第9話

 ―― 五億歳じゃありませんよ。


「えっ」

「どうしたの、彼氏」

「いや。今、彼女がしゃべったような気がして」

「気のせいよ。見てみなさいよ。相変わらず白い顔して固まってるじゃないの、あんたの彼女」

「ねえ、ホントに救急車呼ばなくていいんスか」

「そおよぉ。死んじゃったらどうするのよぉ」

 ニューハーフとホストとキャバ嬢が、口々に私を非難する。


 ―― そうですよ。もっとちゃんと温めてください。 


「シエちゃん?」

 四方を見回して、シエラの姿を探す。

「ちょっと、もうどうしたの。しっかりしなさいよ」

「いや。なんでもないです」

 もしかしてシエラのたましいは、仮死状態の肉体から緊急避難しているのかもしれない。


 ―― そうですよ。脱出しました。死神はそう簡単には死にません。


 ―― シエちゃん、生きていたの?


 ―― 生きてますよ。だから早く肉まん……じゃなかったレンタルボディーを温めて、元に戻れるようにしてください。


 私は今、魂と魂で交信している。こんなことってあるのか。


 ―― そんなつまらないことに感心してないで、毛布かなんか持ってきてください。


 ―― あ、そうか。気が付かなかった。ごめん。


「すみません。ちょっと彼女を見ていてもらえますか。ぼくフロントで毛布を借りて来ます」

「ああ、そんなのオレがするからいいっスよ。ちょっと待ってて」

 風のように、ホストがロビーへと消えて行く。

 その背中を無言で拝む。

 一分もせぬうちに、ホストは毛布を抱えて戻って来た。

「はいっ」

 投げられた毛布を、私はキャッチしそこね、頭からかぶった。

「んふぁ…、ありがとうございます」

 毛布でシエラの体を包む。


 ―― そしたら女の人に、心臓マッサージをしてもらってください。


 ―― わ、わかった。


「すみません。どなたか女性の方、心臓マッサージをしていただけますか」

「いいけど、アタシやり方、分かんないわよ」

「え?」

「何」

「いえ、何でもないです。やり方は、ぼくがお教えします」

「どうすればいいの?」

「まず、彼女の体の横に来てください。そして、両手をこんなふうに重ねるようにして、手のひらのいちばん分厚い部分を、左右の乳首を結んだ線の真ん中あたりに当ててください」

「こうかしら」

「そうです。そうしたら、一秒に二回くらいのリズムで、体重をのせるような感じで胸を押し続けてください」

「こんな感じ?」

「もっと体重をのせてください」

肋骨ろっこつ折れないかしら」

「大丈夫です。遠慮なくいってください」

「じゃあ、いくわよ。ふんっ」

「はい。そんな感じです。それで続けてください」

 警備員として身につけた技術が、プライベートで初めて役に立った。しかもこの漆黒しっこくの状況下で。

 ニューハーフはコツをつかんだようだ。リズミカルにシエラの胸を押し続けている。ホストは、ジャンボタオルを頭上でプロペラのように振り回して、天井てんじょう付近にまった熱気をシエラに送ってくれている。キャバ嬢は、毛布の上から太腿ふとももやらすねやらをマッサージしている。顔に、少しずつ生気が戻って来ているように見える。

 私は、首筋で脈を確認すると共に、自分の耳をシエラの鼻と口元に近付けて、レンタルボディーが呼吸していることを確認した。


 ―― シエちゃん、いる?


 ―― ハイ。


 ―― 戻れそう?


 ―― たぶん、もう少しで。


 シエラの魂は、どのあたりを漂っているのだろう。

 曖昧あいまいに天井を見上げる。

「脈も正常だし、呼吸も普通にしています。どうやら危機は脱したようです。もう心臓マッサージは結構です」

「そう。よかったわ。でも、変よね。あんたが彼氏なんだから、このマッサージ、あんたがやればよかったのに」

「それは、無理です。まだ二回目のデートですから」

「胸、触るの気にしてんスか?」

「はい」

「カレシ、ジェントルメンじゃぁん」

「でもあんた、彼女いま意識ないんだからチャンスだったのに。馬鹿ねぇ」

「いやあ。女の人にやってもらえって、本人が言うものだから」

「は?」三人が同時に声を上げる。

「あ、いえ。意識があったら、絶対にそう言うだろうなと」

「ああ、そういうことスか」

「やっぱカレシ、ジェントルメンだわぁ」


 やめてもいいと言ったのに、念のためと言って、ニューハーフは黙々と心臓マッサージを続けてくれている。

「あれ。今、彼女の眉毛が動いたような気がしたっスよ」

「う…ん……」

 シエラの口から、吐息と共に声が漏れた。

「おっ。お姫様、ついに降臨スか」

「シエちゃん、大丈夫?」

「だい……じょぶ……です」

「おおおっ」

 四人で手と手を取り合う。

「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいのか」

「いいわよ。いつか倍返ししてもらうから」

「え。じ、じゃあ、二十四回払いでお願いします」

 それぞれソファに座って一息ついた。

「それにしても不思議なカップルっスよねぇ。アンバランスのバランスがエグいっス」

「いいなぁ、岩盤浴デートかぁ。ワタシもカレシが欲しくなっちゃったぁ」

「いやあ。ぼくの片想いですから」

「ええ。そんなことないんじゃない。どうでもいい男だったら、普通岩盤浴に誘われてもくっついて来ないわよ」

「そうっスよ。岩盤浴デートは、なかなかレベル高いっスよ」

「そおよねぇ。女の子からすれば、すっぴんの顔、見られちゃうわけだしぃ。それでもいいって思うほど、カレシに心を許してるってことでしょお」

 三人で一斉いっせいにキャバ嬢の顔を見る。

「やぁだぁ、みんなサイテー。ワタシはウォータープルーフ使ってるから、メイクばっちり残ってますぅ。おあいにくさまぁ」

 シエラは毛布の上から目だけ出して、そんなやり取りを眺めていた。

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