87 城之内重蔵
大家さんが呼んだハイヤーに乗り込み、俺たちは病院へと向かった。
ハイヤーを待っている間に大家さんから聞いたのだけれど、入院中の
伊勢崎さんが異世界から生還を果たした後、彼女が大家さんの養子として内密に戸籍をアレコレできたのも、重蔵氏の協力が大きかったのだとかなんとか。
つまり重蔵氏は数少ない、伊勢崎さんの内情を知る人物のひとりなのだ。
ちなみに重蔵氏は大家さんの旦那さんの弟なので、伊勢崎さんからみれば
それはなぜかと尋ねてみたところ、伊勢崎さんは『おじさまとお呼びしたいのはおじさまだけですわ』と答えたのだけれど、意味はよくわからなかった。
そんなことを思い返している間に、こないだまで乗っていた馬車とは段違いの乗り心地のハイヤーが病院に到着。
大家さんが病院の受付で二言三言言葉を交わすと、すぐに妙に礼儀正しい従業員さんがやってきて、俺たちを入院病棟へと案内してくれた。
しばらく入院病棟を歩き、中央のエレベーターとは別のエレベーターに案内される俺たち。
従業員さんに言われるままに乗り込んだエレベーターは、どんどん上へと昇っていくと――やがて最上階で止まった。
そうして俺の目の前に広がったのは、これまでの無機質な病棟とはまったく違う、広々とした和風でモダンなロビーフロア。ここだけ見れば、病院じゃなくてただの高級和風旅館にしか見えない。
相原のお爺さんもVIPな個室に入院していると聞いてはいるが、こちらもさすがは城之内家の重鎮。VIP待遇のお部屋に入院しているようだね。
などと感心しているヒマもなく、従業員さんの案内を受けて俺たちはロビーをさらに奥へと進んでいく。
病院の中なのに色鮮やかな鯉が泳いでいる池があったり、なぜかぽつんと小さな茶室が設置されていたりと、お金をかけすぎていて俺のような一般人にはよくわからないフロア。
そんなフロアの壁際に点在するいくつかの扉を素通りしていき、やがて最奥の扉の前で従業員さんの足が止まった。どうやらここが目的地らしい。
「なにかございましたら、いつでも内線からご連絡くださいませ。それでは失礼いたします」
テレビでしか見たことのない高級ホテルのホテルマンのような丁寧なお辞儀をして、従業員さんは去っていった。
「あたしだよ、早く入れとくれよ」
そんな雰囲気をぶち壊すように、入り口に備え付けられていたインターホンに大家さんがぞんざいに話しかけると、すぐに扉からカチャリと音が鳴った。どうやら今ので解錠されたらしい。
そうして大家さんを先頭に、俺と伊勢崎さんも扉の向こうへと足を踏み入れたのだった。
部屋の中もロビーと同じく、高級ホテルの一室と変わらないような様相だ。ここはリビングにあたるのだろうか、中央にはお高そうな分厚いテーブルと、落ち着いた色調の上品なソファーが置かれ、壁にはよくわからない風景画が掛けられている。
さらに部屋の端にはバーカウンターまで設置されており、これまた見たことのないような酒瓶が棚にズラリと並べられていた。
ここが病室というのがちょっと信じられない。これだけ豪華な個室なら、ここの家賃一日分で俺のウチの家賃が数カ月分支払えそうだよ。
ちなみにウチのお家賃はとてもリーズナブル。大家さん本当にありがとう。
そしてその大家さんはといえば、豪華なインテリアに目をくれることもなく、ふかふかの絨毯の上をまっすぐ歩いていく。
やがて突き当たりの扉を無造作に開く大家さん。そこに目的のベッドルームがあった。
ベッドルームでまず俺の目に入ったのは、向こうの壁際に大きく広がっているパノラマウィンドウだ。
その窓からは高い空と、遠くまで延々と続く都市の風景が見える。夜に写真を撮ったなら、
そして背上げしたベッドに体を預け、窓の景色を眺めていた老人がゆっくりとこちらに顔を向けた。彼が重蔵氏なのだろう。
重蔵氏の腕には点滴の処置が施されてはいるものの血色は悪くはなく、素人目にはさほど体調が悪いようには見えない。
そんな重蔵氏は俺たちを見て、しわくちゃの口元を皮肉げに歪めて笑った。
「……よう、お次は榛名
「なんだい重蔵。やたらと気疲れしているようじゃないか」
「はは、わかるかい? 今日も何件か身内が見舞いにきたんだけどよ、どいつもこいつもワシがいつ死ぬか見定めに来ているようにしか見えねえんだ。そりゃあウンザリするってもんだろう」
ため息を吐きながら答える重蔵氏。しかし大家さんは気にする様子もなく、近くの椅子にどっかりと腰を下ろした。
「そうかい、そういうことならよかったよ。今日は気晴らしになるような美味い食べ物を持ってきてやったからね。まだ胃の方は平気かい?」
「ああ、少しくらいなら大丈夫だ。ところで……聖奈ちゃんだろう? 久しぶりだな、ずいぶんと綺麗になったじゃねえか。それと……」
話を区切り、重蔵氏の視線が伊勢崎さんから俺へと移る。その視線はあからさまに『コイツ誰だよ』と語っていた。
「お久しぶりです、重蔵お爺様。こちらのおじさまはおじさまですわ」
にこりと笑みを浮かべて答える伊勢崎さん。いやいや、それじゃあ通じないと思うよ? 案の定、ぽかんと口を開けた重蔵氏に俺から自己紹介をする。
「はじめまして。私は松永幸太郎と申します。ええと、こちらの大家さ――榛名さんの経営するマンションでお世話になっている者です」
「おっ、おう。そうか、わかった。ワシは知ってはいると思うが城之内重蔵。昔はともかく今はただの死にかけの年寄りよ。……それで、義姉さんの
「ああ、今日はこの松永君から貰った土産をあんたにお裾分けしようと思ってね」
大家さんが持ってきた鞄をごそごそと探り、中からローストボアの包みを取り出した。
「聖奈、頼むよ」
大家さんの言葉に伊勢崎さんがキッチンから食器を持ってきた。この個室にはキッチンまであるのだ。
そして大家さんはその場でローストボアを切り分け、皿ごとズイッと重蔵氏の目の前に差し出す。
「食ってみな? 飛ぶぞ」
そう言って大家さんがニヤリと笑ったのだった。
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