第5話 恋のスリーステップ
ヘイズ領で大規模な洪水が起こったのは、私がまだ八歳の頃だった。
その日私が村の友達と一緒に外で遊んでいると、夕方近くなってポツポツと雨が降り始めた。
特に酷い大雨でもなかったし、川の水位を見てもいつもとほとんど変わらない。
まさかあんな突然のように鉄砲水が村に押し寄せるだなんて、誰一人思いもよらなかったんじゃないだろうか。
小雨に濡れる村の奥、山の方角で響いたドーンという爆音。
そしてその数時間後には、家も村も全て濁流に流されていた。
何もなくなった村を目の当たりにして、悪い夢でも見ているんじゃないかと思った。でもその夢はいつまで経っても覚めなかった。
泣きながら必死で両親を探したけど見つからず、生き残った村の人たちに少しずつ食べ物を分けてもらって何とか数日間を過ごした。
少ない食べ物や飲み水を巡って、村の治安は日に日に悪くなっていく。
あの時、隣の街から支援に来てくれた修道院のシスターたちが私を見つけて引き取ってくれなかったら、私はあのままのたれ死にしていたかもしれない。
私が強い魔力を持っていることに気が付いたシスターたちは、私を聖女候補生として受け入れてくれないかと王都の神殿に掛け合ってくれた。シスターもお金がない中で何度も王都に私を連れて行ってくれて、聖女候補生となる試験に何とか合格したのだ。
(だから私は立派な聖女になって、育ててくれたシスターたちに恩返しがしたかったんだけど……)
「……今更言っても仕方ないもん。私は私にできることをしなきゃ」
「ディア?」
「あっ、ごめんなさい殿下! 話を続けましょう。今日は恋のスリーステップを学びます。スリーステップとは、何だと思いますか?」
私の突然の問いかけに、殿下は兜を抱えて悩んでいる。
「スリーステップ……。『出会い』、『会話』、『相互理解』かな」
「殿下、それはスリーステップではなくスローステップ。そんなスピード感では、一生キスまでたどりつけませんよ」
「はははっ! ディアは上手いこと言うな。ガイゼルはどう思う?」
私たちのしょうもない会話に巻き込まれ、ガイゼル様の眉間に深い皺が刻まれる。俺に聞くなよ、と言った鬼の形相である。
「アーノルト殿下。ガイゼル様は助けるつもりはなさそうですから、ご自分で考えて下さい。スリーステップ目が『キス』だとすると、その前のツーステップは何でしょうか」
「キスの前にすることか……手を繋ぐ、とかだろうか?」
「正解です! 今日は手を繋ぐ練習を致しますよ!」
『初恋を成就させる百の方法』によると、手のつなぎ方には色々と種類があり、その中でも恋人同士だけが使う恋人つなぎというものがあるらしい。
(恋占い師とは言え、私も恋愛経験ゼロだからね。ちゃんとしっかり教科書を読みこんで準備したのよ!)
「さあ、殿下。まずは手の指を思い切り開いてください」
「こうか」
「お上手です! 恋人同士が手を繋ぐときは、各指の間に一本ずつ相手の指を挟み込んでいきます」
「……随分と高度な組み方をするのだな」
「大丈夫ですよ。指と指の間に、相手の指は必ず一本ずつです。一つの谷に二本の指を入れたりしなければ、自然に恋人つなぎが完成するはずです!」
私の説明を聞きながら、殿下はご自分の手の指をくねくねと動かしながら顔をしかめている。
「おい、ディア。そんな大層に説明するようなことか……? ただ手を繋ぐだけだろう?」
必死で殿下に恋人つなぎの構造を説明する私に向かって、またガイゼル様がいらぬ口を挟んでくる。どうもガイゼル様は、私のレッスンがお気に召さないらしい。
「ガイゼル様、いちいち口出しは不要です。口じゃなくて手を出してください」
「手?」
「さあ、アーノルト殿下の恋人つなぎの練習台になって頂きますよ」
「はあっ?! お前がやれよ!」
嫌がるガイゼル様の背中を押して、アーノルト殿下の横に並ばせる。二人は顔を見合わせて嫌そうな表情をしながら、それでもそっと手を繋いだ。
「おおっ、良い感じです。もう少し力を入れられますか?」
「ディア……恋人つなぎというのは、結構大変なものなのだな」
殿下とガイゼル様は気まずそうに、お互いそっぽを向いている。恋人つなぎをしたならば、もう少し至近距離で見つめ合った方がよいのではないだろうか。
「殿下。ガイゼル様のことをリアナ様だと思って、見つめ合って頂けませんか?」
「わ、分かった……。ガイゼル、こっちを向け」
二十歳前後のガッチリした細マッチョの青年二人が恋人のように手を繋ぎながら、視線を合わせる。しかも一方は、頭に兜付きだ。
なかなかシュールな光景である。
「それでは殿下。繋いでいる手と反対の手で、少しガイゼル様の髪の毛を撫でてみてください」
「髪の毛を……」
「殿下、そこは眉毛です」
「あ、ああ……。すまない、ちょっと動揺してしまって」
明らかに動揺して挙動不審な殿下の目の前で、ガイゼル様は完全に白目をむいて気絶寸前だった。
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