第7話 魔女ってなんでもできるのよ!
エルネストが手を握り、ネリーのことをからかっている。
からかわれているのだとは思うけれど、エルネストにお姫様抱っこをされている自分の姿を想像してしまったネリーは、見事に自分の想像力の逞しさに撃沈してしまった。
ネリーよりも太く逞しい腕に支えられて、ネリーとエルネストの顔がとっても近くなる。
手をつなぐ以上の距離の近さを想像してしまって、ネリーは自分の破廉恥な思考にまた雲の文字が噴火してしまいそう。
もしネリーに顔があれば、赤面して言葉もなくしていただろう状況を打破してくれたのは、空気の読めないジーニアスだった。
「ネリー、エルネスト。治療はできたか? 食事を持ってきたぞ」
そう声をかけながら、大皿と三つのマグカップを手にしたジーニアスがネリーの天幕にまで食事を運んできてくれた。
栄養をたっぷりと蓄えた瑞々しいオレンジと、少ない水でこねて焼いたペラペラのパン。水分の多い豆をひたすらぐずぐずになるまで煮たスープ。これが今日の食事みたい。
「もう少ししたら太陽が炎天にかかる。炎天をすぎて歩けるような時間になったらまた歩くぞ。今からだと、だいたい六時間後か。今日も夜通し歩くことになるだろうから、ちゃんと仮眠を取れよ」
【はーい!】
「ありがとうございます」
ネリーはくるっとエルネストに背を向けて、ジーニアスから大皿を受け取った。
ジーニアスもここで一緒に食べるつもりのようで、三人分の果物とパンが大皿の上に乗っている。
ネリーがそれを天幕に敷かれた絨毯の上に置いて、エルネストは姿勢を楽にした。ジーニアスもその輪に加わって、豆のスープが入っているマグカップをそれぞれの前に置き、三人で大皿を囲む。
とはいえ、この場できちんと食事を摂れるのはジーニアスだけで。
ジーニアスがペラペラのパンにかぶりつくのを、ネリーとエルネストは眺めるだけだった。
「二人共、食わんのか」
【もちろんいただくわ! でも、エルネストさんが】
「私のことはお気になさらず。先にどうぞ、ネリーさん」
【そう? それなら】
ネリーはとんがり帽子の中からナイフを引っ張り出した。
小ぶりの果物ナイフのようなそれは、新品のようにきらきらと銀色に輝いている。ネリーはそのナイフを鞘から引き抜くと、そっと自分の指先にあてがった。
ぷつりとネリーの指先に、赤い血が浮き上がる。
食事中に見ていて決して快いものじゃないことをネリーも知っているので、【見苦しくてごめんなさい】と雲の文字を揺らしながら、そっとパンへとその血を吸わせた。
しばらくそうしていると、徐々にパンは赤く染まっていき――やがて赤い砂となって皿の上に崩れた。
「いつ見ても不思議な食事風景ですね」
エルネストが感心したように言うその横で、もごもごとパンを咀嚼していたジーニアスもうなずく。
ネリーもまた、エルネストの言葉に同意するように雲の文字をもくもくさせて。
【不思議よね! 味もしないのよ。わたし、頭が戻ってきたら、皇国のうんと美味しいケーキ屋さんのケーキ、たくさん食べたいわ!】
ネリーはもう、二年前に食べた焼き立てのパンの味も、瑞々しい果物の味も思い出せない。自分が今、言霊茶を飲んだらどんな味がするのか不思議なくらい、味気ない生活をしている。
そんなネリーの密やかな願望はとても可愛らしいもので。
ネリーのその主張に、エルネストが甲冑の向こう側でふんわりと微笑んだような気配がした。
「なら、その時は私もご一緒しましょう。ネリーさんのエスコートは私にさせてください」
【まぁ! 嬉しいわ、嬉しいわ!】
表情が分からなくても、優しい声音はネリーに届く。
皇国の流行りのカフェテリアで、自分とエルネストがお茶をしている姿を想像したネリーは、なんだか胸の奥がむずむずとしてしまった。
まるで物語のお姫様のようになったかのような扱いだわ! なんて思ってしまったら、思ったことがそのまま首から雲となって流れ出てしまった。ジーニアスに呵呵と笑われてしまう。
「甘酸っぺえなぁ、箱入り娘。だがな、甘いもんよりも大事なことがあるぞ」
【大事なこと?】
そうだ、とジーニアスは大真面目な顔をしてうなずいた。
エルネストもジーニアスの言う大切なことというものが何なのか気になったようで、姿勢をただしている。
ジーニアスは千切ったパンでどろどろとした豆のスープをすくった。
「魔女の森から皇国へまっすぐ行くと、約二週間の日程になる。長いようで短いぞ。どたばたしていて聞きそびれていたが、ネリー。お前、その頭をどうするつもりだ?」
【わたしの頭?】
「おめぇさん、首なしのまま皇国を歩けると思ってんのか? 悲鳴が上がるぞ」
「たしかに」
豆のスープにひたしたパンを口に放り込んだジーニアス。
エルネストもネリーが最初から首なしだったものだから、そろそろ馴染んでしまって忘れていたけれど、このままの彼女を皇国に入れるのはかなりまずいことに気がついたらしい。
かくいうネリーも、たった今気がついたように手を叩いた。
【忘れていたわ! わたしったら、頭がないものね!】
「忘れられるおめぇさんの図太さには感服するよ。んで、それをどうにかするアテはあるのか? ないならこの白夜砂漠を渡る間に、どうにかしねぇといけねぇぞ」
「そうですね……」
ジーニアスのもっともな言葉に、エルネストも腕を組んで唸った。
じっとネリーを眺めつつ、ふと彼女の横に置かれたとんがり帽子に目が向けられる。
「……帽子をかぶるのは?」
「この状況は不自然だろ」
ジーニアスがとんがり帽子を手繰り寄せて、白い煙がくゆるネリーの首に被せてしまった。肩まですっぽりと被ってしまうとんがり帽子に、エルネストは兜の内側で目をそらしてしまう。
人間が帽子を被っているというよりも、仕立て屋がトルソーに帽子を被せたような光景だ。
「ローブを被せてもいいが、風でフードが脱げたら大惨事だ」
「人形の頭を作りますか?」
「材料の調達は? うちの商隊、魔女の薬品や手細工が主な商品だから、小道具なんかはほとんどねぇぞ」
話し込む男たちの間に挟まれたネリーはちょっと小首をかしげた。ライラックのチョーカーに住んでいる女性の横顔も、不思議そうに傾く。
ネリーにはどうして二人がそんなに悩んでいるのかが、分からなかった。
【頭があればいいのね?】
ネリーの首から雲の文字がくゆるけれど、男性二人の視界には入っていないようで、何も反応は返ってこない。とんがり帽子のなかに煙が吸い込まれてしまっているから当然といえば当然なのだけれど、ネリーも男たちもそのことに気づかない。
【んもぅ】
ネリーに顔があれば、ぷっくりと頬を膨らませているような感じで、雲の文字もぷかりと膨らんだ。不満そうにけぶった文字はとんがり帽子の内側でかき消える。
一人仲間はずれにされて拗ねちゃったネリーは、被せられていたとんがり帽子を手に取ると、その中から色々と中身をひっくり返し始めた。ごろごろとラァラが詰め込んだ魔法薬の瓶たちが転がっていく。
「ネリーさん?」
ようやくそれで気がついたエルネストが顔を上げたとき、ネリーは無心でとんがり帽子の中身をあさり、お目当ての瓶を見つけたところだった。
【あったわ! これならどうかしら!】
液体の入っているその小瓶から、スプーン一匙分だけを皿に移した。その液体が皿に広がる前に、ネリーは自分の指先をその液体につける。
パンと同じように、液体が赤い砂へと変わった。
その瞬間。
ネリーの体の輪郭がぐんにゃりと歪む。
「ネリーさん!?」
「おい、ネリー……!! って、おっ?」
まるでとろりと首もとから皮膚が溶けるように、その上へと輪郭が伸びていく。
小粒な桜貝のような唇、ふっくらとした薔薇色の頬、まるで満月のように金色に輝く大きな瞳、それから
表情はまるで人形のように冷えたものであるけれど、首を失う前の、ネリーの顔がそこにあって。
エルネストは絶句し、ジーニアスは魂消たように天を仰いだ。
「頭、作れるのかよ……」
【ラァラの変身薬があるもの! 一時的に見てくれを変えることはできるわ。でも、体の中身までは変わらないの】
無表情のネリーの唇の隙間から、まるで煙草のように煙がもくもくと溢れた。
その雲の文字は、いつものようにネリーの言葉を形作っていて。
いわゆる美少女と言えるようなネリーの口から雲の文字が吐き出されるのを見ると、ついついジーニアスは何とも言えないような気持ちになってしまった。
それでもまぁ、意思疎通は雲の文字じゃなくても、最悪筆談ができるから問題はない。これでいいかとジーニアスがエルネストを振り返ると、エルネストは未だ絶句しているようで、うんともすんとも言いやしない。
無理もないとジーニアスが声をかけようとしたとき、ようやくエルネストからぽつりと言葉がこぼれでた。
「ネリーさん、その、顔は……」
【あら? もしかしてデッサンが狂ってしまったかしら? 鏡がないからよくわからないわ】
ネリーが小首をかしげると、
その様を見て、エルネストはその拳を思い切り床へと叩きつけた。
「その顔はドロテの顔です! いったいどういうことなんだ……!」
エルネストの言葉に、ジーニアスは目を見開いた。
ネリーもびっくりしたようで、口から伸びていた煙が一瞬、詰まったかのようにぷつんと途切れる。
【まぁ、まぁ! どういうこと? どういうこと? わたしのお顔、お姉さんが使っているの?】
「どうなってやがる? ドロテは最初からこの顔なのか?」
ジーニアスがネリーの顔を指で差した。ネリーも自己主張するように自分の顔へ向けて指を差している。
エルネストは苦々しい思いでうなずいた。
「主君がドロテと出会ったのは、視察先での出来事でした。わたしもその場にいたので間違いありませんし、その紫の髪は、あまりにも珍しすぎる」
【髪色?】
「紫の髪は、三百年前に滅んだ王国の民の色なんだよ。だから今では珍しい」
【そうだったのね】
自分の髪色は珍しいと、最初に教えてくれたのはネルテだった。ネリーの部屋にある、
懐かしい光景をネリーが思い出している間にも、ジーニアスはエルネストに根掘り葉掘りと話を聞いていく。
「それで? ついでた。そもそもなんでドロテは皇太子の寵姫なんかになっちまったんだ」
踏みこんだジーニアスの問いに、エルネストの兜が首肯するようにかすかに動く。
「殿下ははじめ、ドロテの髪色に興味を示したのです。声をかけると、ドロテは人を探していると話しました。それを聞いた殿下は、ドロテを自分のもとへと留めるため、その人探しを手伝うと仰ったのです」
「人探し?」
ジーニアスが訝しげに眉をひそめた。
ネリーも無表情なはりぼての頭をこてりと傾ける。
【お姉さんったら、いったい誰を探しているの?】
ドロテは生まれてからこの方、魔女の集落を出たことがなかったはずだ。知人というのも、魔女たちを除けばキャラバンの隊員くらいなものだけれど、キャラバンの人を探すのならば、魔女の集落で待っていればいいだけ。
不思議なドロテの行動の答えは。
ネリーとジーニアスの注目の中、エルネストはその回答を差し出した。
「カイニスという、行商人だそうです」
「カイニスだと!?」
【まぁ】
ジーニアスが声を荒らげて腰を浮かせ、ネリーもちょっと驚いたように口元を手で隠した。ぽふんとネリーの手元で雲の文字がくしゃくしゃにかき消える。
意外な二人の反応に驚いたのは、エルネストもだった。
「カイニスという男をご存じなのですか?」
「知っているも何も……」
ジーニアスが自棄になったように自分の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。それからふぅと一息ついて、うわずった腰を落ち着ける。
そうしている間にも、ネリーが口もとからうっかり手を離してしまって、まるで内緒事なんてなかったかのように、大っぴらに文字を紡いでしまった。
【カイニスさんはね、もともとジーニアスさんのキャラバンにいた、ドロテのお父さまよ!】
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