第二章 しかしながら最終兵器と呼ぶにはあまりにポンコツで(1)
「マスター、あれはなんですか?」
「あれは反物屋だね。加工する前の織物を売ってるんだよ」
「マスター、あの人物はなにを配っていますか?」
「あれは……
「マスター、動物の耳を着けている人間がいます。なぜあのような格好をしているのですか?」
「あれは着けてるんじゃなくて
サイファーは表情豊かとは言えないようで、顔だけ見てもなにを考えているのかはよくわからない。
ただ、感情の起伏が少ないわけではないようで、あれこれ興味を示しては楽しそうにしているのが伝わってきた。
サイファーはまた近くを歩いていた鎧姿の兵士を指差し、問いかけてくる。
「ではマスター、あれはなんという種族ですか?」
「
ここはヴァールハイト神皇国皇都アルタール。デウス教を国教とするこの国は、デウス教団による神官魔術で発展した国である。王は国王ではなく教皇であり、街を守る兵士も神官兵と呼ばれている。
神官将ゲアハルト・ハイゼンベルク率いる神官騎士団は、西のヴァイスラント公国機械兵団と並び称される戦闘集団でもあった。
皇立神官魔術学院はアカデミーとも呼ばれ、毎年魔術師のエリートたちを数多く輩出している。魔術には無数の分野が存在するが、紛れもなく最高峰のひとつだろう。
そう聞くと厳格な信仰と魔術の国のようだが、神官兵の装備も厳かな装飾が施された儀式鎧なので他国の兵に比べるとずいぶん華やかだ。彼らを見物するために観光客が来るほどで、神官兵の存在自体が一種の観光資源となっている。
話してみるとみな気さくで、頼めば
指を差されたのは若い神官兵で、こちらに気付くと人当たりのよい笑顔で声をかけてくる。
「やあ、お嬢さん方、観光かい……って、なんだミコトじゃねえか」
「パトリックさん。お久しぶりです――ひえっ?」
相手は顔見知りの神官兵だった。
ぺこりと頭を下げると、パトリックはいきなり肩を組んで顔を寄せてきた。
(おいおいおい、可愛い子じゃねえか。外国人……ヴァイスラントあたりの子か? 変わった格好だが、坊主も案外隅に置けねえなあ)
(そ、そういうのじゃないですから!)
サイファーに目を向けてみると、彼女は銀色の髪をゆらして不思議そうに首を傾げている。そんな仕草のひとつさえ輝いて見えるのはなぜだろう。
――いや、そういうの、なのかな……。
なんだか胸が締め付けられるような感覚でうつむいてしまうと、パトリックは面白そうに口笛を吹いた。
(ははん。こりゃマジってわけか。それじゃあ、邪魔するわけにはいかねえな。今度詳しく聞かせろよ?)
(あうう……)
ようやくミコトを解放すると、パトリックは上機嫌で去っていった。
「そこのお嬢さん、よかったら写真でも一枚どうだい?」
そしてもう次の通行人に声をかけてポーズまで取っている。
パトリックの姿が人混みに流されるように消えると、サイファーは小走りにミコトの隣に寄ってくる。
「お知り合いですか、マスター」
「うん。パトリックさんっていうんだ。あんな感じでいつもそこら中の人に声をかけてるから、僕のことも覚えてくれてるみたいだね」
「そうなんですね」
うなづきはしたものの、サイファーはあまり関心のなさそうな様子だった。
「マスター、あれはなんですか?」
次の瞬間には違うものに興味を攫われたようで、またあらぬ方向を指差す。
皇都だけあって、今日も大通りでは
幾度となく振るってみせたあの魔術とはなにか違う力はなんなのか、なぜあんな遺跡に閉じ込められていたのか、そもそもどこの誰なのか。
未だになにひとつわかっていない少女だが、初めて街というものを知ったかのように瞳を輝かせている。
――記憶喪失っていうのとは、違うのかな……?
自分のことをなにひとつ覚えていないという点では記憶喪失のようだが、そもそも覚えていないというより知らないといった様子だ。受け答えはしっかりしているし、そんな自分自身に疑問を抱いている様子がない。
なんというか、見たことがないものが多いというか……こういう言い方は失礼だとは思うが、都会に出てきたばかりの田舎の人のような反応である。
――こうしてると、普通の女の子なんだけど……いや、そうでもないか?
ローブを羽織っているとはいえ、奇妙な服装なのだ。そもそも整った容姿であることも手伝って、ずいぶんと人目は惹いてしまっている。
おまけにフラフラとそちらに歩いていってしまうため、何度も呼び止める必要があった。なんだか小さい子の相手でもしているような気分である。
――せめて身の振り方が決まるまでは面倒を見てあげないと!
そんな使命感に駆られていると、サイファーがまたなにかを指差す。
「マスター。あれは馬ですか?」
「あれは馬だね。人が乗って移動……って、馬はわかるのっ?」
そのまま答えようとしたミコトは問い返す形になった。
「該当データあり。古くから人類と共に生活する家畜動物であり、主に移動、競争に用いられています。食用されるケースも存在するようです」
「しかも僕より詳しい。……馬、好きなの?」
「わかりません。ですが直接接触によるさらなるデータ取得を希望します」
「それ、たぶん好きだってことだと思うよ……?」
なにも知らないのかと思えば、そういうわけでもないようだ。わかるものとわからないものの基準が不明だが……。
――
馬車が一般的ではないとは言わないが、生物としての絶対数を考えれば比較にならないだろう。獣人族は人族と並んで多く、そのふたつの種族だけで人口の七割を占める。
サイファーが小鳥のように首を傾げる。
「マスター。好きとはどういった状態を示しますか? 楽しいとの相違がわかりません」
「えううっ? いやその……た、楽しいは、状況とか行動にともなうものなんじゃないかな……? 好きは、好きは……なんだろう? えっと……ものとか、個人とか、そういうのに向けるもの、とか……?」
いや状況や行動を好きと捉える人だっているが、しかしそれを持ち出すと本当にどう説明すればいいのかわからなくなる。
――僕は女の子相手にいったいなにを言わされているんだろう……。
女の子に対して〝好き〟という概念を語れというのは、新手の拷問だろうか。額から嫌な汗を伝わせながら、ミコトは必死に言葉を探した。
苦悩するミコトをよそに、サイファーは納得したようにうなづく。
「楽しい=状況、行動に対する情動。好き=物体、個人に向ける感情。情報をアップデートしました」
本当にこれでよかったのだろうか。
ミコトがもやもやした気持ちでいると、サイファーはなにか新しいことを発見したように大きくうなづいた。
「なるほど。では、わたしはマスターが〝好き〟のようです」
「へあぅっ?」
ミコトは顔面からずっこけそうになるが、それすらもふわりとサイファーに抱き止められてしまう。細い腕なのになぜか頼もしくて、しっかりと支えられてしまったことでさらに顔が赤くなってしまう。
「マスター。大丈夫ですか?」
「……だいじょばない。サイファー、女の子が男に気安く好きとか言っちゃダメだよ?」
「男ではなくマスターに言ったので問題ないです」
「僕も男なんだけどっ?」
「はい」
本当にわかっているのかいないのか、サイファーは当たり前のようにうなづいた。
――やっぱりこの子をひとりにはできない!
同時に、肩で息を切らせながらも、ミコトもこの状況を嫌だとは思っていないことに気付く。
――そういえば、誰かとこんなふうに歩くのなんて、どれくらいぶりだろう?
祖父が他界して以来かもしれない。
ミコトの傍に他人が寄りつかないという理由はもちろんあるが、ミコト自身も他人を避けているところがあった。
それがいま、こうして自分から誰かの傍にいようとしている。なんだかおかしな気分だった。
そうして歩いていると、サイファーがハッとしたように足を止めて強い声を上げる。
「マスター。非常事態です。前方より放出される微粒子により嗅覚及び胃腸に重大なエラーが発生。早急な対処を要請します」
「ごめんね、お腹減ってたんだね! なにか食べようか」
ぎゅううっと、サイファーのお腹がすごい音を立てていた。
前方にあるのは、食べ物を扱う露店だ。肉の焼けるにおいに強烈な空腹が誘起され、サイファーは口の端からよだれまでこぼしていた。
まあ、遺跡を脱出してからここまでなにも口にしていないのだ。ミコトも空腹を感じてはいた。
ミコトは串肉を数本買うと、サイファーに手渡してあげた。
「はい、どうぞ」
「マスター。ありがとうございます。これは経口接種用物資でしょうか?」
「経口……? あ、うん。熱いから気を付けて食べてね」
またよくわからない単語が聞こえたが、たぶん食べていいか聞かれたのだろう。ミコトがそう答えると、サイファーは『よし』と言われた子犬のように勢いよく串肉にかぶりつく。
「――ッ、アッツッ」
「ああ! 熱いって言ったじゃないか。大丈夫?」
サイファーは翠玉の瞳に涙を目に浮かべ、その場でぴょんぴょんと跳びはねる。
それでも口の中のものを出そうとはせず、四苦八苦したのちになんとか飲み込んだ。
「口内に甚大な損傷が発生。〝痛い〟を防げませんでした」
「火傷しちゃったの? お水飲む?」
「飲みます」
残りは少ないが水筒を渡すと、サイファーは素直にそれを受け取った。んくんくと音を立てて飲むその姿には無性に庇護欲が湧いてしまう。
それから、丁寧に両手で水筒を返す。
「損傷の回復を確認。マスター、救助に感謝します」
「そんなすぐには治らないと思うけど、役に立ててよかったよ。残りも食べれる?」
「はい。戦闘を続行します」
なにと戦っているのかは知らないが、サイファーはじっと串肉を見つめる。
まだ湯気が上がるそれに、また無防備にかぶりつこうとするので、ミコトは待ったの声をかけた。
「そのまま食べたらまた火傷するよ? ちゃんと冷まさないと……ええっと、こうやってふーふーって……」
隣から顔を出し息を吹きかけて……ミコトは自分の顔が真っ赤になるのを自覚した。
――僕はなにをやってるんだっ?
出会ったばかりの男にこんなことをされたら普通は引くだろう。
なのだが、サイファーは特に気にする様子もなく、肉にかぶりつく。
「――ッ、マスター。かつてない高揚を確認。未知の現象です」
「えっと、それは〝美味しかった〟んだと思うよ?」
「美味しい=多幸感を伴う極度の高揚及び興奮状態――認識しました」
「麻薬じゃないんだよっ?」
まあ、よほど気に入ってくれたということなのかもしれない。
ミコトは気恥ずかしさを誤魔化すように自分も串肉へと口を近づける。
「――マスター。対象に同様の熱量を確認。危険です」
「え……?」
サイファーはミコトを制止すると、横から顔を近づけてふーふーと息をかけた。
肉にあたらぬよう、髪をかき上げているおかげで形のよい耳までよく見えた。
――ほわああああああああああああああああああっ?
それは頬が触れるほど接近されるということでもあって、ミコトは激しくうろたえた。
「だ、ダメだよサイファー。女の子が気安くそういうことをしたら!」
「……? マスターはやってくれました。問題点を明確に願います」
「えうぅっ? それはその……」
先に自分がやったことと言われるとなにも返せない。
答えが見つからなくて、ミコトは肉にかぶりつく。
「……美味しいね」
「はい。マスター」
そうして黙々と肉をかじりながら、通りの端へと避けようとしたときだった。
「――うわあっ馬車が!」「逃げろ!」「ひいっ」
突然の悲鳴に目を向けると、暴走したらしい馬車がこちらに突っ込んできていた。
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