる。若いくせに……私とそう変わらないけれど……さすがは機動捜査官、実力はあるようだ。

 無視して走っていると、女が腰から警棒を抜いたのが見えた。


「もう実力行使!? 警察企業の横暴おーぼーだ!」

「停止すれば攻撃はしません!」


 バイクが加速し、歩道を走るこちらを先回りするように前へ出る。歩道までは乗り込んで来ないが、このまま無策で追われ続ければ、捕まる。

 スニーカーの底で道路の樹脂をしっかりと掴みグリップ、一気に方向を横へ。バイクを先に行かせて、その後ろをすり抜けるように車道へと飛び出る。自動車が来ていないのは義足のセンサーで確認済みだ。


「……はッ!」

「ととっ!?」


 機動捜査官の女が身をひねり、後ろを振り返る姿勢で警棒を振るってきた。無理な態勢にも関わらず、振りは鋭い。

 咄嗟に脚を上げ、スニーカーの底で警棒を受ける。ばちん、と、宙に電気が迸った。人間も機械も痺れさせる侵蝕電流グレムリンを、絶縁仕様の底部ソールで防ぐ。眼鏡のレンズを通して、視線が絡む。受けた脚を縮めて力を溜めながら、間近で見た真剣な表情に、思わず囁いた。


「へえ、意外と可愛い」


 脚を伸ばす。警棒を蹴り飛ばす反動で、私も加速。打ち返されたボールのように吹っ飛んで、車道を突っ切り、逆側の歩道へ。勢いのまま走り抜けた。


「ばいばい!」

「っ、待ちなさい……!」


 角を曲がって視界を切ったところで、張り出したカフェの屋根に飛び乗り、その上の階へ。わざわざテラス席で都市の星を楽しむ酔狂な連中の頭上を通って、別のビルの非常階段に飛び移り、高度を稼いでいく。

 電流はスニーカーがしっかりと散らしてくれたようで、義足に不調はない。とはいえ、さっきのやり取りは不意打ちのようなもので、次はもっと追い詰めてくるだろう。

 階段を登り、屋上へと移動しながら少し考える。あれを撒くには、ちょっとだけ無茶する必要がありそうだ。


『藍さーん。送り先に「窓、開けといて」って伝えて』


 無線で本社に連絡する。通信手オペレーターの藍さんから、面倒そうな受諾はいはいの返事。警察企業にバレないように秘密の手紙を回してくれる、頼もしいお姉様だ。

 手元のあんまんを完食する。ごちそうさまでした。ビルをいくつか飛び移り、ちょうどいい場所を見つけて、軽く屈伸ストレッチ。追いついてきているドローンは三台で、一台はNFL-セキュリティのものだ。


 ビルの屋上の縁に立つ。夜風が心地よい。夜の都市、星の群れを、しばし見下ろす。


「行こう」


 義足に命令を送り、足首の力だけで跳ねた。

 ドローンの動体検知を誤魔化すには、人間離れした動きをするのが効果的だ。一瞬こちらを見失ったドローンを置き去りにして、私は屋上から飛び降りている。足をたわめて、ビルの壁面を蹴る。落下の動きが、九十度変わって横への動きになり、隣のビルの屋上へ向かう。こちらの動きは、バイクからはビルの影になって見えないはずだ。

 隣のビルの屋上とは十階分ほどの高低差があった。しゃがみ込むようにして衝撃を抑えるが、足りない。膝の関節から、液状の衝撃吸収剤アブソーバーが噴き出して、義足と身体へのダメージを減らしてくれた。許容重量ギリギリだとか、衝撃吸収剤の残量が二十パーセントを切ったとか、義足が文句アラートを吐くが、無視。しゃがみ込んだ状態から勢いよく走り出す。


 大通りを挟んだ向かい側に、〈紅華飯店〉の煌びやかな赤い看板が眩しい。

 強く、鋭く踏み込む。加速。加速する。全てが置き去りになって、向かう先だけが世界となる。

 今なお世界を支配するニュートン先生の教えに従い、十分な速度、完璧な角度で、ビルの端を踏み切って跳んだ。

 今夜の最高速度で飛び出した空中、星の中に飛び込む。


 一瞬の無重力。ここは、宇宙だ。


 勘で追い付いてきたのか、道路からあっけに取られた顔でこちらを見上げる、機動捜査官の女と目があった。

 笑う。涙が浮かび、散っていく。

 私の声は、都市の誰にも届くことはない。

 ……流れ星のような勢いで、ギリギリのタイミングで開かれた窓に飛び込んだ。待っていたのは宇宙の果てではなく、狭いホテルの部屋と、驚きに固まっている男が一人。


 仕方なく、私は仕事ジョブに戻る。

 たぶん、世界の狭さに挑むような笑顔で。


「窓開けてくれてありがとね、おにーさん。迅速、丁寧、〈コーシカ商会〉です。お荷物、お届けに上がりました!」


 ――荷物を預けて部屋を出ると、廊下に、機動捜査官の女がいた。

 汗だくで、息を切らし、胸を押さえている。

 まさか、あのタイミングで六階まで走ってきたのか、この女。機動捜査官のバイクスーツは軽量とはいえパワーアシストスーツだったはずで、それなりに重いはずだけど。


「……ぜ、……はっ、……NFL-セキュリティ、です。あなたを、逮捕します。……ずいぶん楽しそうに、泣いていましたね」

「……やるじゃん」


 流れ星の声を聞き届けてくれる人も、たまには、いるみたいだ。


「パーソナルID確認、鍋島 綴子ていこ。逮捕します」

「その名前、おしとやかすぎて似合わないんだよね。ティコって呼んで?」

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