キリィとキジン
枝葉末節
第1話
旧ネオン街六番地。砕けたアスファルトに崩れかけの看板。浮浪者と犯罪者が隠れ住む無法の地。光化学スモッグ注意報のガスマスク着用を促すサイレンが残響する。かき乱すように、荒々しい足音。
一人の少年が走っていた。夜闇に紛れる暗色のレインコートをはためかせ、限界まで息を荒げて駆ける。毛布に包まり眠るホームレスを跨いで、廃ビルの階段を一段とばしに上ってゆく。そのまま三階までたどり着くと、勢いよく扉を開いた。
錆びついた蝶番が軋む。音に反応して視線を向ける三人の男たち。一人が咄嗟に拳銃を構えた。
「なんだ、報せ売りのチビじゃねえか。扉くらいもっと静かに開けやがれ」
少年の姿を認めると、銃口を下げる。ただし安全装置は外れたままだ。トリガーから指を離しているが、未だグリップを握り警戒は解いていない。
「で、どうしたチビ。そんなに慌てて」
別の男が声をかけた。ボロボロのソファから腰を上げて、少年へ歩み寄る。
「さ……サ……ライが……」
「ああ、なんだ?」
息を整えないまま発した少年の声は、荒い呼吸同様切れ切れだ。それでも大きく息を吸うと、改めて口を開いた。
「サムライが、ここに来るっ!」
開いたままの入り口から、かつん、と硬質な足音が響いた。
全員が拳銃を構える。銃口の先に居るのは、異質な出で立ちの女が一人。
細身のシルエット。黒いメタリックのボディスーツ。オールド・ジャパニーズライクな防弾笠。機械仕掛けの鞘に収まる意匠が施されたカタナ。ガスマスク越しに、色白の瞼と赤い目が見える。
「う、動くなッ!」
男の怒声と共に銃口を向けられてなお、彼女の瞳はブレない。ただこの部屋に居る者を映すだけ。
緊迫した空気。その中で誰かがしびれを切らした訳ではない。凶行は、ふと始まった。
女が前へと跳ぶ。ほとんど予備動作もなく、拳銃の射程から腕の届く位置まで踏み込む。
短いクリック音。鞘に仕掛けられた射出装置がカタナを素早く打ち出す。柄を握り、抜刀術の要領で斬撃が放たれる。
高速で見舞われた一撃は、男の肩から脇腹までを両断した。一秒にも満たず、命が刈り取られる。
僅かに遅れて、四五口径の射撃音。放たれた銃弾は、本来の目標を外れて崩れ落ちてく死体にぶつかる。トリガーが引かれたとき、既に女は高く跳躍していた。
天井を蹴り、抜き放ったままのカタナをもう一度振るう。刃は正確に首を断ち切り、遅れて頭が転げ落ちる。床にぶつかる前に、銃声は止んでいた。残った一人も返す刃で容易く切り伏せられ、あとは部屋の隅で怯える少年だけ。
硬質な足音を鳴らし、女が近づく。そのまま虫でも潰すかのように、少年を力強く踏みつけた。
「あ、があっあぁあ!」
足の骨が砕け、悲鳴を上げる。次いで患部を抑えようとする手に、刃先が突き立てられた。
「なぜ私がここに来ると知っていた。答えろ」
抑揚の薄い、平坦な口調。
がちがちと歯を鳴らして怯える少年。
答えが返ってこないと業を煮やしたか、貫いたままのカタナを回して傷口を更にえぐる。
「む、無線を傍受したんだ!」
「機材はどこにある」
悲鳴じみた返答。しかし躊躇なく詰問は続く。
「それ、は……その」
言い淀んで口を開け閉めする。カタナが捻られた。遅れて苦悶の声。だらだらと脂汗が流れ落ちる。
だが、少年はそこから先の言葉を続けようとしなかった。
拷問めいて傷口を広げるが、苦痛に吐息を漏らすだけ。
しばらくカタナを弄んでいた女は、不意に大きくため息を吐いた。突き刺した刃を引き抜き、鞘に収める。
「くそキジンが……とっととくたばっ――」
憎々しげな悪態が全て吐かれるより先に、顔面を黒い足先が蹴り飛ばした。痛みか脳震盪かで、少年は意識を失う。
力なくうなだれる姿を興味なさげに一瞥し、死臭が立ち込める部屋を抜け出す。そのままゆっくり下階へ下りつつ、虚空へと視線を向ける。
「こちらエクスィー、制圧完了した」
『了解、クリーナーズを向かわせるよ。さて、次だけれど……』
静寂の中でのみ、かすかに聞こえる無線通信音声。通話相手は若い男のようで、軽快な声がわずかに音漏れしている。
「直接聞きに行くから待機していて。この通話も傍受されてるかもしれない」
『む……分かった。回収予定地点で待ってる』
「了解、通信終了」
口早に話を終わらせる。通話を終えた辺りで、丁度廃ビルから外へ出た。
周囲に人気(ひとけ)はない。銃声で逃げ出したようだ。汚らしい荷物が乱雑に散らばり、慌ててこの場を離れた痕跡がある。時折踏みつけつつ、大通りへ向かう道を早足で進む。
この辺りはしばらく前に政府が放棄した。治安の悪い歓楽街でしかなかった場は、今やスラム街より危険を伴う一画だ。
行き場を失ったホームレス以外にも、ギャングや密売人に指名手配犯があちこちに潜んでいる。いかに高性能の武装で身を固めていたとしても、一人で歩くのには向かない。ここを離れる足が速まるのも当然だ。
しかし、女は不意に足を止めて真正面を睨む。街灯一つ機能していない道で、前方から光源が接近してきていた。発光しているのは、装甲車のヘッドライト。
車は女の横で止まり、後部座席の扉がひとりでに開く。エンジンの駆動音と同じくらいの声量でため息を吐いた後、装甲車に乗り込んだ。
「予定地点で待機している手筈でしょ」
「傍受されてたかもしれないんだろう? だから裏をかいて迎えに来ようと思ってね」
「軽率すぎ。でもまあ、歩くのダルかったんでヨシとします」
先程の通話相手と同じ声の男。装甲車を運転しているが、軍服ではない。ビジネスシーンに向かうかのような黒のスーツ姿。首から提げたネームタグには、〝サウスウェストセキュリティカンパニー第Ⅱ特科代表 キリィ・ゲンジ〟とプリントされている。
「さすがエクスィー、話が分かる」
「当然よ。ほら、さっさと出して」
後部座席のドアが閉まると、またタイヤが回り出す。元来た道へ切り返し、赤いテールライトの残光が夜暗の中で描かれる。
暗闇から向けられる多くの視線を受けたまま、車は走り去っていった。
残されたのは、再び訪れた静寂だった。
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