遊川の日誌 vol.3
久しぶりに藤倉を連れ立って「街」の外へ出ると、彼は心身ともに相当疲弊しているように見えた。彼は、ホテルの部屋へ入って腰を落ち着けると「見捨てられたかと思った」と打ち明けた。
「ごめんなさい。あなたの衰弱も、計画のうちだから」
私が彼に謝ると、彼は「ちゃんと教えておいてくれよ」と言った。
「こんなところへ呼び出したということは」
「ええ。もうすぐ実行に移す」
私は彼に、再検討した計画を記載したメモを差し出した。彼はそれに目を通し、眉を上げた。
「随分、大胆に変えたんだな」
私は彼に頷いて答える。準備を進める過程、入念に検討を加える過程で、当初の計画はどんどん見直しを掛けていった。情報漏洩を防ぐため、彼への説明もほとんど実施せず、私が独断で計画を進め、水面下であらゆるものを手配した。
「それで、オレはどうすればいい?」
彼はメモを持ったまま顔を上げた。彼にしては珍しく、私に全てを委ねてくれるらしい。私は彼に、「メモの通りに動いて欲しい」と伝えた。
「何があっても?」
彼は私の言葉尻を捉え、それを繰り返した。私が頷くと、彼は「了解」とメモを畳んで私に返してきた。私はそれを受け取り、備え付けられていたゴミ箱に放り捨てた。彼はそれを見ながら、「そんなところに捨てて、大丈夫か?」と言った。
「これも、計画通りだから」
私がそう言うと、彼は「なるほど」と頷いた。彼のことだから、あんなメモは一発で頭に入ったと思うが、当日の段取り、指示は別途用意してある旨も伝える。
「北海道までの逃避行か。楽しみだな」
彼は笑顔を残し、先に部屋を出た。彼はそのままいつもの待機部屋へ戻る。私はそこで彼と別れ、夜景が見える最上階のレストランへ移動した。個室に案内されると、先に到着していた協力者、真境名鈴吾がステーキを頬張っていた。彼は中がまだ赤い肉に、赤黒いソースをたっぷり付け、それを口に運ぶ。
私はその様子に、さっきまで取り掛かっていた作業を思い出した。彼の気を悪くしないよう、ハンカチで口元を押さえ、込み上げた嫌な記憶を必死に忘れようとした。
「ごめんね。腹減っちゃって」
彼は食事の手を休め、口元についたソースを拭う。私は彼の向かいに座り、ハウスワインの白だけを注文した。普段なら彼に合わせて赤を頼むところだけど、今日だけは赤い物を遠ざけたい。
私は、自分のことは気にするなと彼に伝え、食事を続けてもらう。彼はステーキのカットを再開しながら、顔を上げた。
「計画は順調?」
「おかげさまで。本人にも、ちゃんと伝えたわ」
鈴吾は「そう? それは良かった」と、屈託のない笑顔を見せた。その優しい笑顔に絆され、肌を重ねたこともある。それがきっかけか、藤倉の脱走計画に彼も快く協力してくれ、彼のおかげで脱走後の計画も実現可能なレベルへ落とし込むことができた。
「指定された牧場に渡されたブツもしっかり埋めたって、兄貴から連絡もあったよ」
私は彼の食事を見守りながら、手元に届いたワインに口をつけた。ただ、ステーキにナイフが入る様は延々と見ていられない。私は窓の外に広がる夜景に視線を向ける。
「でもさ、最後が牧場のタイムカプセルっていうのは、安直すぎない? そんな映画、なかったっけ。モーガン・フリーマンも出てた、確か……」
鈴吾はこちらの反応など微塵も気にかけず、一人で楽しそうに喋っている。私も一応耳を傾けるけど、話の内容は全く頭に入ってこない。彼は一人でひとしきり盛り上がると、手を止めて視線を私に向ける。
「ただ、兄貴と電話が繋がらなくってね。詩恵留ちゃん、心当たりある?」
彼は私を真っ直ぐ見て言った。その目は、私に助けや答えを求めているという様子ではなかった。
「完了の連絡をもらったから、お礼を言おうと架けてみたんだけど、反応がなくてさ」
「実弟のアナタが分からないのに、他人の私に分かる訳ないでしょ」
私がその目を見つめ返し、突き放すように言うと、彼は「それもそうか」と納得したようだった。私は彼のペースに合わせ、グラスを傾ける。酔っ払って忘れないうちに、部屋の鍵を彼に差し出した。
「アレ、もういいの?」
「ええ。後は、アナタの本妻と楽しんで頂戴」
私はグラスに残ったワインを飲み干すと、ウェイターを呼んだ。彼の食事と合わせ、私のカードで支払った。鈴吾は「そんな、悪いよ」と言ったが、私はこれまで手伝ってくれたお礼も兼ねているから、と断った。
「じゃ、お先に」
私は食事を終え、身支度を整えている鈴吾を置いて、レストランを出た。彼はこの後、ロビーに呼びつけていた彼女とさっきの部屋で落ち合い、愛を語り合うはず。名簿で問題があるようなら、彼らがいい具合に処理してくれる。
私は足早に「街」へ戻り、白衣を纏って先に帰っていた藤倉の元へ移動した。彼は先ほど見せたメモの通り、いつものベッドに仰臥している。私はその顔を眺め、大きな息を一つ吐いて、覚悟を決めた。白衣のポケットに忍ばせておいた小瓶を取り出し、部屋にしまっておいた注射器を取り出す。
藤倉の点滴に小瓶に入っていた薬を注入する。それまで安静にしていた藤倉の身体は急に震え出し、ベッドの上で激しくのたうち回った。彼を観測していた機器は、バイタルの異常を検知し、看護要員を呼び出しにかかった。
私はそれを受理したフリをして、部屋に駆けつけた女性研究員たちに、藤倉の死亡を告げた。彼女らは、私の言葉を追認するように藤倉の身体を確かめ、彼が息絶えたことを確認した。
心臓マッサージ等で蘇生術を施そうにも、彼は既にそういう身体ではない。無理に延命措置をとるような素体でもない。新たに駆けつけた責任者も含め、「廃棄処分」という結論を下した。私はその言葉にショックを受けながらも、彼の遺体は私が捨てに行くと申し出た。
全会一致で承認され、部屋から私以外の人員が出たのを確かめると、彼の身体に繋がっていた各種ケーブルを外し、機械の力も借りて、横付けしたストレッチャーへ遺体を移した。顔と身体の上に布を被せ、彼の重さをしっかり感じながら、ありったけの力を加え、被験体の廃棄物処理場へ、ストレッチャーを押して行った。
火葬場の焼き場へ踏み入るような感覚で、所定の部屋に入った。そこで私は監視カメラにダミーの映像を流し、藤倉の乗ったストレッチャーをそのままに部屋の外に出て、外側に鍵をかけた。
あとは彼がうまくやってくれることを祈って、私はその場を後にする。
私は自分の研究室へ戻り、羽織るものを白衣からコートに切り替えた。この日のために作っておいたボールペンのような小型の銃をポケットに入れ、机の上にあった端末のキーボードを操作する。身近なコマンドを入れ、エンターを押すとタイマーが表示された。
部屋のドアがノックされる。私は部屋の灯りを落とし、廊下に出た。ドアをノックしたのは、鈴吾の彼女だった。鈴吾は鈴吾で、少し離れたところで「街」の保安部を数人従えてこちらを見ている。
「何かご用かしら?」
「ええ、あのー、ホテルの利用で問題が……」
目の前の女は、どうでもいいことを延々と述べている。自分の用事だろうに、鈴吾は女の後ろに控え、十分な距離を取って離れているのが腹立たしい。私はポケットの小銃を抜き、空いた手で女の身体を拘束した。こめかみに銃を突きつけ、鈴吾たちに道を開けるように迫る。
鈴吾の後ろにいた保安部は立派な銃を構え、鈴吾と私の間に割って入った。鈴吾は彼らの後ろで狼狽えている。
「そこを空けなさい。空けないと彼女を撃つわよ」
私が本気で迫っても、保安部は問答無用で引き金を引こうとする。彼らには、取るに足りない一市民。秩序のため、施設の裏切り者を排除するためなら、犠牲を厭わない。私が悔しがって歯を食いしばっていると、研究室のそこここで爆発音が鳴り響いた。背後にあった私の部屋も、時間差で爆発した。熱い空気と強烈な衝撃が私を通り過ぎていく。
「街」が警報と混乱に満たされる。私は狼狽している保安部に向け、引き金を引いた。彼らは少し時間を置き、身体の穴という穴から血を噴き出して倒れる。鈴吾はそれを見て、尻餅をつく。私は彼を見下ろしながら、彼の女に銃を突きつけたまま、「街」の外へ向かって廊下を走り始めた。
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