違和感――陸玖side

 三日前、おかしな夢を見た。

 皓也の家で勉強を教えてもらって、それからの話。


 いつもみたいに夕食を食べてから皓也の家に窓から入って、好きな人がいないかと訊いた。皓也はいない、と言っていたけれどあの口ぶりからして、多分いるのだろう。

 その証拠に、いないと言いながらも目をふいとそらして耳はほんのり赤く染まっていた。色白だから余計に目立つ。


 寝ようと言った時、皓也が床で寝るというから、無理やりベッドで寝かせた。去年まではそんなことを言うこともなかったのに、いったいどうしたんだろう。

 電気を消してからも、皓也との間に何とも言えない距離感を感じた。今まではほとんどくっつくようにして眠っていたのに。


 なんだか皓也がどんどん遠くなっていくような気がして怖かった。だから、寝ぼけたふりをしてわざと皓也に抱きついた。八月の半ばで暑かったけれど、構わなかった。

 皓也の体温に包まれると、俺はとたんに眠くなってきて体が深海に沈んでいくような感覚に襲われた。


 夢の中で、俺は皓也の膝枕でまどろんでいた。


 ――好きな人、いないの。


 声に出ていたかまでは分からないけれど、とにかく俺はそう訊いたみたい。皓也は黙って俺の頭を撫でていたようだったが、どこからか声が聴こえた。


「……く…だよ」


 ――陸玖だよ


 その声は、そんな風に聴こえた。夢なのか現実だったのかは、定かではない。ただ一つだけ言えるのは、その声はどこか遠くから聴こえたということ。  


  ――って、そんなわけないじゃん。


 そんなわけはないと分かっているのに、それにしては妙にリアルだった。


「陸玖、お待たせ」


 皓也のその声で、俺は現実に引き戻された。今日は市の納涼祭で、皓也の家の前で待っていたのだった。夏休みに入ってすぐの七月の終わりだからか、六時なのにまだ明るい。生ぬるい空気があたりを取り巻いていた。


「そんなに待ってないよ。――て、皓也浴衣持ってたんだ」


 皓也は紺色の無地の浴衣を着ていて、紺地に白の帯がよく映えていた。濃色だからかいつもよりすらりとして背が高く見える。

 色白ですっとした顔立のせいか、濃色の浴衣がよく似合っていた。俺はというと、鼠色の甚平である。


「ううん、父さんのを借りたんだ。」

「似合ってるじゃん。かっこいいね」

「…っ陸玖も、甚平似合ってるよ」

「どうしたんだ? 顔赤いけど、熱でもある?」

「ないよ……」


 皓也は横を向きながら小さな声で言った。そういえば前もこんなようなことを言った記憶がある。もし体調が悪かったら大変だ。額に手を伸ばそうとしたけれど、皓也はきゅっと目をつむって俺の手を振り払った。


 やっぱり最近、何かおかしい。俺、何かしたかな。


「ねえ皓也、凄い人だね」


 祭りの会場に近づくにつれて、だんだん人が増えてきた。屋台が並ぶ道に入ると人の波にもまれるようにして移動しなければならなかった。

 少しでも目を離せば見失いそうになる皓也の背中を俺は必死に追いかける。


「皓也!」


 俺は思わず皓也の浴衣の袖をつかんだ。しかし、それはすぐに指先からするりと逃げてしまう。


「どうしたんだよさっきから。何かあった?」

「俺、変なこと言ってないよね」

「言ってないと思うけど……。なんで?」


 なぜか脳裏に三日前の夢が蘇った。――いやいや。あれは夢だから。


「ううん。なら良かった」


 ようやく追いついた俺は、今度こそは離すまいと皓也の手を握る。一瞬びくりと力が入り、俺の手を軽く握り返してくるまでに少し間が空いた。去年の納涼祭では、普通に手をつないで歩いていたのに。


「あ、りんご飴だ。陸玖好きでしょ。買う?」


 少し歩くと、かき氷や金魚すくいなどの定番の屋台に混じってりんご飴が売られて

いるところがあった。


「え? あ、ほんとだ。買う!」


 赤い飴がかけられた大きなりんごは、つやつやとしていておいしそうだった。お金を払い、屋台のおじさんからりんご飴を受け取って俺は真っ赤な飴をぺろりと舐める。


「おいしい――皓也も少し食べる?」

「え、うん……いいの?」

「あ、食べかけなんて嫌だよな」

「そんなことないよ。ありがと」

「いいよ、この辺食べて」


 俺はそう言って皓也の口元に飴を差し出す。皓也が飴の薄いところをがり、と齧ると、白いりんごの実が顔を出した。


「りんごもおいしい。ありがとね」


 そして、皓也は指の先で唇の端についた飴の欠片を拭った。


「皓也は、何か食べないの?」

「どうしよう……。あ、あの胡瓜美味しそう」


 皓也の指さした先の屋台では、胡瓜の浅漬けを丸ごと一本串に刺したものが売られていた。


「ねえ、一口ちょうだい」

「いいよ」


 胡瓜を買った皓也から串を受け取って一口齧ると、胡瓜のみずみずしさが口に広がった。思わず笑みがこぼれる。


「すごく、おいしい」


 俺はそう言って皓也に胡瓜の串を返した。


「良かった。――確かに、おいしいね」 


 皓也は微笑んで胡瓜を齧りながら言う。パリ、と耳に心地よい音が弾けた。


「――ぁ」


 皓也は小さく声を漏らして咀嚼する口の動きを止めた。みるみるうちに耳まで真っ赤になり、咳き込みながら胡瓜を呑み込んでいる。


「どうしたんだよ、いきなり」

「ううん……なんでもない」


 何なんだいったい。去年も同じようなことをしたけれど、皓也が動揺したことはなかった。そんなに俺が口をつけたものを食べるのが嫌だったのだろうか……。

 何となくぎくしゃくした空気のまま俺たちは一通り屋台を回り、特にめぼしいものもないまま時間だけがだらだらと過ぎていく。その間皓也はずっと上の空だった。


 あの時好きな人が誰か訊いたからか?

 あの夜抱きついたのはまずかったのか?

 さっき浴衣を褒めたのもいけなかったのか?


 考えても考えても答えは出ない。

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