第21話 仕事はいつも突然に
やることが増えた。
猫惨殺事件の犯人を捜しつつ、リモの友達である日和ちゃんを捜す。
最後にその日和ちゃんに会ったのはあの喫茶店のマスターだから、あの人にもう一度会いに行った方がよさそうだな。
そんなことを考えていると、臨がお盆を持ってやってきてパスタがのった皿をテーブルに置いた。
ミートソースのスパゲティだ。
トマトと肉の匂いが空腹を刺激する。
そしてリモ用に、果物や野菜がのった皿が置かれた。
「おぉ! 臨さん、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げたリモはぴょん、と僕の膝から下りて二本足で立ち上がり人参を掴んだ。
「紫音、食べよう」
言いながら臨は僕の隣に座る。
僕は手を合わせて、
「いただきます」
と言い、白いスパゲティの皿を手に持った。
半分ほど食べ終えたころ、不意に臨が言った。
「ねえ紫音。今夜だけど……」
「ヒトウバンに会いたいって言うんだろどうせ。嫌だよ僕は」
げんなりと言うと、臨は苦笑する。
「あ、やっぱりそう言うよね。気にはなるんだけどなあ」
「社で会ったおばあさんはヒトウバンが目撃されたのは夕方だって言ってたじゃねえか。なら別に夜じゃなくてもよくね?」
そう僕が言うと、臨は顎に指を当てた後笑って言った。
「言われてみればそうだね。じゃあ夕方に行こうか」
どうせ止めたって臨は来たいって騒ぐことが目に見えている。それならせめて夕方がいい。夜は二度と嫌だから。
でも適当に行って会えるだろうか、そのヒトウバンに。なんかあやかしの類が現れる時ってなにか法則があるんじゃないかって思うけど、どうだろう。
疑問を臨にぶつけようと思ったけど、楽しみだな、なんて彼は呟いている。
……このところこいつ楽しそうだな。
こんなに生き生きしている臨を見るのは初めてかもしれない。
その時、テーブルの上に置かれた僕のスマホがぶるぶると震えた。
僕はスマホを手に持ちロックを解除してメッセージが来ているのを確認する。
相手は精神科医の真梨香さんだった。
『仕事と、例の件どうなったか教えてくれる?』
日曜日に仕事は珍しいな。
僕はメッセージを入力して返事をした。
『わかりました、すぐ行きます。例の件はそちらに行ったら報告します』
そう送るとすぐに返信があり、よろしく、とだけ書かれていた。
僕の仕事は本当に不定期だ。
数日続いたり、一週間以上空いたりと。
続くとさすがに僕の身も心も保たないから、なるべく日を空けるよう、お願いはしてるけれどそうもいかないことが多々あった。
「臨」
顔を上げて名前を呼ぶと、臨は笑って言った。
「仕事でしょ?」
「うん、行ってくる」
そして僕は立ち上がりリモを見た。どうしよう、こいつ。
病院に連れて行ったらまずいかなあ……まずいよなあ。リモは首を傾げて迷う僕を見上げている。
「おや、お仕事なのですか?」
「そうなんだけど……」
「暇だし、俺も一緒に行くよ。どうせあの山は大学の裏にあるんだし。リモは紫音のバッグに入れておけばいいでしょ。連れ込んで大丈夫かはわからないけど」
言いながら臨も立ち上がりリモを抱えた。
「お仕事と言うのは病院でしたっけ?」
リモには以前、僕の仕事について話したことがある。
「そうなんだけど。だからリモを連れ込むとまずいかもしれないから、臨と一緒に大人しくしていてほしいんだ」
僕が言うとリモは勢いよく頷いた。
「わかりましたとも! バッグの中でじっとしておりますですよ!」
そこはかとない不安を感じるけれど、リモは自信満々な顔をしているしここに置いていくわけにもいかないので、ショルダーバッグの中でじっとしていてもらうことにした。
時刻は十四時を少し過ぎていた。
日曜日の病院はそこまで騒がしくはない。
面会の時間であるため、見舞いと思われる人の姿が多く見られた。
静かな病棟の廊下を僕はひとり歩いていた。リモと臨は僕がいつも使っている仮眠室で待ってもらっている。
僕が呼ばれたのは外科の病棟だった。
いつものようにノックをせず扉を開けると、ベッドに腰かけた茶髪の男性が目に入った。
彼は驚いた顔をして僕を見ている。
そして、ベッド横には白衣を着た真梨香さんが立っていた。
「紫音君」
真梨香さんは僕の姿を見てにこっと笑う。
「今日はその人?」
「えぇ」
頷き答え、真梨香さんはベッドから離れる。
男性は不安げな目で僕を見上げて言った。
「あ……貴方があの、先生が言っていた人……?」
不審そうな目で見られるのはいつもの事だった。
僕は見るからに高校生だもんな。
そりゃ不安に思うだろうけど、僕がすることは変わらない。
「ねえ真梨香さん、やっていいの」
「えぇ、大丈夫よ。事故の裁判は終わったし、彼がその記憶を持ち続ける理由はもうないし本人も望んでいるから」
「あ、あの、ちょっと待ってください」
真梨香さんの言葉にかぶせるように、男性は言った。
少し声が震えているけど何でだろうか。
彼の顔を見ると、不安の色が浮かんでいる。
「本当に、全部忘れるんですか?」
「えぇ。まあ、何かのきっかけで思い出すかもしれないことは否定できないけど、今までの患者を見た限り消した記憶を思い出した人はいないわね」
真梨香さんが淡々と告げると、男性は俯いてしまった。
「そう、ですか」
なんなんだろう、この人は。
僕が呼ばれたってことは彼はその記憶を消したいと自ら望んだはずだ。
今になって悩み始めているんだろうか。
彼は俯き手を組んでしばらくした後首を横に振り、ゆっくりと顔を上げて僕の顔を見た。
その表情はとても悲しげで、正直僕は早くこの場から早く逃げ出したい衝動に駆られた。
なんでそんな顔で僕を見るんだよ。
僕はただあんたの想い出を消すだけなんだよ。
「すみません、俺が望んだことではあるので……でも土壇場で迷っちゃって」
「その記憶を持ち続けることが貴方ののちの人生にプラスになるわけではないのよ。話したわよね。人は生きていくのに必要のない記憶は忘れていくものなの。死にかけた記憶なんて覚えている必要なんてないのよ」
「そう、ですけどでも……妻の事やそのお腹の中にいた子供の事を忘れるのは……まだ思い切りが付かなくて」
男性の言葉に、僕の心臓が鷲掴みにされたような気がした。
今、確かに言ったよな。
妻と、お腹の中の子供って。
まさかあの幽霊の……?
そんなこと……あり得るか。
事故の裁判がって言っていたし。裁判の期間がどれくらいかかるものかは知らないけど、数か月とかじゃないだろう。
この人はあの幽霊の夫なのだろうか?
でもそれを確認するすべはない。
「まだ後戻りはできるわよ。貴方が望まないのならそのまま事故の記憶を持ち続けるだけ。決めるのは貴方自身よ」
真梨香さんの口調はかなりきついものだった。
本人が望まないのなら僕は記憶を消さない。
僕はあくまで本人の希望で記憶を消すだけだから。
彼は再び俯き、しばらくしてから首を振り涙の浮かんだ目で僕を見つめた。
「想い出は全て処分しました。いつまでもこのまま立ち止まってはいられないから。なので……お願いします」
そして男性は頭を下げた。
想い出はすべて処分した。
そうなるまでどれだけの時間を要したんだろうか。
僕は戸惑い、でもこれは仕事だと自分に言い聞かせて男性に歩み寄りそして、その頭に触れた。
すると彼の記憶が一気に僕の中に流れ込んでくる。
交際当時の記憶、プロポーズ、妊娠した事、結婚式……そして、すぐに訪れた交通事故。
そこにいた女性の姿は、あの幽霊に似ているような気がした。
僕は彼から手を離し、首を振り彼に背を向けてよろよろと歩きだす。
「紫音君、大丈夫?」
背後に真梨香さんの声が聞こえるけれどそんなの構っていられない。
まだ僕の中に彼の記憶が渦巻いている。
彼が忘れたかった記憶の女性……事故のあった日に着ていた白いセーターはあの幽霊の着ていた物と同じ気がする。
早くこの場から離れたくて仕方なかった。
僕は足早に廊下を歩きいつもの仮眠室に行く。
よほど僕の顔色が悪かったのだろう。
廊下をすれ違うスタッフに何度も声をかけられたけれど僕は何も答えられなかった。
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