218 どこでもじゃないヤツ

「あの……ちょっと試してみたいことがあるんですけど」


「そうかい。なんだか知らないけど、だったらやってみるといいさ」


 大家さんから思い切りのいい言葉を頂き、俺は立ち上がって辺りをぐるっと見渡した。丁度よさそうな壁を探すのだ。


 そうして俺の目に入ったのは、先ほど通ってきた客間の襖。うん、これが丁度よい。襖の四角い長方形はとてもイメージがしやすそうだと思った。


 俺は襖に手のひらを当て、意識を集中させる。


 イメージするのは――どこにでも通じるようなドア……? いや、ドアではなく門にしておこう。ドアとは違い、門には扉がなくてもいい。


 そうして頭の中でひたすら門を思い浮かべていると、目の前の空間が襖の形に沿ってぐにゃりと歪み、墨を落としたかのような漆黒が現れた。


「…………!」


 背後から、見学している三人の息を呑む声が聞こえる。だがこれではいつもの異空間とほとんど変わらない。まだ不十分だ。


 俺は頭の中でさらに門のイメージを固めていく。そもそも門とはなんなのだろう。単なる出入り口とは違う。


 それは境界を定め、内と外を隔てる存在だ。門の向こう側でこちらとはまったく違う景色が広がっていても不思議ではない。


 俺は漆黒の先に、無いはずの場所が有ると固く信じる。そこに有るとイメージをする。すると――


 漆黒の空間に波紋のようなものが広がり始めた。波打つ波紋は漆黒を緩やかに打ち消していき、代わりに波紋の中心から少しずつ見覚えのある風景が映し出されていく。


「これは……おじさまのお部屋!?」


 伊勢崎さんの驚きの声が聞こえた。


 彼女の言葉どおり、目の前に見えたのは榛名荘マンションの、大学時代からの慣れ親しんだ俺の部屋だ。


「うん、そうだよ。これはええと……【異空門ゲート】とでも呼べばいいのかな。とりあえず試してみるね」


「あっ、おじさまっ……!」


 伊勢崎さんが声を上げるが、俺は構わず【異空門ゲート】の向こう側へ足を踏み入れ――なんの違和感もなく、目の前の部屋に到着した。


 靴下越しに伝わる安っぽいカーペットの足触りと周りの安っぽい家具やベッド。ここはまさしく俺の部屋で間違いない。


 そして後ろを振り向くと【異空門ゲート】の向こうには、客間から俺を見つめる三人の姿も見える。つまり空間は繋がったまま。


 よし、どうやら新しい時空魔法は成功してくれたようだ。


「どうかな、俺の部屋とそっちの客間を繋げてみたんだけど――」


「おじさま、私にも確認させてください!」


 伊勢崎さんが声を上げ、【異空門ゲート】を通ってこちらの部屋に飛び込んできた。彼女は入ってくるなり目を閉じると大きく深呼吸を始める。


「スーーハーー……スーーハーー……スーーハーー……」


「えっ、どうしたの伊勢崎さん?」


「スーーハーースーー――ハッ! す、すみません! ええと、その……そう! あまりにもおじさまの部屋の空気が澄んでいたので、思わず深呼吸をしてしまいました!」


 いやいや、俺の部屋だよ!? 空気が澄んでるってどういうこと? おじさん臭いと言われなかっただけマシかもしれないけどさ。


「邪魔するよ」

「お邪魔しますっ!」


 なんて言っていいかわからず曖昧な笑顔を浮かべていると、大家さんとコリンも部屋に入ってきた。そして大家さんは俺の部屋を見回し、感心したように口笛を吹く。


「ヒュー。ここを見るのは久々だけど、この部屋の掃除もしっかり行き届いているようだね」


「はい。大事に使わないやつには部屋は貸せないと、最初に言われてましたから」


 学生でも安く感じるほどの家賃、そして今でも家賃は据え置き。そんな賃貸マンションを借り続けるために、俺はそれなりにがんばっているのである。


「そうかい、覚えてたんだね。グッジョブだよ松永君」


「マツナガ様っ! これなら……大丈夫……で・す・ね!」


 声がした方を見るとコリンが【異空門ゲート】をまたぎ、俺の部屋と客室をシュバババババババとものすごい勢いで反復横跳びをしていた。


 反復しすぎて分身して見え始めたコリンに俺はうなずいてみせる。


「うん、そういうこと。向こうの音も聞こえるようだし、これなら伊勢崎さんのお屋敷に泊まっていても、異変を感じたらすぐに俺の部屋にもいけるだろう?」


「はいっ!」


「へえ、すごい魔法じゃあないか。ちなみにこの【異空門ゲート】で、ロンドンやLAにも行けたりするのかい?」


「いえ、行けないです。というか、俺の行ったことのある場所だけですね……」


 そこは【次元転移テレポート】と変わらない。俺が行ったことない場所には【異空門ゲート】を繋げられないのだ。ロンドンやロサンゼルスどころか、海外旅行なんてしたことないよ。


「なるほど、どこにでも行けるわけじゃあないんだね。てっきりみたいなモノかと思ったよ、ククッ」


 からかうように肩を揺らし、客間のアニメを指差す大家さん。ただのおっさんである俺に、そこまでの期待はしないでいただきたい。


「でもっ、こんな魔法見たことも聞いたこともありません。さすがはおじさまですっ!」


「はは、ありがとね」


 いつものように伊勢崎さんからの大げさな褒め言葉に応えつつ、俺はコリン宿泊の件がなんとかなりそうなことにホッと胸を撫で下ろしたのだった。


 ◇◇◇


 この後、伊勢崎家のお二人と相談し、ひとまずコリンが伊勢崎邸にいる間は自宅⇔伊勢崎邸間の【異空門ゲート】を常に置いておくこととなった。


 ちなみに魔力を込めれば【異空門ゲート】は常時設置していられる。こうして俺の自宅が期限付きで伊勢崎邸の別棟となったわけである。


 もちろん大家さんと伊勢崎さんから改めて許可をもらったわけだが、本当によく許してもらえたものだと思う。普通イヤじゃない? 家族でもないおっさんと家が繋がるなんてさ。


 その信頼に応えるべく、これまで以上に節度を持って生活していこうと思う。


 とりあえず俺は【異空門ゲート】を便利に使おうとはせず、伊勢崎邸に用事があるときは普通に玄関から訪問しよう。そういう礼儀は大事だからね。


 それと密かな悩みとして、【異空門ゲート】の設置により、俺のプライバシーが完全になくなってしまった。


 コリンが寝泊まりすることになった客間と俺の部屋が【異空門ゲート】が地繋ぎになったので、プライベートが丸見えなのだ。


 護衛付きというのは大変だよ。どうしても一人になりたいときは、トイレに籠もることにしようかな……。


 ――などと新たな問題を抱えてしまった気もするが、こうして俺はレヴィーリア様の手伝い及びにポーションの販売に向け、着実な一歩をようやく踏み出したのだった。

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