第136話 家族でハロウィン
午後の光が少し傾き始めたころ、我が家のリビングはオレンジと紫のガーランドでいっぱいになりました。
棚には小さなジャック・オー・ランタン。オーブンからは甘い香り、鍋からは塩気の良い湯気。
カオリさんは、朝から台所で魔女の姿になって、手際よく料理を並べてくださっています。
「ヒデオさん、かぼちゃの中、お願いできますか? 種は洗って塩をして、あとでローストします」
「はい。ミズモチさん、種を逃がさないようにお願いしますね」
『まかせて〜! たねポリポリ〜! おいしい予感〜!』
半分に割ったかぼちゃの中へ、ミズモチさんがぷるっと潜って、金の糸のような繊維を器用に丸めてくれます。
ボウルへ転がる種がカランと鳴るたび、ヒカリさんがベビーチェアから「きゃっ」と声を上げ、手を叩いておられました。一歳を超えられて、視線の先に楽しいがあると、体ごと笑うように揺れてくださいます。
「よし、彫りは私が。顔はかわいい路線で」
『おめめはおおきく〜! おくちも〜!』
「了解です」
カオリさんは鍋で、パンプキンスープがとろりと色を深めています。
キッチンカウンターには、包帯を巻いたミイラウインナー、オリーブの瞳が乗ったデビルドエッグ、コウモリ型のクッキー。
大皿にはローストチキンの下拵えが三皿も、隣にかぼちゃとクリームチーズのサラダ。最後の仕上げのケーキは、冷蔵庫でひんやり待機中です。
「さあ、衣装に着替えましょう。パーティーは夕暮れからが本番です」
今日は家族でハロウィン。私はドラキュラ伯爵風のマントとベスト、カオリさんはとんがり帽子の魔女、乙女さんは……。
「見よ、この十字の羽根飾り! 今宵は白鬼の天使じゃ!」
「乙女さん、まさかの天使ですか」
「うむ。普段が鬼なら、祭りの日こそ逆張りよ。ギャップは正義じゃろ?」
『てんし〜! きらきら〜!』
乙女さんの白髪に金の輪がよく映えて、確かに可憐です。肩には小さな羽根。普段との落差が心地よい冗談になっておりました。
そして本日の主役、ヒカリさんは、かぼちゃの妖精です。
オレンジのふわふわスカートに、葉っぱの襟。前髪の上には小さな星のピンが光ります。鏡を見せると、じっと自分を眺め、やがて満足げに笑ってくれました。
『ぼくは〜……ゴーストぷる!』
「シーツは被らなくて大丈夫ですか?」
『だいじょうぶ〜! ぷるシーツは標準装備〜!』
ミズモチさんは身体の縁をふよふよに滲ませ、半透明のおばけモードに。輪郭が幽霊のしっぽのようにゆれて、どこか誇らしげでございます。
何よりも羽をパタパタとさせているので、本当に飛んでるゴーストになっています。
日が落ちると、ジャック・オー・ランタンの中の蝋燭に火を点しました。
ゆらぐ明かりが壁に顔をつくり、影の口が微笑みます。音楽を小さく流し、テーブルに料理が並び切ったところで、カオリさんが小さなベルを鳴らしました。
「それでは、ハロウィン・パーティーを始めましょう」
「乾杯は……ホット・アップルサイダーでいかがですか?」
「賛成です!」
『かんぱい〜! ぷるぷる〜!』
シナモンの香りが立ちのぼるカップを合わせ、ひと口。
体の内側が静かに温まっていきます。まずは前菜から。デビルドエッグをひとつつまむと、黄身のコクにピクルスの酸味がきゅっと効いて、もう一つ手が伸びる危険なやつでした。
『ミイラういんなー! ほどよい塩! おめめ、パリッ!』
「描いた目を実況されましたね」
「ヒカリさん、これはあつあつですから、ちょっとだけにしましょうね」
「ん〜〜!」
ヒカリさんには、塩分を落としたおばけポテトを潰して少し。口に入れると、目を丸くして、もうひとさじをねだる手。小さなスプーンが忙しく往復します。
「チキン、焼けましたよ」
「わぁ、いい匂いです……!」
ローストチキンは照りが美しく、皮はぱりり、中は肉汁たっぷり。切り分けるたび、湯気にハーブが立ちのぼり、テーブルが一瞬しんとなって、次の瞬間「おいしい」の声が重なります。
『ほねのまわり、じゅーしー〜! ぼく、しっとり吸収〜!』
「ミズモチさんなら、骨まで食べられますね」
『はーい!』
パンプキンスープは、驚くほどやさしい味でした。
生クリームの甘みではなく、かぼちゃそのものの甘さが、舌の上でほどけて消えます。黒胡椒を少しひねると、輪郭がきりりと立つ。
こういう丁寧な味が、カオリさんの料理だと思えます。
家の安心をつくるのだと、胸の奥で静かに頷いておりました。
「ヒデオさん、ケーキいきます?」
「ぜひお願いします」
一通り食事を終えた私たちに、カオリさんがケーキも用意してくれました。
冷蔵庫から運んできたのは、パンプキン・チーズケーキ。
上にはココアのコウモリ、脇には生クリームの雲。切り分けた断面は、夕焼けのような濃いオレンジ色でした。
『しっとり〜! こっくり〜! ぷるしあわせ〜!』
「ヒカリさんには小さくしますね。……どうですか? おいしいですか?」
「ん〜〜っ!」
頬をむぎゅっと膨らませ、満面の笑み。小さな両手でぽんぽんとテーブルを叩いて、全身でおいしいを表現してくださいます。
隣で乙女さんが翼をぱたぱたさせました。
「ふふ、天使の加護がケーキに宿っておるのう。妾、二切れいける」
「乙女さん、羽根も動いて素敵ですね。加護はありとはすごいです」
「くくく、だからこそ、気持ちを三倍にして食べればよい!」
合間に、玄関のチャイムが鳴りました。ご近所の子どもたちがトリック・オア・トリート。
玄関には、事前に小分けにしたキャンディのかご。私はマントの裾を持ち上げ、ドラキュラの礼で出迎えます。
「いらっしゃい。どうぞ、ひとつずつ——あ、ふたつまで」
『ぼくも配る〜! ぷる袋、のび〜! はい、どうぞ〜!』
「わぁ、スライムのおばけ!」
「ありがとう〜!」
小さな手がキャンディを受け取り、足音が弾んで遠ざかる。
扉を閉めると、家の中の灯りがやわらかく感じられます。祭りのざわめきが、壁を一枚隔てて呼吸しているようでした。
食後のゲームは、カボチャ探し。リビングのどこかに小さな紙カボチャを隠して、見つけたらお菓子ひとつ。
ヒカリさんには、見つけやすいよう大きいカボチャをクッションの陰に。見つけると、手を高く上げて「たー!」と声をあげ、みんなで拍手します。
『つぎはむずかしいやつ〜! カーテンのうら〜!』
「自分で言ったら見つかってしまいますよ」
『しまった〜! 内緒むじ〜!』
笑い声が何度も転がり、時計の針が進んで、いつのまにか夜更けの手前。
テーブルの上の皿は幸せな空き具合になり、カップには温かいミルクティー。窓の外に、近所の子どもたちの歓声がまだ少し残っています。
「ヒカリさん、そろそろパジャマにしましょうか」
「あい」
カオリさんが抱き上げると、ヒカリさんは眠そうに目をこすり、かぼちゃのスカートの裾を名残惜しそうに摘まみました。
写真もたくさん撮りましたから、明日みんなで見返しましょう。
『ねるまえ、おやつ……もういっこ……』
「ミズモチさん、今日は十分すぎるほど召し上がっています。あと一口だけ」
『やった〜! ぷるぷる就寝前ボーナス〜!』
乙女さんは羽根飾りを外し、くすくす笑いながら湯呑みを手にしておられます。
「たまには、こういう戦わぬ夜もよいの。祭りと家と、甘いものと」
「ええ。本当にそうですね」
蝋燭の火をそっと吹き消すと、ランタンの顔が闇に溶けました。
残ったのは、キッチンに漂うシナモンの匂いと、テーブルの上のキャンディのきらめき。そして、ひとつ屋根の下の、ほどよい疲れと満腹の静けさです。
「来年は、どんな衣装にしましょうか?」
「ヒデオさんは執事も似合いますよ」
「魔女の助手、いいですね」
『ぼくは……超大容量ぷるぷるグミになる!』
「グミはどうやって表現したらいいのでしょうか?」
笑い合って、カップを片付け、テーブルを拭き、風船をひとつ弾ませて。ヒカリさんの寝息が落ち着いたころ、私たちはリビングの灯りをひとつ落としました。
窓の外では、秋の風が短く鳴って過ぎ、遠くで誰かの「ハッピーハロウィン」がかすかに響きました。家の中は、体温の残る空気がふんわりと満ちています。
こういう夜のために、日々を整え、働き、帰ってくるのだと、自然に思いました。
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