(肆)転機・壱

 芥間イナタは腕を組んだまま、冷たくユキを見下ろしていた。イナタの方が拳ひとつ分背が高い。父譲りの黒い長髪を一つに結わえ、切れ長の吊り目でユキを睨んだ。


「喜べ、お前に仕事をくれてやるよ」


 当然、これには裏がある。

 ユキにだってそれくらいわかるのだ。そうでなければイナタが、わざわざ自身で仕事を言いつけにくることはない。喜べと言われたところで喜べるはずもなく、しかしそれを断れるはずもないのでユキは大人しく頷くほかなかった。


「……わかりました。何をすれば良いですか」

「蔵の掃除だよ。北門の方に父上の我楽多がらくた蔵があんだろ──あれの中を丸ごと整理して、俺が譲り受けることになったんだ。お前、中のものを整理して明日の朝までに掃除しておけ」

「俺が蔵掃除を? ……良いのでしょうか」

「ふん、この間軽く見たけど、どうせあそこはゴミ山だからな。あんな歴史もなくて古いだけのものは全部売るか捨てるかだろうよ。だからおまえみたいなけがれた血筋でも任せられるンだよ」


 ゴミばかりならばそうか、とユキは納得した。あそこは確かに雑多で高価ではないものばかりが詰め込まれていると聞く。かつて芥間イヅミが蒐集しゅうしゅうしたものの、すぐに興味を失ったものが詰め込まれているという話だった。

 中には高価なものも当然含まれているが、とっくに時代遅れになったものであるとか、使い道が限られてしまっているだとか、ほとんどは世に溢れるガラクタとされるモノばかりなのである。


 身元に障りのある人物が、物を管理する場所の片付けにあてがわれる事は本来ならばまずあり得ない。それなりの高価なもの、例えば家に代々伝わるものだの、帳簿だのの盗みがあったのならば、盗人のほかに蔵の管理者や他使用人も監督不行届で連座で罰を受けることになるからだ。


 しかし相手が明らかにゴミだとされていたのなら別だ。不要なモノに責任を取るのは主人のものに勝手に手をつけた、手癖の悪い盗人だけとなる。盗まれたのはゴミだからと、他の人が大きなお咎めを受ける自体は滅多にないのだ。あって、数日間の労働が増やされるか、手当が気持ち減らされるか、そう言った程度で済まされる。

 盗人については手首を斬り落とすか、むちで身体を打たれるか、とにかくユキだけが責任を負えばいいのである。

 ユキに盗みの罪を被せて仕舞えば他の使用人は傷つくことなく一人だけ処分できる──だからイナタはこの仕事をユキに任せたのだろう。


(手首がないと剣は握れない……どうにかして逸らせられたらいいんだけど)


迷ったところで、一使用人にすぎないユキに後継からの命令を断れるはずがない。断れば断ったでまた面倒な罠を仕掛けているのだろう。


「……イナタ様、少しだけ時間をくださいますか」

「はあ、時間だあ? 生意気だな」

「使用人頭の立花さんから頼まれているものがあるので、それだけ届けさせてください」

「ちぇ、立花か。めんどくさ────仕方ねえな、くそ。そんなのすぐにやれよ、ばか」

「ありがとうございます」

「十分待って来なかったら、おまえわかってるよな」

「急ぎます」


さっさと去っていくイナタを見送って、ユキは大急ぎで母屋へと向かった。



+++



 きっかり十分。

 ユキが我楽多蔵に駆けつけた時には、イナタは既にそこで待っていた。


「おい、遅いぞ」

「イナタ様、申し訳ございません」

「だからお前なんか嫌いなんだよ」


イナタは吐き捨てると蔵の扉に手をついた。妖術を使った鍵だ──それを解けば扉が耳障りな音を立てて開く。

 埃臭い蔵は、「ガラクタ」の名に違わぬ状態だった。積まれた箱、詰め込まらたあれやこれ、書物に衣服に装飾品やら調度品やらが散らばって置かれていた。

 よくもまあ、ここまで散らかせる。

 

「ガラクタって言ってもお前なんかが手の届くモノじゃないんだ。勝手に中のモノを盗んだらわかるよなあ? 父上だってそんな事態になりゃ目も醒めるはずさ」

「……当然です」


ユキはため息を飲み込む。盗んだことにしようとしているのだろうことは分かる。


 ユキは静かに一歩蔵に足を向けた。

 埃が舞ってきらきらと、採光窓から溢れる光にきらめいた。あちこちに埃が溜まり、カビ臭さが充満して、しっちゃかめっちゃかなモノの隙間には蜘蛛の巣まで張っていた。

 やはり先に時間を貰って正解だった。この分では明日の朝は炊事場に行けそうにもない。ここの掃除もこなした上で、その間なにも盗んでないと誰からも分かるようにしなくてはいけないのだから──ユキがもう一歩踏み込んだ時、背後で乾いた笑い声がした。


 音がして、目の端に異様な光が弾ける。

 それがイナタの放つ妖術だと遅れて理解する。


 イナタのてのひらに紫色の雷光にも似た光が見えたかと思えば、それが容赦なくユキの脇腹に叩きつけられていた。身体に鈍い衝撃が走る。妖術として殺傷力のあるものではないが、小柄な少年一人くらい容易に吹き飛ばすくらいの威力はある。


 ユキは派手な音を立てて、中に積まれていた荷物にぶつかった。ぐらりと揺れて落ちてくるガラクタを受け止めながら、ひっくり返った姿勢を戻す間も与えられない。すぐに扉が閉じられて、錠が下りる音が蔵に響いた。


「これで終わりだ、ばーか!」


まぶたの裏で星が散るのを感じながら、意地悪な声が遠ざかるのを聞いていた。


「ざまあみろ!」


ユキは呻き声を上げるのがやっとだった。

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