(捌)妖刀の誘い
「ふーん、なるほどナ? そんじゃ、おまえの願いがあたしを起こしたってワケ」
ユキが自分がここに来るまでのこと、来てからのことを話し終えると、妖刀は納得したように頷いた。そしてこてんと首を傾げる。
「でもアイツ、なんだかんだ聞こえのいいこと言っといてサ、友と呼んだ野郎の子供を使用人としてこき使ってンのかヨ。ひでー奴」
「それは違うよ。俺が頼んだんだ。……咎人の子ってだけで嫌われるのは、まあわからなくもないけど。それを引き取ったってだけで、優しい旦那様まで変な人だと言われているのは酷い話でしょ。少しでも恩を返したいし……だからせめて働かせて欲しいって。俺一人でできることは限られてるけど、せめてそれで恩を返させてくれって、俺が言ったんだ」
「ふうん、変なの。アイツに勝手に連れてこられたんだからタダでふんぞりかえっていりゃあいいのに。アイツからもなんだかんだで許されたろうに」
「……それこそ坊ちゃんに悪いから」
ユキは苦笑した。
ユキが親友の子だからと優しくしているのだ。妖刀の言うように養子の如く居座っても(周りは別として)芥間は何も言わないだろう。それをよく知らないイナタからすれば、今以上に面白くないに違いない。
妖刀はふうん、そんなもんかヨと声を溢した。
「ユキは羨ましくならなかったのか?」
「なにが?」
「周りの何もかもだヨ。おまえは何もしてねぇのにサ、呑気に何事もなく生きてる奴らが妬ましくはなかった? 恨まなかったのか? 知らん奴らに貶められて、そんな痩せっぽちなまま働かせられて、アイツは助けちゃくれねェし、なぁんにも知らねえぼんぼんの坊主にこーんな蔵に閉じ込められて、ナァ?」
「…………きみの望む答えじゃないかもしれないけど、恨んで、妬んで、羨んで、それで何か変わるなら、俺も多分そうしてたと思うよ」
事実、変わらなかった。むしろ目を曇らせるだけだった。障害を増やすだけだと早くに気がついた。
やるべきことはたったひとつ、それを見失わなければいい。息を潜めて、時を待てば良いのだ。ユキはゆっくりと妖刀と視線を合わせた。
妖刀も言っていたじゃないか、ユキの願いが起こしたのだと──そうだ、これがきっと待ちわびた機会なのだろう。
「妖刀、えんきり」
「なンだヨ」
「エンを斬るって言ってたけど、人は斬れる? 人の、首だ」
「人を斬る、モノを斬る、当然だろ。あたしは刀だぜ。どんな意図があれ、能力があれ、変わらないのは人斬りの道具ってことさ────」
「……じゃあさ、
視線が交わる。この摩訶不思議な妖刀ならばと打算だらけの思考の中で必死に考えた名前だった。友達みたいに居てくれるのではないか、なれなくたって取り引きを持ちかけることはできるのではないかとぐるりぐるり思考を巡らせる。
やはり少女も突然のそれにピンと来ないようで目を瞬かせた。
「おえん? なんだそれ」
「その、渾名というか、名前だよ。きみがまだ誰の刀でもないのなら、きみをそう呼んでもいいかな」
「あたしがおえん?」
「あ、いや、ごめん、気に入らないなら別のを考えるよ。きみにはえんきりって立派な名前もあるけど、呼びやすい名前もいいかなって。変かな、俺、女の子の名前を考えたのがはじめてだから……」
「初めて考えた名前? おまえが、あたしのために?」
「う、うん」
ユキの不安とは裏腹に、妖刀えんきり──
「おえん、おえん! ウン、ウン、気に入ったぞ! かわいいじゃないか、いいともさ! あたしは妖刀えんきり──だけどユキのおえんになってやる! へへ、誰かに新しい名前をつけられたのは久しぶりだ!」
しばらく空中にころころ転がりながら名前を連呼して喜んでいたおえんは、ピタリと動きを止めて、ニッと無邪気な表情を見せた。
「なあ、ユキ──生天目ユキノスケ。ひとつ、あたしと契約しようじゃねェか! 大方さ、おまえもそれを持ち掛けようとしたンだろう?
「え……」
「おまえの願いはなんだ? なんだって叶えてやるヨ、あたしはおまえが気にいってンだ」
見透かした視線にユキは小さく「剣士」と呟いた。ずっと追っていた夢。剣士は剣がなくては戦えない──ユキには己の剣すら、いまだないのだけれど。
「──今はただ、父さんの仇を討てる剣士になりたいんだ。その為に、俺と一緒に戦ってくれる刀が欲しいんだ」
「それがあたしになると?」
「……うん、嫌じゃなかったら」
「あはは! 刀にそれを聞くか?」
夢は八年前から変わらない。仇討ちに善良さは必要ない。仇敵のいる場所まで堕ち果ててでも、ユキは父の仇を討ちたいと願い続けてきた。その先の未来は元より望んでいない。
「仇討ちが終わったら、きみのして欲しいことをなんでもする。行きたい場所があれば連れて行くし、欲しいものがあれば、この命だって俺の全部をきみにあげる」
瞳の奥に燃える焔に、おえんは華やかに笑いかけた。ユキは胸元を掴む。己以外に担保に出来るものがない取り引き。
「僕が渡せるものは、僕自身しかないんだ。それで良いかな。きみの力を俺に貸してほしいんだ」
「いいぜ、ユキ、あたしと契約しようじゃないか!」
「契約……って、どうすればいいの?」
おえんはユキの手を引く。小さな手はひんやりと夜の空気を吸っているようだった。彼女は一番明るい場所まで誘うと、すっと手を離した。
「簡単なことだ、誓い合えばいい。妖しき存在と人とが力を貸し合う時にゃコレが必要なんだ。何をして、何をしなくて、何の対価に何を得るのかの線引きを決めるのさ。……これはおまえらの大好きな妖術でも一緒なンだろ?」
「ごめん、妖術は習ったことがないから」
「ふうん? ま、そンならそれも教えてやれるから安心しなよ。なんたってあたしはそういう縁も斬れる刀だからナ──。あたしの知ってること、出来ること、全部おまえの為に使えばいい。この妖刀で何もかも斬ってしまえばいいよ。お前が剣士になって名を高めて、モノを斬るほど、あたしの名前も高まるのさ」
旋律を奏でるような、蕩けるような、甘く軽やかな声。
この刀となら、顔知らぬ仇でさえも斬れる。
この刀になら、例え食われても構わない。
「俺はまだまだ弱いけど、大丈夫? 稽古でしか戦ったことがないから、きみを待たせてしまうかもしれない」
「これから強くなればいいだろ? あたしの時間は長いンだぜ」
「剣士としても無名だ。きみの名前を高めるには時間がかかるよ」
「名前が必要ならこれから増やせばいいよ。必要なら天下だって獲らせてやれる」
それを為すのが妖刀えんきりだと囁く。それに抗うように首を横に張った。
「天下なんていらないよ、おえん。俺は首が欲しい」
「世界だってくれてやれるのに?」
「世界より、俺はただ一人の首が欲しいんだ。それじゃ、ダメかな。きみの剣士としては物足りない?」
「そういや首って誰のさ」
「…………まだ知らない、けど」
「ふふ、ふふふ、顔も知らない仇討ちかぁ!」
「だめ?」
「いんや、足りないものか、ダメなものか! あたしはとっても気に入ったぞ!」
妖しいほど美しく笑みを浮かべると、少女は甘く囁いた。
「契約しよう。あたしはユキの為の刀になる。絶対におまえの仇の首を刎ね落としてやる。その代わり、終わったらユキの全部をアタシにくれ。命も、時間も、おまえのなにもかもをだ!」
「……いいよ。そんなものでいいのなら、いくらでも」
「そンならあたしに誓ってくれ!
「誓うよ。俺はきみだけの剣士になる」
差し出された手はとても小さかった。
爛爛と輝く瞳から目を離せないまま、ユキは青白いそれに手を重ねる。ぎゅっと握られて、おえんの口から不思議な音が数言こぼれ落ちる。
ちくりと刺すような痛みが走る。
手の内にあった、錆だらけの刀が仄かに光を帯びて、ユキの声に沿うように鯖が剥がれ始める。
なるほど────妖刀。
美しい刀身が仄かな光を弾いて暗闇に浮かんだ。
「それで仇が討てるのなら、なんでもする」
「その願いがあたしを完全な妖刀に至らせる」
「俺はきみを誰もが知るような妖刀にする」
「あたしはユキの為に仇の首を刎ねてやる」
「約束だよ」
「応、約束だ!」
少女の声が明るく跳ねた。
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