〔完結済み〕カエルの大学 ✕ 世界のマホウ

弥良ぱるぱ

CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨

prologvs. 目覚めのお茶会

 大学街はまだ濃い夜の中にある。


 点在する照明石の薄ぼんやりとした光が、街の輪郭を辛うじて照らしていた。


 石畳の広い通りに、土塗りの家々が立ち並ぶ。


 通りに面した建物には巨大なとも取れる回廊が設けられており、行き来する僅かな人影はまるで橋の下を泳ぐ魚のようだった。


 遠くから街の様子を眺めていると、焦点がふと眼前のガラスへと移る。外の世界とを隔てる透明な鏡には、まだ眠たげな私の顔が映っていた。


 嫌気が差すほど幼い見た目。


 ろくに整えていない栗色の長髪……なのだが、後ろ髪だけは男性みたく反り上がるほど短かい。


 顔立ちは母親譲りで整ってはいるものの、早朝のためか多少のバラツキがある。


 世の中には童顔という言葉もあるが、私の場合は顔だけでなく、後ろ髪も、体も成長してくれないのだ。


 年齢でなら、もう立派な大人なのに……。


 眺めていても変わることのない自分に愛想が付き、気晴らしに室内へと視野を広げた。


 端的に言い表すなら几帳面な雑多。


 壁には様々な薬草が種類ごとに掛けられているのに対して、机の上には大小さまざまな本や書類が山積みになっている。


 まるで家主の内面を具現化したかのようだった。


「コルダ君、おまたせー」


 中性的な優しい声が部屋の奥から伝わる。


 続いて姿を現したのは、抽象化されたアマガエル。


 この世の知識を溜め込んだ容姿は、ぬいぐるみのようでいて実に愛くるしい。今は十分に貯蓄したお腹を使って、ぽよんぽよんと跳ねていた。


 すぐ後ろには浮遊する二つのカップが付いてきており、ふわりふわりと漂う様子は見ていてとても心配だった。


「先生、手伝いますよ」


「いいからいいから、そのままで」


 一抹の不安を残しつつ、先生は無事に私のいる机へと到着した。


 椅子のいらない先生は私の対面に着地し、カップ達もそれぞれ追従する。


「熱いから気を付けてね」


「ありがとうございます」


 促され、目の前に置かれたお茶に口を付ける。


 複雑な味がしながらも、不思議と統一感があった。


「ここの生活はもう慣れた?」


「はい……で、でも叔父さんが帰っちゃって」


「帰った? うーん。大体は帰るのが面倒だからって住み着いちゃうけど……。まぁサウロ君の事だし、君を思っての行動だよきっと」


「そう……だと思います」


 先生の優しい言葉とは裏腹に、私の内心は乱れていた。


 叔父さんはもういない。


 物心が付いた頃から二人で暮らしていたものだから、いざ一人暮らしとなった今、生活のあらゆる面で彼の偉大さを痛感している。


 けれど、これも全て私が望んだこと。


 一人前になるためだ。


 そもそもルパラクルにやって来たのは、魔法使いである叔父さんの影響だった。兼ねてより魔法について関心があった私は、いつしかここで学んでみたいと強く思うようになっていた。


 見た目は子供のままだけど、きっと中身は変えられるはず。


 だって心から成長したいと思えた夢の場所だったから。


「でも……」


「? 他に悩み事とか?」


「……」


 不意に口を閉ざしてしまう。

 誰にでもある悩みなのだが、私にとっては恥ずかしい悩みでもある。


 けれどこうしているうちに、部屋の空気はみるみるうちに醒めていく。先生との会話、ひいては沈黙に耐え切れず、とうとう重い口を開けた。


「……ご」


「え?」


「……迷子、です」


 それを聞くなり先生はケラケラと笑い始めた。


「子供じゃないです、もう大人です!」


「その分なら、あまり深刻ではなさそうだね」


「違うんです。その……初めて先生の部屋に来た時の事、覚えてますか?」


 思えば数ヵ月前のこと、叔父さんの少しだけ高い背中を追いながら、歩きに歩いて辿り着いたルパラクル。風も、匂いも、街並みも、随分違うこの街で、私はさっそく迷子になった。


 通常、迷子というのは自身の不注意から起こる事故のようなもの。


 はぐれたのなら、すぐに追えば済むことだ。


 しかし私の場合は厄介で、はぐれる直前に意識が途切れ、見知らぬ場所にて目が覚める。


 当時も叔父さんと一緒に通りを歩いていたかと思えば、いつの間にか見知らぬ部屋の前に立っていた。


 暗くて長い廊下の末端。すぐさま押し寄せる不安の波に、私の心は大いに揺れた。目頭の堤防が崩れつつある中、助けを求めて入ったみさきがこの場所だった。


「よく覚えてるよ、でも結果的には良かったでしょ?」


「そうですけど……。でも、次にいつ起るか分からないんです。それが怖くて怖くて……」


「うーん。だけどボクも付きっ切りでは居られないしなぁ」


 それはそうだ。


 先生には迷惑を掛けられないし、もし仮に迷子の監視役だなんて付けられてしまったら、それこそ本物の子供じゃないか。


 叔父さんはわざわざ帰ってくれたんだ。


 私の我が儘ままのために。


「でもここでの勉強は続けた方が良いよ。それにもしかしたら“迷子を治す魔法”だなんてあるかもしれないし」


「それはホントで!――」


 ――ガシャン、バシャ。


 身を乗り出した体勢から、ぎこちなく視線を下げてみる。すると床には無残にも破片が飛び散り、お茶が辺りに撒かれていた。


「あ……ご、ごめんなさい!」


「大丈夫だよ。あ、そうだ。折角なんだし魔法で直してみない? 復習と思ってさ」


 先生の助言に感謝し、早速魔法の準備に取り掛かる。


 首に掛けていた学章を取り出す。にび色に輝く鉄製のそれは、片側には先生の横顔、もう片方には睡蓮がかたどられている。ルパラクルの学徒としての証と同時に、魔法を発動させる触媒の役割も担っていた。


 学章を握りしめ、静かに呼吸を整える。


 想像するのは割れる前のカップ。それも私に出された直後のものだ。


 素焼きの容器はザラザラで、まだ土の面影を残している。そこにはアツアツのお茶が注がれており、多量の湯気が立ち上っている。


 よし。


 頭の中の風景には、既に完璧なカップが


 今度は妄想を形にするべく、崩さぬように、こぼさぬように、言葉へと置換する。


「《――necto接続〔割れてないカップ。完璧なカップ〕eratあった――》」


 目を開けると、そこには元通りになったカップが置かれていた。中身のお茶も運ばれてきた時と同様、なみなみと注がれている。


「やった!」


「良い感じだね、これなら――」


 ――パキリ、


 ばじゃり。


 不穏な音を響かせたかと思えば、カップは再び割れた姿に戻ってしまった。


 卓上には空しくお茶が広がっていく。


「割れてた頃の記憶が邪魔をしちゃってたのかもね」


「……悔しいです」


「悔しさと羨ましさは最高の燃料だよ、特に学徒にとってはね。それにそろそろ授業が始まる時間じゃないかな」


「えっ、もうそんなに」


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


 実感は全く湧かないけれど、それでも現実は待ってはくれない。


「大丈夫、片付けはこっちでしておくから」


「あっ、ありがとうございます」


 急いで鞄から飛び降りる。


 椅子に載せていた鞄を引っ張ると、そのままぷかぷかと宙に浮く。


「じゃあ、行ってきます」


「うん、君の成長を楽しみにしてるよ」


 屈託のない笑顔を浮かべる。


 喜ぶ先生に対して、私は大きな心残りと共に、たくさん物が詰まった鞄をいそいそと引っ張っていった。






 ひんやりとした風が頬に触れる。


 暖かな室内にいた分、外の世界は幾分か冷たかった。


 澄んだ空気を頬張りながら、そっと街を眺める。


 点在する照明石の淡い光は、既に夜の闇と共に去っていた。屋根瓦は赤茶に焼け、壁は黄土色に塗られ、石畳はにび色に染まる。


 まるで上から少しずつ、色が降ってくるようだった。


 大学街に朝が来る。


 なんてことない、この街の目覚め。


 ただ普段と異なる点があるとすれば……


「……ここ、どこ?」

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