ダサい名前の税理士事務所のコーヒースタンドの元店主の話

藤井 環

1 笹井一典

1)令和4年12月6日

 昨日帰宅して、コートを脱ぎかけているとポケットの中でスマホが鳴った。取り出してみると電話の主はフミさんだった。

 フミさんとは、例のスタンドがまともなコーヒーショップに変わったあともちょいちょい連絡とってはいるけど、ほぼ俺からメッセージ送って短い返事もらうのばっかりだった。だから俺は珍しいなと思いながら急いで残りの袖を抜き、脱げたコートをソファーに投げ出しながら電話に出た。

 どうやら当店でご購入いただいたフミさんの車に、駐車場のおとなりさんがうっかり尻をぶつけたらしい。修理のスケジュール感を知りたいとのことで、俺はとりあえず写真を送ってもらって、改めて修理担当から連絡させることにした。


 そうして今朝聞いたら、ちょうど今日の夕方が空いてるってんでフミさんは車を持ってきた。

 写真で見たとおり、相手の車の塗料がしっかりついている。どんな感じだったのかを推測して聞いてみたら、案の定、若葉マークのお嬢さんがめちゃくちゃ慎重に、丁重に、後ろの角あたりをずりずりと擦り付けていくところがドラレコに写っていたらしく。ただ、そんなものを見るまでもなく、犯人はすぐにマンションの集合玄関からインターホンでフミさんを呼んだそうだ。だから全然揉めてなんかいない。

 もっとも、フミさん側はそもそも無人だったから責任なんかあろうはずもないので、こうなるとフミさんは自分の保険会社に交渉を任せることができない。でもフミさんは普段、保険会社から頼まれて交渉をする方の人だ。事故後の段取りなんかお手の物で、それで昨日俺に事前に連絡が入ったというわけ。もちろん今朝、相手の保険会社からも連絡があった。


 車は実際に確認したら、損傷はバンパーとフロントフェンダーの、いずれも外側だけで済んでいそうだった。輸入車と国産の軽だからさもありなんという感じ。これなら足回りなんかには影響がないだろうから、ぱぱっとパーツを交換すればいいだけの簡単な修理になる。それなら修理自体にはそんなに時間はかからないし、運良くパーツも近くの店に在庫があったので、俺はフミさんに、二週間みてくれたら余裕だよ、と伝えた。

 フミさんに見積を確認してもらっている間、相手の保険会社に連絡をして段取りを組む。そんで電話を終えて戻ってきたら、フミさんもちょうど確認の署名を終えたところだった。

 フミさんは、テーブルの上で紙を俺向きに入れ替え、はい、とペンを返してよこした。俺はそれを受け取り、書類の記入欄の確認をする。……あれ?

「苗字変わった?」

 俺が聞くと、フミさんは「うん」と答え、続けた。

「でも、職務上の氏名の届出してるから。仕事の上では変わってない」

「それはいいんだけどさ。なに? 結婚したの?」

「違うよ。養子縁組」


 フミさんは別に嫌そうな顔もしてなかったけれども。俺はそれ以上ここで聞くのはたぶん、社会人としてダメだなと思い、「そうなんだ」とだけ答えると書類を受け取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る