♦新人メイド・マナちゃんの動揺
地獄のあの日からさらに数日後。
あの日の自分は、その日こそが人生最低の日だと思ったが、どうやらそれは間違いだったようだ。
元許嫁に自分の痴態が見られる。
確かにそれは苦痛ではあるが、あの時はまだその程度であった。
しかし、あの男が、あの自分の許嫁である彼女を奪い去った男が、この程度で、あの一回程度で満足するわけがなかったのだ
「よう!今日も来たぜ!マ~ナちゅあ~ん♪
今日も、クソみたいに短いスカートはいて、男に媚びているのかぁ?」
「そうだ、そんな卑しいダメイドなマナちゃんに朗報だ。
今日はそれなりに金を持ってきてやったからな、ほれ、ならばやることは……わかってるよな?」
そうだ、あの男はあの日以降再びこの店に訪れ、そしてこちらを指名してきた。
「……」
もちろん、元婚約者である彼女を同伴さえて、だ。
一応は、このメイド喫茶にはそれなりのルールや保安は保たれている。
しかし、それでもあくまで最低限であり、その上私自身は【元敵対者】であることを含めて、そのセーフティは非常に緩く、またサービスしなければいけない範囲は非常に大きい。
「ぐっへっへ、というわけで今回も個室を借りて、存分に楽しませてもらうぜぇ?
他のお客様に、ご迷惑を掛けたらいけないからなぁ?」
別室に連れ込まれてしまえば、なおさらだ。
「ほれ、全力で俺様に媚びろ。
金ならちゃんと払うからなぁ?」
「ひひひ、今回は俺の部下もつれてきたぞ。
ほら、全力でこいつらに奉仕しやがれ。
じゃんけんも、笑顔も、つけろよ?
ああ、電脳セックスができないのがもったいないなぁ!」
「くくくくく、今はまだ対応してないらしいが、場合によってはメイドの買取もあるらしいからな。
どうせなら買い取ってやろうかぁ?
残飯処理係か、部下の慰安係だがなぁ!」
そいつは大いに笑う。
俺に奉仕させ、あるいは汚辱することで。
何よりも、元婚約者の前でそれを行うことで、だ。
「おい?こんなかわいらしくも愚かなメイドが元お前の婚約者なんだよなぁ?
こいつを見て、どう思う?」
そして、そいつはトドメとばかりに、元婚約者である彼女にこう語りかけるのであった。
一番見られたくな人の前で、一番知りたくない人の心を。
「……はい、これ以上もなく、無様で、滑稽です。
今までこんな男と婚約していたこと自体が、恥だと思います」
かくして、最愛の人に否定され、見限られてしまった。
それにより、私の心はぼろぼろに砕かれ、地に沈み、視界が真っ暗になるのであった……。
◇◆◇◆
「いや、あんなの事前に命令されて、言わされているに決まっているでしょ!」
「ほんと、本当?
嘘じゃない?嘘じゃないよな」
かくしてさらにそこから数日後。
マオはメイドカンパニーの近くの通りで清掃活動中に元婚約者であるテンに、話しかけられていた。
「当り前でしょう!
というか、私のために無茶したって知っていてああいえるほど、私は馬鹿じゃないわよ!
少し考えればわかるでしょ」
「え、でも、今の俺は、もはや男ですらないし……。
しかも、結局はすべてに負けて、こんな姿に……」
なお、なぜマナがメイド喫茶ではなく店の外にいたかといえば単純に言えば彼女の精神がいろいろと限界になってしまったからだ。
最愛の女性からの否定は思った以上にマナの心を疲弊させ、それこそここ数日はまともにメイド喫茶で働きたくなくなる程度にはだ。
だからこそ、マナはここ数日の仕事は不慣れで且つ収入がぐっと下がるが外部の清掃活動を選択し、メイドカンパニー周りの道の清掃活動に専念するほど。
もっとも、そん清掃活動中に、まさか元婚約者であり、自分の心の傷の原因であるテン自身に話しかけられたのはいろいろと予想外ではあったが。
「じゃぁなに?私が元婚約者が私のために無茶をしたって知ってるのに、それを失敗したせいで没落した男を嗤う女に見える?
ましてや、今なお私のために苦労してくれてるのに、それを知ったうえで笑う女に見える?」
「うん」
「張っ倒すわよ」
そして、テンがマナに行った会話内容に関してはおおよそ弁明であった。
テンが現在の男とともに来た時にしてしまった暴言、それが言わされたものであるという内容である。
「いい?ある意味では私もアンタと一緒なの。
あんたは体ごと改造されてしまったみたいだけど、私も改造こそされていないけど、ある意味では一緒なの」
「え?俺……いや、ボクが知ってる限りだと、テンは普通に僕と婚約破棄された後、あの男の家と婚約関係になった。
それだけだって話だけど?」
「なにその甘い考えは?
そもそも、私があんな大人しくあの男の言う事を聞いている状態が、幸せな婚約関係に見える?」
「……場合によっては?」
「このおバカ!」
マナはテンに頭をぺしりと叩かれる。
そして、マナは改めて元婚約者であるテンから、彼女の状態を聞かされることになる。
「というかね、そもそもあんたの阿弗利加組と私の所属するスーピン家だと、家の格が同格だったし、何も問題なかったの。
でも、アンタとの婚約が破棄されてしまった後、今のアイツの婚約者にされたわけだけど、残念ながらアイツのほうが家の格は格上なの」
聞くところによると、自分の阿弗利加組が相続問題やらが発生している間、許嫁である彼女のスーピン家も同程度には問題が発生していたらしい。
婚約という名の一蓮托生であった阿弗利加家の没落、スーピン家先代党首の失脚、そして追い打ちをかけるかのように、家内の反乱ともう一つの同盟からの婚約の申し込みであったらしい。
「婚約というのはいいけど、実質的には買収みたいなものね。
家業の屋台骨がすべて奪われて、今の私はわずかな側近を残して、すべてアイツに奪われたわ。
……一応抵抗自体はしたんだけど、資金の違いと部下を取られたのが大きいわ」
「……つまり、あいつはそこまでして君のことが欲しかったと?」
「私じゃなくて私の家の方だと思うけどね。
現に、あいつは私以外にも数人に許嫁や婚約者、つまりは重婚前提の同盟や買収を繰り返しているのよ。
結婚はあくまで形式でしょうね」
……果たしてそれはほんとうだろうか?
マオの心に、ふとそんな疑問が浮かぶ。
なぜなら、もし彼がマナやテンに興味がなければ、わざわざ自分に天と彼の婚約関係を見せつけに来るだろうか?
そのうえで、彼は自分をテンに見せつけるかのように、屈辱的な命令をさせ、あのようなことをテンに言わせるだろうか?
そう、そんなことを安くいない料金を支払ってまでするのは、明らかに彼は自分にあの光景を見せつけるためであって……。
「……あいつは性格が悪い。それだけよ」
テンはそう、わずかにこちらから視線をそらしながら言う。
テンが嘘をつく際によく行う癖であり、同時に彼女が嘘をついているということがマナにはわかってしまった。
「……ねぇ、テン「で、も!!私があなたの事を、マナブの事を今なお愛していているのはほんとうだから!」」
そのマナがテンに確かめるよりも早く、テンは叫び始める。
「いい?マナ●。
確かに今は私たちは、不幸なすれ違いによって離ればなれになっている。
でも、今ここで私たちが耐え忍べば、きっと、きっとまた二人一緒になれるから!」
彼女の口調は力強く、芯がある。
それと同時に、とてつもな悲痛な響きと、なによりもその眼の奥には覚悟を感じらせる光を放っていた。
「テ、テン、ちょっとま……」
テンのその表所と言葉に、いやな予感がして彼女を止めようとする。
もちろんマナは、彼女が何をしようとしているかなど、知る由もないが、それでもテンが行おうとしていることが、おそらくはまずいものであることは察することができた。
「……安心して、マナ●。
これも、私達2人の未来のためだから。
だから……ごめんね?」
その言葉とともに、テンはマナのほほにそっと手を寄せ、その場を離れる。
マナはテンを引き留めようとするが、その体はメイドカンパニー性の縛りゆえにまともに動かすことができず、大声て呼び止める事もできない。
ゆえに、マナはその小さくなっていく最愛の人の背中を見守ることしかできなかったのであった。
◆◇◆◇
そして、それからさらに数日後。
マナは一つの決心をすることになる。
それは、メイドサン=カンパニーのメイド達へと通達された【探索部隊】への参加することであった。
これは、つい先日発生した社長にして元凶である大ご主人様に発生した養子問題。
その元凶を探るために行われた十三地区および世界通のメイド達による探索依頼である。
もしこの任務参加すれば、彼は自分の地元にメイドという奴隷のような姿で、もともと自分が支配していた地区内を奴隷のように走り回る必要がある。
それは非常に屈辱的で、また精神的にきついことだ。
「……でも!惚れた人を、愛した人が困っているだろうに、何かしないで待っていることなどできようか?
いや、できない!」
しかし、それでもマナはその【探索部隊】に参加することにした。
それは先日のテンとの会合もある上に、あの日以降、テンの婚約者が店に来たとしてもなぜかテンが店に訪れなくなったこと。
そしてそれを件の男に尋ねても、『ふられたんじゃないか?』としか答えず、テンが今何をしているかについては一切語られないこと。
そして何よりこれ以上、愛する人を失うことなどマナには耐えられなかった。
「待っていてくれテン。
そして、これ以上早まらないでくれ。
これ以上君を失ったら、ボクは、僕は……!!」
そして、マナは『探索隊』の一員としてサイサカの夜の街を舞うことになった。
ある時は猟犬のように、ある時は夜鷹のように。
かくして、彼女は養子事件の証拠とともに、彼女の最愛の人を見つけることになる。
「え……あ……?」
『……ああ。
あんただけには、見られたくなかったのになぁ』
十三地区の地下街の一角。
無数の恍惚した表情を浮かべる裸の男達の中にたたずむ、彼の最愛の女性の姿があったのであった。
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