第一章 初恋の彼女は、薄幸の美少女と呼ぶには強すぎた(2)

         ◇


「……っ、生きてるっ? 痛たたっ」

 ガバッと身を起こして、ミコトは素っ頓狂な声を上げる。

 地震は結構な大きさだったようだ。

 地下の空洞はさらに崩れて、深く深くへ落ちてしまっていた。周囲は薄暗く、なにが転がっているのかもわからない。

 頭上を見遣ると、自分が落ちてきたらしい穴がずいぶん遠くに見える。遠近感が掴めないが、はありそうだ。

 ひとまず自分の状態を確かめる。

「手足は……動く。痛みはあるけど平衡感覚も、たぶん大丈夫。血……が出てるけど、どこからかはわからないかな。頭は……たぶん、無事かな?」

 いちいち声に出すのは自分の意識や聴覚の確認でもある。

 額でも切ったのか、顔を触ると手がぬるりとした。出血量は少なくないようだが、出血自体はもう止まりかけているようだ。

 ――大丈夫。まだがんばれる。

 続いて装備を確認しようとして、ミコトは硬直する。

「あれ? 荷物がない?」

 手探りで鞄を探ってみると、どういうわけか中身がなくなっていた。先ほど<灯り石>を取り出したときは無事だったのに……。

 ごそごそと手を突っ込んでみると、底の感触がなかった。どうやら、今度は鞄の底が抜けてしまったらしい。

 となると、荷物は瓦礫の下敷きだろう。

 さすがにため息をもらす。

「神さま。もう少し手心とか加えてもらえませんかね……」

 空元気に縋るのも限界があって、ミコトは膝を抱えたくなった。

 とはいえ、鞄の底が抜ける程度は初めてではない。こんなときのために、荷物は分散させてある。

 ベルトのポーチを確かめてみる。予備の水筒はこちらにくくり付けておいたおかげで無事だ。銃と弾薬もある。食料は、携帯食糧が二日分ほど。

「まともに動けるのは、あと一日ってところかな……」

 食糧はともかく水が足りない。動けるうちにどうにか地上に戻る必要がある。

 ――ミリアムさんが気付いたら、助けに来ちゃうだろうし。

 ミコトの不運体質は他人も巻き込む。

 救助に来たミリアムがどれほど入念に準備をしてきたとしても、巻き込まれて二次遭難する危険は極めて高い。

 自力でなんとかする必要があった。

「とにかく、ここにいるのは危ないかな。また地震が来るかもしれないし」

 次はもっと大きく崩落するかもしれない。

 ひとまず手近な石ころを拾い上げると、ポーチから取り出した薬剤を振りかける。

「迷える者に道しるべを――」

 短く呪文を唱えると、石ころがほのかな輝きを放ち始める。即席で<灯り石>を作ったのだ。

 <灯り石>で周囲を照らしてみると、足元は瓦礫で埋まって地面の状態も見えない。落下の衝撃で砕けており、下手に上に乗ると崩れそうだ。歩くにも注意が必要だろう。

 続いて壁へ目を向けて、ミコトは息を呑んだ。


「なんだろう、ここ。神殿……かな?」


 そこはどうやら円形の広間になっているようで、ちょっとした城のホールくらいはあるだろうか。足元は瓦礫で埋まっているが、壁際は比較的無事だった。

 壁の一点にはなにか巨大な紋様が描かれており、その正面に小さな石碑が突き出していて祭壇のように見えた。そこから左右に円形の柱が等間隔に三本ずつ立っていて、こちらにも似たような紋様が描かれている。

 そして、そのどれもが破損こそあるものの鏡のように磨き上げられていた。

「この紋様……なんか見覚えあるんだけど、なんだろう?」

 どこで教えてもらったのかは思い出せないが、確か古い〝文字〟だったはずだ。

 反対側の壁に目を向けてみると、こちらは一面ガラスのようなものが張られている。祭壇に立てばよく見えるだろう位置だ。こんな地下に窓を作る意味はわからないが、この状況で原形を残しているということはよほど強度もしくは柔軟性が高いのだろう。

 改めて天井を見上げてみると、ひたすら分厚い裂け目がどこまでも続いていた。

 古代遺跡によく見られる、いくつもの階層を重ねた造りではない。ひたすら硬い岩盤が裂けたような形で、しかも断面を見るに何億年と昔の地層のように恐ろしく高密度な岩だと感じた。

 ――秘せられた神殿――

 そんな名前が、頭の中に浮かんだ。

 こんな状況ではあるが、ミコトはいま自分が高揚していることを自覚した。

「――ッ、そうだ。記録、記録を取っとかないと」

 ミコトはこの遺跡の調査に来ているのだ。見聞きした事象は全て記録しておかなければならない。

 まず簡単な見取り図を描いて、それから壁や柱の紋様を書き写していく。避難のことも忘れ夢中で書き綴って、ふと柱の陰に見慣れた印が刻まれていることに気付く。

「え、矢印……?」

 ミコトの目線よりも少し高いくらいの位置に、行く先を示すような矢印があった。

 神殿には不似合いな印だが、古代遺跡ではよく見られる印ではある。近づいてみると矢印の下にはなにか文字が刻まれていた。柱の紋様とはまた違うものだ。

「なんて書いてあるんだろう。ミリアムさんならわかるかな?」

 恐らく矢印の先に、なにがあるのかが書いてあるのだろうとは思う。祭壇の隣にあることから、出入り口である可能性は期待できる。

 矢印の先を覗き込んでみると、真っ直ぐな通路が延びていた。

 背後をふり返れば、頭上からうっすらと光が差し込んでいる。戻ってくるのに目印は必要ないだろう。

 <灯り石>を掲げて、ミコトは通路へと足を踏み入れてみる。

 カツンと足音が妙に大きく響く。

 空気はほこり臭いが、不思議とこもっているようには感じられなかった。こんな地下なのに、まるで空気だけは循環していたかのようである。

 ところどころ天井が剥げ落ちているが、その向こうにはがんばれば人ひとりが潜り込めそうな程度の空洞があるだけだ。上の階層があるようには見えない。なんのための空洞なのだろう。

 そうしてどれくらい歩いただろうか。突然、通路はなくなっていた。正面の壁には先ほどのものとは違うが、壁一面に大きな紋様が刻まれている。

「行き止まり……いや、これもしかして扉かな?」

 目の前には壁がそびえているが、他とは違って鉄でできている。

 <灯り石>で照らしてみると、中央に正方形の穴が空いていた。

 ――いやこれ、穴じゃなくて扉が開きかけてるのか……?

 ただ、そうだとすると奇妙な形だ。

 正面の扉は確かに左右へと開いているが、その向こうには上下に開く扉があることになってしまう。覗き込んでみるとその奥にはさらに同じ構造の扉が重なっており、四層もの扉が取り付けられていることになる。しかも、その全てが十数センチメートルという分厚さだ。

 遺跡調査には何度も行っているが、こんな構造の扉は見たことがなかった。

 ――こんな扉があったら開けるだけでも一苦労なんじゃないかな……。

 どうしてこんな使いにくい形に作ってあるのだろう。三百年前の世界はいまよりも遙かに繁栄していたはずなのに、非合理的すぎる。

 そこまで考えて、ふと逆の可能性に思い至った。

 ――そもそも〝開けられたくない扉〟だった、とか……?

 王城の宝物庫の扉などはひたすら強固に造られていると聞いたことがある。ここが神殿だとすると、これが宝物庫の扉であってもおかしくはないのではないか?

 正方形の穴は、ミコトの体格ならなんとか通り抜けられそうである。

「……行ってみるか!」

 遺跡調査をしていて、こんなにワクワクした気持ちになっているのは初めてだ。

「と、その前にこれも書き写しとかないとな……。三つ、いや四つの円を重ねたみたいな形だ。なんのシンボルなんだろう?」

 くぐり抜ける前に、扉の紋様を手帳に書き写す。

 中央にひとつの円があり、その上に正三角形を描くように三つの円を重ねて、頂点にあたる部分には隙間が空いている。他の紋様と違って、ずいぶんシンプルな形だ。

 このとき、ミコトに少しでも自分の体質をふり返る冷静さがあれば、この先に進むことを躊躇していただろう。そして依頼人の言葉を思い出しもしただろう。

 ――キミの運の悪さはついぞ災害と認定されたらしいぞ――

 その扉に刻まれていたのは、三百年前にはを示していた記号だった。

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