廻る縁の妖剣士

井田いづ

壱話 無名の剣士と無銘の妖刀

(壱)咎人の子・ユキ

 芥間あくたま屋敷の我楽多がらくた蔵に、びゅうと吹き込んだ風が冷たくて、ユキは思わず身震いをした。この寒さで否が応でもが現実であると理解させられる。

 わざわざ自己確認が必要なのは、


「……この屋敷から出ていってくれねえか」


使用人頭の立花たちばなが言い放った一言が、あまりに唐突なものだったからだ。

 聞いていたユキの顔は大層間抜けなものだっただろう。思わず、え、小さな声だけ漏らせば、男はもう一度「出ていってくれ」と繰り返した。


──出ていってくれ、出ていってくれ、出ていってくれ? 本当に?


 数回咀嚼そしゃくして、ユキはようやく我に返った。


「今日で暇をいただく、ということですか」

「そうだ、今日限りで終わりにしてくれ」


 この男は屋敷に勤めて長く、当主からも信頼を得てある程度屋敷内の采配権さいはいけんを有していた。これまでも素行が悪いものを辞めさせていたりもするし、新しく人を雇うのももっぱら彼が行っていると聞く。それを主人に咎められている様子もない。

 一介の使用人に過ぎない(ついでにいえば、かなり厄介者の身分である)ユキが、この男に暇を出されたとしてもなんら不自然ではないのだ────常であれば。

 ユキはさっと視線を横に向けた。立花はそれを何だと捉えたのだろうか、その瞳に少しだけあわれみの色を見せたような気がした。


「おまえは子供じゃない。もう十五になるし、遠い街でならわざわざ名乗らなきゃお前が誰かなんぞわからんだろうし、字も書けるんだったな? 一人でも十分やっていけるだろう。……ああ、ただ、あくまでもお前の希望で外に出るのだということにして、旦那様へ一筆書いてくれ」

「……わ、わかりました」


 この屋敷においては誰からも見下されているユキだったが、この男は態度こそ粗暴ではあったものの、ある一定の距離感はずっと保ち続けてくれていた。彼はユキの出自に嫌悪感を隠そうともしないけれど、不必要にあざけったりののしったり、ユキ自身に嫌なことをするわけではない。見て見ぬ振りはしても、時折配置変えなどでそれとなく手を貸してくれたりもする。

 立花は懐から小さな巾着を取り出した。投げられたそれを受け取れば、じゃり、と小銭の合わさる音が鳴る。


「これは……」

「身一つで出すわけにはいかんだろう。端金だがな、餞別せんべつだ。無駄遣いはせず、とっとと街にでも出て仕事を探すことだな」

「本当にこれ、いただけるんですか」

「しつこい。どうせ金なんぞ持ってねえンだろ。いくらお前でも野垂れ死なれちゃ寝覚が悪い」


睨まれて、ユキは大人しく頭を下げた。自分の金を持つのは初めてかもしれない、とユキは他人事のように考える。屋敷に来る前は父が管理していたし、使う場面もなかった。ここに来てからは言わずもがなだ。


「外で何があっても俺を恨まねえでくれよ。俺がお前を追い出したのは意地悪なんかじゃないとわかるだろう? お前がいると坊ちゃんが落ち着かない。このままだと坊ちゃんがあまりに不憫だ──無論、全てがお前のせいだと言うつもりはないが、このままじゃあどっちのためにもならん」

「……すみません」

「だからお前のせいだけじゃないだろうがよ。……まあ、今後はお前と坊ちゃんが会うこともないだろう。そうすりゃ旦那様も冷静になられるはずだしな。全てがなるようになって、正しい位置に収まるやもわからん」

「はい」

「分かったらさっさと荷物をまとめて来い」


 駆け出したユキに向けて、それ見たことかと、隣で少女が楽しそうにわらっている。立花はそんな少女には目もくれなかった。当然だ、その瞳には何も映っていないのだから。

 少女は花咲く笑みを浮かべて、


「なあ? 言ったろ、此処を出るのなんて簡単だって」


鈴の音色のように澄んだ声が悪戯っぽく囁いた。



+++



 生天目なばためユキノスケは咎人とがびとの子だ。

 咎人である父は命でそれをつぐないはしたが、しかしあまりの罪の重さにそれだけで償えず。家名も家もなにもかもを奪われて、遺された少年はある日からただの「ユキ」になった。

 ユキは父と死別してからの八年間を領主・芥間イヅミの屋敷で使用人として生きてきた。朝鳥の啼く前に起き出して、炊事に洗濯、掃除に鳥獣の世話、果ては書類や手紙の整理といった仕事など、実に忙しなく屋敷中を駆け回る。


「おい、こっちだ!」


呼ばれたらそこへ駆けつける。


「おい、たらたらすんな! 次はここだ!」


言われた方へと駆けていく。ひとつ終われば次の場所、そこも終わればまた次の場所、といった具合にユキは一日中働いた。


 ボサボサの黒髪を高く結え、長い前髪の隙間から覗く双眸そうぼうも黒目がちで、身につけた衣服も黒一色に染め上げられている。やや寸足らずの服から伸びる手足だけが不健康に白いのだが、それもすすすみに汚れてすぐに覆われるのだから、少年を見た人は「まるで鴉のようだ」と揶揄した。


 鴉の少年は早朝から目がまわるほどに動き回って、日が昇り切った頃──ようやく一度目のご飯が許される。

 配給の盆に載せられるのは塩漬けの野菜くず、水っぽく茹でた冷たい米、それから指先ばかりの大きさの干し魚が入った汁物。育ち盛りには到底足りるはずもないそれを流し込んで、ユキは午後の仕事に取り掛かるのだ。


 ユキは言われればどんなことでもする。誰にも従順に、決して逆らわない。


 屋敷の主人である芥間あくたまイヅミに引き取られてから、彼はずっとそうして生きてきた。芥間家はこの国──ヨウ王国のひとつの地方を治める家であり、中央においてもそれなりに古い血筋で古くから名の通った家でもある。

 歴史ある屋敷は広く、従ってそこで働く使用人もそれなりに多い。さらに家臣などを含めれば相当の人が動いているのだが、芥間家は相当懐に余裕があるらしい。

 ユキを除けば下働きの境遇はかなり良いものだった。


 目が廻るような仕事をこなし、日がとっぷりと暮れて、芥間家の家人の食事が終わった後にようやくユキは夜のご飯にありつけた。

 夜ばかりは昼と違って、ほかの使用人たちと一斉にとることになるので、ユキはこの時間が苦手だった。

 ちらりと視線を辺りに彷徨わせる。湯気立つ麦麺麭むぎぱん、汁物に浸かった麺、温かそうにつやつやとした米。魚や肉を濃い味付けで焼いたものなんかも添えられていて、実にいい香りが鼻先をくすぐった。

 ユキはといえば、米に野菜くずとお情けの小さい肉片が二つ三つ入っただけの粥が冷え切って器に盛られているばかりである。


(でも、毎日ご飯を貰えるだけありがたいや)


 外にいたら、一食まともに得ることすら叶わなかっただろう。

 自分が疎まれていることくらい、ユキは理解している。どれほど疎まれても、中途半端な嫌がらせだけで済んでいるのは幸せだと自分を納得させていた。チクチクと刺さる視線はいつものことだ。

 腹にぐっと力を込めてさらさらと粥を流しこんでいく。するとくすくすと笑う声が聞こえるのも、いつものことだった。


──やあねえ、見てよ、みっともなくがっついて。

──咎人の子はやっぱりいやしいな。

──ほら、あの目、咎人の目よ。おお、こわ。

──なんだって旦那様は咎人の子なんかに目をかけるんだろうな。


 

 その言葉にユキは内心毒付いた。


(……ああ、くそったれ)


 寒い日に一人だけ湯を使わせて貰えないことも、与えられるご飯が一人だけ違うことも、毎日毎日朝から晩まで仕事を押し付けられるのも、名前を一切呼ばれないことも、すべて咎人の子だからだ。


 ユキの父は咎人だったから。その血を引く子は憂き目を見て当然なのだと誰もが言うのだ。

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