第15話 皇子様なんて、初めて会うわ!
ネリーが胸をときめかせてしまうくらい、騎士全員が覚悟をそれぞれに示した後。
ガヴェインが諸々の手配をしてくれている間、騎士団の元で隠れて過ごすつもりのネリーとエルネストだったけれど、人の口に戸は建てられなかったらしい。
エルネストの帰還をどこからか聞きつけた皇太子から、謁見の言伝が届いた。
「仕方ありません。いるのが知られている以上、無視はできませんから」
謁見に臨むということで、さすがに顔がないまま皇子様にお会いするのは失礼かしら? と考えたネリーは変身薬を飲もうとした。
でもふと、ちょっと待ってと動きを止めて。
【ラァラの顔だと、ドロテと鉢合わせたときにまずいかしら?】
「そもそも、私の呪詛の解除が、魔女の婚礼なんです。魔女は白夜砂漠の向こうにしかいないと言われているのですから、集落の誰かでなければ逆に怪しまれますよ」
【そう言われてみると、そうね! それなら大丈夫かしら!】
ネリーは納得すると、いつものように変身薬を一口分服用する。ラァラの顔をイメージして偽物の頭を作ると、顔のパーツが崩れていないか、自分のとんがり帽子の中から手鏡を取り出して確認した。うんうん、問題なし!
ネリーはとんがり帽子の中に手鏡をしまうと、エルネストへと向き直る。
【さぁ、行きましょう! わたし、皇子様に会うなんて、初めてだわ! ついでにとっても素敵な贈り物を渡してあげましょう? これがあれば、皇子様の目も覚めるかもしれないわ!】
ネリーから元気よく、謁見へと向かう号令が吹き出した。
謁見の受諾をすると、どうやらせっかち屋さんらしい皇太子はすでに場を設けてくれているようで、ネリーとエルネストは言伝を預かってきた皇太子の副官に、そのまま謁見室へと拉致されるように連れて行かれた。
シャナルティン皇国の城の中でも、一番荘厳で豪奢な部屋である謁見室。
靴底が映るくらいぴかぴかに磨き上げられた黄金色の大理石や、勇猛な男神やたおやかな女神の彫刻が掘られた白石の柱。
ネリーは素晴らしい造形の数々に、じっくりなめ回すように見てみたい衝動に駆られてしまったけれど、ぐっとこらえてエルネストにエスコートをしてもらう。
フルフェイスの甲冑の騎士がローブで全身を隠す少女をエスコートするのは、はたから見てかなり異様な光景ではあったけれど、謁見室の主はそんなことを気にするような人間ではなかった。
「皇太子殿下、本日も麗しく存じます。エルネスト・フォーレ、ただいま戻りました」
「らしいな。その割には騎士団によっていたと聞いたが。どうしてまず真っ先に私のところへ来てくれなかったのか」
世にも珍しい翡翠の髪に、唄う
シャナルティン皇国の皇太子・ケイネスが、謁見室の玉座にゆったりと座って、エルネストへと言葉を投げてくる。
ネリーは偽物の頭からうっかり雲の文字が飛び出してしまわないように口元をしっかりと抑えていたのだけれど、なんて偉そうな人なのかしら? と思ってしょうがない。何気なく豪奢な椅子に座っているけれど、謁見室にある一番素晴らしい椅子って、王様が座る椅子じゃないのかしら、なんて明後日な方向に思考が飛んでいた。
「そなた、呪いはどうした。私はその呪いが解けるまで、戻ってくるなといったはずだが?」
「申し訳ありません。ですが、騎士の婚姻には国の許可証も必要でございますから。父にその手配を頼もうかと思いまして」
「……そんな習慣、そろそろ廃れてもいいものを」
女性のように長い髪を鬱陶しそうに背中へと払いながら、
エルネストは淡々とそれを受け止め、礼儀にのっとった慇懃な口調で話を続けた。
ネリーがぜひ渡したいと言っていた贈り物。
それを献上できるように、エルネストは話を運んでいく。
「せっかくですの私の婚約者をご紹介します。こちらが私の婚約者となってくださる方です。彼女より献上品がございますので、どうぞお受け取りいただきますよう」
ネリーは事前に教えてもらった淑女のカーテシーというものに初挑戦してみた。スカートをつまんで、右足を後ろへ引く。左足だけではうまく立てなくてぷるぷるしちゃうけど、それは気合でびしっ! と決める。
その横から、案内と伝言役をしてくれていた皇太子の副官が、ネリーが予め用意しておいた贈り物を持ってきてくれて、それを皇太子に直接献上してくれる。
それは漆黒に近い紺色に染められた、ジャケットコートだ。地味でベーシックな色合いのジャケットだけれど、銀糸の刺繍が見事で、皇族が着ても遜色ないくらいの仕立てになっている。
「ほう、なかなか良い仕立てだな」
「魔女の仕立てですから。皇国の仕立て屋とは一風変わっているかと」
「この模様は目新しさがある。まぁ、気が向いたら着てやろう」
ジャケットを広げて刺繍をじっくりと見つめたケイネスは、ネリーの贈り物を気に入ってくれたらしい。
大丈夫かしら? ちゃんと見てくれているかしら? とネリーが自分の贈り物にこめたものの効果にそわそわとしていると。
「ねぇ、エルネスト。その方からのご挨拶はないの?」
玉座にしなだれかかるようにして立ち、それまで黙っていた女性が突然声を上げる。
「彼女は諸事情で口が聞けないんです。ドロテ様なら、ご存知かと」
やっぱりドロテだわ!
もしネリーが口元を抑えていなかったから、蒸気機関のように雲の文字が吹き出していたかもしれない。
ネリーは自分の顔が意地悪そうに笑っているのが奇妙でしょうがない。私も笑うとあんな風になるのかしら? と思っても、毎朝鏡で見ていた自分の顔はあんな風に笑ってはいなかった。
それと同じぐらい、自分の顔がとんでもないドレスを着ているのも目についてしまう。ドロテは昔から派手なものを好んで身につけていたけれど、下着のように胸元と背中とがガバッと空いているドレスなんて破廉恥すぎる。顔はネリーのものだから、自分が恥ずかしい格好をしている気持ちになってしまって、ネリーは直視ができない。
ネリーがうつむきながら口元を必死に抑えていると、ドロテの挑発するような声が降ってきた。
「どうして、あたしが知っていると思って?」
「彼女とは同郷であるとお伺いしたのですが……違うのですか?」
「馬鹿らしいわ! 口がきけないのにそいつからどう聞いたって言うのかしらね! ローブの隙間から見えるその赤毛、あの薬のばばあの色とそっくり! 不快だわ! あなたが魔女と言うのなら、あたしの魔法を返せるくらいのことはできるわよねぇ?」
ドロテがまるで砂をすくかのように片手を掲げて、ネリーの方へと向けた。
危険を感じたエルネストが、咄嗟にネリーの前に出る。
皇太子は動かない。
先程ネリーからの贈り物を献上した皇太子の副官という男も、青ざめた表情になりはしても、動かない。
ドロテの掌で、禍々しい呪詛の塊が火の玉のように燃え上がる。
「お前のその全身、呪詛の炎で焼いてやる!」
ドロテから呪詛の塊が投げられた瞬間、ネリーは自分を守るように前に出てくれたエルネストの腕をひくと、彼よりも一歩、さらに前に出た。
「ネリーさん!」
エルネストが叫び、呪詛がネリーの全身を焼くように燃え上がる。
けれど。
燃えたのは、ネリーを隠していたローブと、変身薬の効果。
炎の中で、ネリーの文字がけぶる。
【お姉さんったらひどいわ! ひどいわ! 問答無用で呪詛をかけるなんて、お師匠様が知ったら泣いてしまうわ!】
「やっぱりあんたか、ハイエナ女……!!」
炎が消えたあとに残るのは、ウエストをきゅっと絞り、スカートの布をたっぷりと持ち上げて花を模した、素敵なドレープが魅力的な
白い首筋にはライラックのチョーカーがくるりと巡らされ、カメオの女性がどんな苦境でも微笑んでいる。
炎をふりはらい、ネリーがドロテへの文句を大きくくゆらせば、ドロテが忌々しげにネリーを睨みつけた。
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