97 生着替え

「こんにちは、おじさま♪」


 夕方になり、俺の自宅を訪れた伊勢崎さんがにこりと微笑む。そんな彼女に前々から思っていたことをふと尋ねてみることにした。


「ねえ伊勢崎さん、最近は学園から帰ってくるのが早いけど、部活の方は大丈夫なのかな。別に俺の都合に合わせる必要はないんだよ? むしろ俺の方が都合を合わせやすいんだし」


 伊勢崎さんはレトロゲーム部という少し風変わりで、それでいてレトロゲーム好きの彼女にぴったりの部活に所属している。


 ずいぶん遅くまで部活に打ち込んでいるらしく、俺が会社に勤めていた頃は、夜の八時にスーパーで部活帰りの伊勢崎さんとばったり会うことも多かった。


 しかし最近の彼女はいつも夕方には帰宅しているように見えるのだ。仮に俺の都合に合わせて部活を早退しているのなら、申し訳ないどころの話ではない。


 だがそんな俺の問いかけに、


「んえっ!? え、ええ! それはその……そうっ、アレです! 実は今年は文化祭の展示物を縮小することが決まりまして、それにともなって部活も早く終わることになりましたの。ですからまったく問題はありませんわ、ええ、ええっ!」


 なぜかあわあわと早口で答える伊勢崎さん。


 そういえば部員は伊勢崎さんを含めて二名しかいないんだっけ。部活動が縮小されたなんて話を人にしても悲しいだけだし、もしかするとあまり言いたくない話だったのかもしれない。やっぱり聞かなきゃよかったな。


 しかし遅くまで部活を頑張っていたのは俺も知っているし、一度くらいは伊勢崎さんの通う聖城学園の文化祭に行ってみたいもんだね。おっさんが出向いていいものなのかは知らないけど。


「そ、それでは私は着替えてきますね」


 話を切り上げた伊勢崎さんは、いそいそと俺の部屋へ入って扉を閉めた。


 異世界の服はそれなりに目立つので、伊勢崎さんは毎回俺の部屋で着替えることになっている。


 俺が伊勢崎邸に迎えに行ってもいいのだけれど、伊勢崎さんにはやんわりと断られていた。きっと俺に気を使ってくれているのだろう。


 そして伊勢崎さんが部屋に入っている間、もちろん俺はしばらく部屋の外で待つことになる。異世界に行く際は時間に追われて手早く着替えることもあるのだが、今日はそれほど急ぐ必要はない。


 やはり女の子は時間に余裕があるのなら、身だしなみにも時間をかけたいものなのだろう。今回は十分経っても伊勢崎さんは部屋から出てこなかった。


 それまで俺はスマホをいじって時間をつぶしていたのだが、その間に部屋から物音ひとつしないのはなんだか心配になってくる。俺は部屋に近づくと軽く扉をノックした。


「伊勢崎さん、大丈夫?」


「――スーハース――ひゃいっ!? おおおおおじさまっ!?」


「びっくりさせてごめんね。部屋から物音ひとつしないのがちょっと気になってさ」


「ハッ……! もうこんな時間!? す、すいません! もう少しだけお待ちになってくださいませ!」


「いや、本当に少し気になっただけなんだ。ゆっくり着替えてくれればいいからね?」


「はっ、はいっ……!」


 伊勢崎さんの返事を聞き、俺は扉から離れた。なんだかかすような物言いになってしまったし、悪いことをしてしまっただろうか。これからは変に邪魔をしないようにしよう。



「――おじさま、お待たせいたしました」


 それからさらに五分ほど経った頃、伊勢崎さんが部屋から出てきた。いつもと同じ異世界風、上品な商家の娘さん的ファッションだ。


 そしてそんな完璧すぎる伊勢崎さんを見ていると、すでに着替えを終えている俺の方も身だしなみが気になってきた。


 俺は少し伊勢崎さんに待ってもらい部屋の中に入ると、彼女の着替えのために用意した少し大きめの鏡を使って服装の乱れがないか軽く確認して――ん?


 鏡越しに見えた背後のベッドに違和感が。振り返ってじっと見てみると、少しベッドシーツが乱れているような気がする。


 年頃の女の子が部屋に入るわけだし、室内はなるべく綺麗に整えるように心がけていたんだけど……どうやら今日は適当にやってしまっていたみたいだ。


「あ、あの……おじさま? ベ、ベッドがどうかなさいましたか……?」


 ベッドを見つめていた俺に、伊勢崎さんがどこか緊張した面持ちで声をかけてきた。だがこんなことはわざわざ話すまでもないだろう。


「いや、なんでもないよ。それじゃあ行こうか」


「そ、そうですか……」


 俺の答えにどこかホッとした表情を浮かべ、伊勢崎さんが手を伸ばす。俺はその手を握ると、いつものように異世界に転移したのだった。



 ◇◇◇



 俺たちはエミーの宿の貸し切り部屋へと転移した。数時間前に訪れたばかりの部屋だが、今はカーテンからは日の光が漏れている。計算通り、もう朝を迎えているようだ。


 伊勢崎さんが窓に近づきカーテンを勢いよく開く。窓からは一気に日の光が差し込み、室内がパッと明るくなった。


「おじさま、今日はいいお天気ですわね」


「そうだね。それじゃあせっかくだし、のんびりと散歩しながらレイマール商会に向かおうか」


「はい、おじさまっ」


 満面の笑みで答える伊勢崎さんと一緒に俺は部屋の外へと出た。するとそこでばったりと出会ったのは、ゆうべはおたのしみだったギータとシリルである。


「おっ、マツナガさんたちじゃねえか。いつこっちに戻ってきてたんだ?」


「やあお二人さん。戻ってきたのはついさっきだよ」


 そんな俺の答えに、ギータの後ろでシリルが胸に手をあてて安心したように息を吐く姿が見えた。


 どうやら昨日のの様子を聞かれていないか気にしたようだが、ギータはそんなシリルの様子に気づく様子もなく。


「なあマツナガさん、俺たちはこれから冒険者ギルドに行くんだけど、二人はどうするんだ?」


「レイマール商会に行こうと思ってるんだ。この間のアースドラゴンが高く売れたから、前から欲しかった魔道具でも買い揃えようかと思ってね」


「へえー! そいつはうらやましいぜ! 俺たちもいつかあんな大物を倒してみたいもんだよ」


「はは、俺のはマグレだけどね……」


「いやいや、マグレとかそういうレベルじゃなかったろアレは……って、あんまりダベッてるといい依頼を先に取られちまう! それじゃーな、マツナガさんに奥さん! 行くぞシリル!」


「もう、ギータったら……」


 ダッシュで一階への階段を降りていったギータ。それを呆れた顔で見つめたシリルがぺこりとおじぎをして後を追いかけていく。


「仲のいい二人だなあ」


 ふとつぶやいた俺の言葉に、伊勢崎さんが俺の腕をくいっと引っ張った。


「もう、おじさまったら。こちらでは私たちも仲のいい夫婦なんですからね? ほら、行きますわよ。?」


 そう言ってピッタリと俺に寄り添う伊勢崎さん。


「やはり生の匂いの方が……フヒヒ」


「え? 今なんか言った?」


「い、いえ、何も言ってませんわ。それでは行きましょう♪」


 そうして俺たちは仲睦まじい夫婦を演じながら、のんびりとレイマール商会へと向かったのだった。

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