第10話 「素性判明」

 加藤は突然のことに目を見開くばかりで、抵抗らしいものは何一つしなかった。

 十センチ以上ある身長を利用して、碧海は威圧するように加藤を見下ろした。強いタバコの臭いがして、図らずしもしかめっ面になる。


「なにが写真を撮っただけ、ですか。その『だけ』の行為で、相手がどれくらい傷つくか分かってんのかよ!」

「な、なんだよ! バレなきゃ別にいいだろうが!」

「じゃあ、今ここであんたを絞め殺そうが、バレなきゃいいんですね」


 迫力が出るよう、低くつぶやく。


 我に返った加藤は、馬鹿にするような目つきを碧海に向けた。


「バレないわけないだろ。馬鹿か?」

「バレないさ」


 自分でもびっくりするくらい冷たい声だった。


――い、今の……。


 碧海は自分の出した声が信じられなくて、ぱっと手を離した。胸の奥底で黒い何かが渦を巻いているような気がする。


「碧海」

「…………」


 碧海は足元を見下ろした。加藤は地面に膝をついてあえいでいる。あと少しで絞め落としてしまうところだったらしい。


「大丈夫か?」


 鎌田が、加藤ではなく碧海に問うてくる。

 碧海が知る中で最も感情的な鎌田が冷静さを保っていることに驚いて、碧海は思わず鎌田をまじまじと見つめた。


「よく冷静でいられるね」

「怒ってる碧海なんて、百年に一度見られるかどうかだろ? 彗星より珍しい」


 鎌田は一瞬だけ笑ったが、すぐ真剣な表情になって碧海の肘をつかんだ。


「ホントに大丈夫か? お前らしくなかったぞ」

「う、うん、大丈夫……だと思う」

「そうか? じゃあ、次は俺の番だな」


 鎌田は不器用に片目を閉じると、せき込んでいる加藤を見下ろした。


「よう、加藤さん。調子が良くないところ悪いが、質問に答えちゃくれないですか」

「なんなんだよ、さっきから質問って!」

「ちょいと小耳にはさんだんだが、どうやら殺人が起こったらしいな。その件について、あんたが知ってることを全部教えてくれ」


 江戸っ子を彷彿とさせる小気味の良いしゃべりで、鎌田は加藤を追い詰めていく。

 加藤はいぶかしげに目を細めた。


「小耳にはさんだって、誰から」

「おいおい加藤さん、あんたは質問できる立場にねえよ。なあ、うちの碧海を怒らせたんだぜ。俺、初めて見たよ。気弱なお人好しに見せかけて、案外何するか分かんねえタイプなのな」


 鎌田はからかうように言って碧海を見上げた。鎌田の軽妙な台詞を聞いているうちに気持ちが落ち着いてきた碧海は、少しふて腐れて顔を逸らす。


「だって、本当に漫画の悪役みたいなこと言うんだもの」

「それに本気で怒れるお前は主人公だよ」

「そりゃどうも」


 半分は面白がっているようではあるものの、鎌田はいたく感心したらしい。珍しく惜しみのない賛辞を送ってから、改めてうずくまる加藤のそばにしゃがみこんだ。


「さあ、教えろ」

「わ、分かったから、その竹刀をしまってくれ」

「おっと、風の音で聞こえなかった。もう一回」

「くそっ……何でもない。それで、殺人のことだったな。もう公表することにしたのか……」


 どうやら、学校側の誰かが生徒に公表したと考えているらしい。まさか自分の発言がきっかけだったとは思いもしないだろう。

 だがまあ、学校側が公表したと思ってくれているのなら、それに越したことはない。


「昨日の夜中、二時半くらいに生徒の死体が学校で発見された。夜間警備員が見つけたらしい」

「夜間警備って言うと、昨日もいた飛騨か?」

「いや、違う。その日は別のやつが代わりに警備していたそうだ。で、俺は死体を直接見たわけじゃないけど、誰かも分からない状態だったらしい。ただ、杜葉高校の制服を着ていたから、うちの生徒じゃないかってことになってな。それで教頭が職員室の留守電を確認してみたんだが、子供が帰ってきていないっていう親からの連絡は一つもなかった。なら殺されたのは寮生だろうってことになって、あの訓練を装った点呼をしたんだ」


 おおかたは碧海の予想通りだ。


――あと知りたいことは……。


 碧海の代わりに鎌田が質問してくれた。


「じゃあ、殺されたやつの名前は? 一日もたってるんだ、知らねえとは言わせねえぞ」

「ああ、理事長から電話があったときに聞いた」


 加藤は一つ深呼吸をした。

 碧海と鎌田は知らずのうちにごくりと唾をのんだ。


 もし殺された誰かが知り合いだったら。


 今までは考えなかった残酷な可能性が脳裏をよぎる。


「名前は渡辺わたなべ万太ばんた。学校からそう遠くないところに住んでいる一年坊だ」

「渡辺、万太か」

「知ってるの?」

「いいや、知らねえ。万太なんて名前、一度聞いたら忘れないだろうしな」


 ば行から始まる名前は珍しい。祥寿や紀之よりは印象に残りやすいだろう。それぞれ碧海と鎌田の下の名前だ。


「一年って言いました?」

「ああ」

「ご両親は?」


 普通、子供が真夜中まで帰ってこないとあらば、学校や知り合いの親に連絡するのではないだろうか。


「共働きの家で、どちらも県外に出張に出ていたらしい」


 碧海は唇を引き結んだ。


 自分たちが働いている間に我が子が死んだ。

 どれほどの悪夢だろう。


「俺が知ってるのはここまでだ」

「思ったより知ってたな」

「そりゃあ、俺だって気になってたからな」


 なぜだか誇らしげに加藤は胸を張る。

 碧海が目を細めると同時に、鎌田はしゃがんだまま器用に竹刀を操って加藤の首筋を打った。


「いっ……」

「ろくでもねえな、お前」


 加藤は白目をむいて後ろ向きに倒れた。しゃがんだまま、しかも片手で軽く打っただけで大の大人を気絶させるとは。


――そんな鎌田相手に、本気を出さずにやり合うなんてな……。


 碧海を襲った男のことである。少々押され気味だったとはいえ、本気を出さず鎌田と互角にやり合って見せたのだ。相当な強者だろう。


 この男なら、一高校生を身元も分からないほどに惨殺するなど容易なことに違いない。


「あ、ていうか、気絶させちゃまずいんだけどな」

「絞め落とそうとしたやつに言われたかねえな」

「う……と、とにかく、僕らが来たことを口止めしないと」


 碧海たちは非公式に出歩いている身なのだ。しっかり口止めをしないことには、おちおち夜も寝ていられない。


「なるほど、そういうことか」


 鎌田は竹刀で床をたたきながら考え込むと、加藤の体越しに部屋の奥を見つやった。おもむろに片手を伸ばして、扉のすぐ横にある冷蔵庫から付箋を一枚とマグネット付きのペンをとる。


「なんて書くの?」

「今日のことは他言無用。追伸、読んだらこの紙を……」

「燃やすとか?」

「飲み込め」

「容赦ないなあ」


 まさか本当に飲み込みはしないだろう、とも思ったが、加藤は鎌田の実力を身を持って体験している。鎌田を恐れてやりかねない。


「ま、いいか」

「これでよし」


 鎌田は満足そうに立ち上がった。黄色の付箋は加藤の禿げあがった頭に貼られている。否が応でも気付くだろう。


「今回の狩りは成功とみていいですかい、碧海さん?」

「大成功だよ」


 碧海は歩きながら大きくうなずいた。


 分かったことは二つある。


「まず、被害者の情報」

「渡辺万太だったか」

「学校近くに住む一年生で、両親は共働き」


 それ以上の情報は、警察関係者でない限り入手は難しい。交友関係や、恨みを持つ人間はいなかったかなどだ。まさか堂々と聞き込みをするわけにもいくまい。


「二つ目が、事件そのものについて。現場は学校、第一発見者は夜間警備員。ただし、飛騨さんではない」


 こちらはどうにかして調べがつくかもしれない。飛騨にそれとなく探りを入れてみるのも一つの手だ。


「しかし、恨みの線は消えたかもなあ」


 頭に乗った雪を払いながら、鎌田が独り言のように言った。


「どうして?」

「だってさ、恨みを持つってんなら、お前と渡辺万太は知り合いであるべきだろ。同じやつから恨みを買ったんだからさ」

「そう?」

「恨んでるからって相手を殺すような人間が、そう広い関係を持つと思うか?」

「なるほど」


 偏見の域を出ないが、一蹴にはできない意見だ。


「となると……」


 碧海が口にしかけたとき、鎌田がぴたりと動きを止めた。フクロウのようにきょろきょろと首を回して周囲を見回している。


「どうした?」

「いや、なんか」


 言葉にできないような何かがあるらしい。


「なんかって……」


 不安になって、碧海は鎌田と同じように周囲を観察した。

 今になって気付いたことだが、ここは住宅と住宅の間にある細い脇道で、ほとんど人の目がない。


「なあ、鎌田」

「下がってろ」


 鎌田は鋭く言い、軽く体を跳ねさせて背中の竹刀を浮かせた。碧海を襲った男と対峙したときのように、鎌田をまとう雰囲気が一変している。顔に浮かぶ不敵な笑みはいつもながら、触れただけで叩きのめされてしまいそうな張り詰めた緊張感が漂う。


 鎌田は竹刀の感触を確かめるように握り直し、道路を一度二度とたたいた。


「気付いてんぞ。出てこいや」


 鎌田の迫力ある重低音が冷気を震わせた。

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