第8話 お届け物は晩飯です
凪の晩飯を作る事になり、いくつかの決め事が定められた。
とはいえ厳しいものではなく、彼女の家に晩飯を持って行く時間や、部屋の掃除は今まで通り清二がする等、詳細を詰めるものが多い。
掃除に関しては海斗が出来ないので、清二が行うのは仕方ないだろう。
ただ、それとは別に一週間に一度、海斗が清二に経過を報告するというのが決められた。
曰く、海斗と凪がどんな会話をしているかなどは話す必要はなく、単にトラブルが起きていないか確認したいだけなのだとか。
いくら海斗に任せたとはいえ、完全に放っておく訳にはいかないようだ。なので、何か問題があったら相談して欲しいというお願いに近い。
凪はというとその決まり事をあっさりと呑み、その日は解散となった。
そして擦り合わせを終えた次の日。夕方からバイトに入ってはいたが、途中で切り上げて凪の晩飯を作り、高級マンションへ来ている。
「えっと、先輩の部屋の番号を押せばいいんだよな」
高級マンションに住んでいる人を呼び出した事などないので、おっかなびっくりという風にテンキーを押す。
すると、それほど時間を掛ける事なく『天音?』という涼やかな声が聞こえた。
「はい。こんばんは、西園寺先輩」
『こんばんは。上がって』
正式に決まったから当然ではあるが、あっさりとロックが解除される。
昨日との違いが何だかおかしくてくすりと笑みを零し、エレベーターに上がって十階へ。
凪の家に到着してインターホンを鳴らせば、すぐに扉が開いた。
アイスブルーの瞳はしっかりと海斗を見るものの、相変わらず何の感情も宿していない。
「何を作ってきたの?」
「今日は様子見という事でカレーです」
料理のメニューは海斗に一任されており、今日はオーソドックスなカレーだ。
海斗が今まで生きてきた中で、カレーが嫌いだという人は居なかった。
これなら外れないと思っての選択だが、凪の表情が僅かに緩んだので正解だったらしい。
「はいどうぞ。ご飯は取り敢えず詰めたので、食べきれなかったら冷凍庫で冷やしてください」
鞄の中からカレー用のとご飯用のタッパーを取り出し、凪に手渡す。
清二曰く彼女は炊飯器を使うつもりがないようで、おかずだけ渡すのは無しにして欲しいとの事だ。
とはいえ凪がどれくらい食べるか分からないので、取り敢えず大きめのサイズに目いっぱい入れている。
タッパーを見た瞬間に凪が顔を曇らせたが、助け舟を出すと無表情に安堵の色が浮かんだ。
「分かった。なら明日もカレーにするから、ご飯は作らなくていい」
「了解です。でも、ちゃんと食べてくださいね?」
作った側として、料理を食べてもらえずに捨てられるのが一番辛い。
味に関しては清二のお墨付きなので大丈夫なはずだが、海斗は凪が食べているのを確認出来ないのだ。
下手をすると、食事を違う物で済ませる可能性がある。
そんな事をされれば清二に任された意味がないので、念の為に釘を刺した。
すると僅かにではあるが、凪が不服そうに唇を尖らせる。
「当たり前。作ってくれた料理を無駄になんてしない」
「なら作り手冥利に尽きますね」
最初は全く表情が動かない人だと思ったし、それは基本的に変わってはいない。
しかし、最近では不満や笑顔をほんの少しではあるが見せてくれる。
それが仲良くなったみたいで嬉しく、海斗の頬が緩んだ。
「そう言えば、嫌いな食べ物ってありますか?」
「……ない」
「何で言葉に詰まったんですか。その感じだとありますよね?」
返答に間があっただけでなく、尋ねた瞬間にアイスブルーの瞳がさっと逸らされたので、嫌いなものがあるのは察せられた。
嫌いなものも食べるべきだと言う人もいるだろうが、折角の食事なのだ。出来る限り辛い思いはさせたくない。
真剣に尋ねれば、凪が言い辛そうにおずおずと口を開く。
「…………ピーマン」
「ピーマンですか。他には?」
「ゴーヤとか、苦いものは嫌」
「分かりました。ならそういうのは入れないようにしますね」
一つ言った事で遠慮が無くなったのか、正直に話してくれた。
聞いた側ではあるものの、大人びた雰囲気を持つ凪に嫌いなものがあるのは意外だ。
それがピーマン等の苦い物という事で、小柄な背と合わせて彼女が子供に思えてしまう。
流石に笑ったり感想を口にするのは失礼なので、胸の中に留めておいた。
何はともあれ、今日は大丈夫だったが、今度からは苦いものを入れないようにしなければ。
凪を安心させるように微笑を作って告げると、澄んだ瞳が大きく見開かれる。
「いいの?」
「代わりに他の野菜を取ってもらう事にはなりますが、無理に食べろなんて言いませんよ」
「……ありがとう、天音」
余程食べたくなかったのか、凪が胸を撫で下ろした。
安心からか無表情が崩れており、無垢な笑顔が海斗へと向けられる。
魅力的な表情をいきなり向けられて、心臓がどくりと跳ねた。
必死に鼓動を抑え込み、平静を取り繕う。
「……これくらい大した事じゃないですよ」
「それでも、ありがとう。ちゃんと食べるね」
「そうしてください。それじゃあ」
「うん、またね」
長々と話す事もないので別れを告げると、ぱたりと扉が閉まった。
凪の家を後にし、エレベーターでエントランスへ降りる。
「ホント、噂とは違う人だよなぁ」
元々取っ付き難い人だと思ってはいなかったが、こうして話すと尚更そんな印象が崩れていく。
海斗に見せた笑顔を他の人にも見せれば、友人くらいあっという間に出来るはずだ。
しかし、凪は相変わらず他人と距離を取ろうとするだろう。
そんな中でも、海斗は清二を除いて間違いなく凪に一番近い人だ。友人、と言えるかは怪しいが。
少なくとも、あんな笑顔を見せてくれる関係なのは間違いないし、だからこそ料理にも熱が入る。
「さてと、明後日は何にしようかな」
晩飯を作って渡すだけの関係だが、決して気まずくはない。むしろ、海斗としては非常に仲良くさせてもらっている。
これなら特にトラブルなど起きず凪と良い関係を築けるだろう。
胸を弾ませながら、次の献立を考える海斗だった。
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