秋の勉強(2)
「陸玖、どこに行ってたの!」
久しぶりに玄関から家に戻ると、母さんが声を荒げた。
「皓也の家。かぼちゃケーキ焼いたって言ってたから」
「まったく、もうそろそろ中間テストでしょう。平均点取れなかったらスマホ没収だからね!」
スマホ没収はさすがに困る。平均点くらいは超えられるだろうが、どうせなら少しでも高得点を取って母さんたちを見返してやりたい。そう考えると皓也の提案も悪くはないような気がしてきた。
その日は、俺が大嫌いな家庭科があった。しかも一番眠くなる五時間目に。不器用だし料理なんて絶対無理だし、しかもテストが恐ろしいほど難しい。
付け加えるならば先生が恐ろしく残念だ。
そのせいかほとんど三、一つか二つ四がある通知表の中で、技術家庭科だけは二だった。
「市川君、寝ちゃだめよ!」
五十過ぎなのにフリルのたくさんついたワンピースを着ている家庭科の先生の甲高い声で俺ははっと目を覚ました。
彼女は冗談で「永遠の二十歳」と自分のことを称すが、割と本気でそう思っているのではないかと俺は最近疑うようになった。
なにせ週に一度の家庭科の授業ではフリルが恐ろしいほどついたスカートに大きなリボンがついたピンク色のポシェットが標準装備なのである。
さらに、指輪を両手に二、三個ずつ、よくわからない天然石とやらがごろごろしたネックレスまで三本もつけている。
こくんこくんと首が揺れるのを目ざとく見つけられたらしい。俺は一番後ろの席なのに何とも視力のいいことだ。さすが、「永遠の二十歳」である。
「すいませーん、そこのやつに睡眠薬盛られたみたいでーす」
近くの席の人を指さして冗談めかして言ってみたら、クラスは静まり返っただけだった。――やっぱり滑ったか。……ちょっと待てよ、滑ったんじゃない。みんな寝ているんだ!
よく見るとクラスの大半は眠そうな顔をしていて、なんと机に突っ伏して寝ている人までいる。おいおい、俺はまだましな方じゃないか。前言撤回。やっぱり視力なんて良くなかった。
良いんだ、今日は部活が終わったら皓也に勉強教えてもらえるんだから。勉強は嫌いだけど、皓也に教えてもらえるなら嫌じゃない。
仕方ないから、俺は落ちそうになるまぶたを強引にこじ開けて真面目に授業を聞いているふりをした。
きついバスケ部の練習が終わり、それでも俺は家まで走って帰った。息を切らしながら皓也の家の窓を叩く。
「っこ…や……、来た、よ」
「陸玖」
皓也はもう帰って来ていて、すぐに窓を開けてくれた。
「卓球部の方が少し早かったね」
「バスケ部が、っ遅くなったんだよ…っはぁ、はぁ……」
「で、陸玖、勉強道具は?」
言われて俺は、帰るなり直接皓也の家の窓を叩いたことを思いだした。
「――あー……!」
「取ってきなよ」
皓也はそう言いながらくすくす笑っている。俺は裸足のまま窓から出て、勉強道具を取ってまた皓也の家の窓から入った。
「お帰り」
「今度はちゃんと持ってきたから! 今日は、数学と社会」
「……筆箱は?」
「――あああー! もう嫌だー!」
昨日も同じようなことを言ったなと思いつつ、俺はまた窓から庭に下りようとする。
「いいよ、俺の使えばいいから」
あきれたというように皓也は引き出しから自分の筆箱を出した。でも、その目は全然不機嫌そうではなくて笑ってさえいた。
まずは数学から教えてもらうことにして、俺はノートを開いた。
「ああ……。まずは、ノートの取り方も変えた方がいいかもねえ」
皓也はパラパラと数ページ見て言った。
「え? 板書うつしてるだけだけど……」
「えっと、板書って必要最低限のことだけなんだよ。それだけ見返してもなんのことだかわからないでしょ。だから、先生が言ってたこととかちょっとメモしておくとだいぶ違う」
いつもは物静かで自分ではあまり長く話さない皓也が、スイッチが切り替わったように詳しく解説している。得意分野の話になると皓也も違うのかもな、と俺は思った。
「そうなんだ。――ねえ、皓也のノート見せてくれない?」
「え? 俺の、ノート?」
皓也は戸惑いながらも見せてくれた。一目見て、俺は言葉を失う。
一ページを埋め尽くすほどの量が、色ペンなども使って少し見ただけでわかるようにまとめられている。
矢印を伸ばしてポイントなども書き込んであり、その丁寧さは横に置いてある俺のノートに目をやると恥ずかしくなるほどだった。
「もう、ノートの話はこれでいいでしょ。問題解こう、どこが分からないの」
「文章題とかほんと無理! 式からわかんねえし、計算ミスもするし」
定期テストの数学は大問一と二に分かれており、大問一は計算問題、大問二は文章題で構成されている。俺はこの大問二の得点が全くと言っていいほど取れないのだ。二、三問はさすがに合っているが、バツだらけの大問二の解答欄を見ると気が滅入る。
最近は計算問題のミスは減ってきたけれど、配点の高い文章題で落としているため数学のテストはいつも五十点台だ。他と比べても格段に低い。
「式、ねえ……。方程式か。その前の単元――文字式とかはわかってる?」
「文字式かあ。やっぱり文章題で落としてたような気がするな」
「なら、まずは文字式の文章題からやった方がいいかもね。前の単元分からないまま次の単元の応用は絶対に無理だよ。方程式と文字式だったらなおさら」
文章題の文章を正しく理解することから始め、結局半分以上の時間を文字式に費やした。今でもまだ分からないところがあって、何度行き詰っても皓也は根気強く教えてくれた。
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