09-39 チュラ島の人魚伝説
暫く沈黙が続いた後……
「……ごめんなさい」
そう一言だけ告げ、深々と頭を下げるローラ。
「……ちゃんと説明してくれないか?」
どうにか動揺を隠して、努めて冷静に諭すように問いかける。実際のところは、次々と告げられる事実に思考がおいつかず、頭の中は真っ白だ。
「……嵐の海で溺れているマグナスさんを見かけたのは、本当に偶然なんです。お助けしたのも、本当にマグナスさんを死なせたくなかったから。――ただ、避難先にこの島を選んだのは……私の意志です。本当はそのまま本島へ連れて帰ることも……出来たのに」
ローラの声が段々と小さくなり口ごもる。
「……何のために?」
「マグナスさんが錬金術師だとお聞きしたからです。この島にはまともな錬金術師は殆ど居ませんし、島の外からも滅多にやってきません。どうしてもこの洞窟を錬金術師に見て貰いたかったんです」
「この島で起きてる事件と錬金術が関係あるから?」
「……はい」
それだけ答えると、再び黙り込んでしまうローラ。
「ねぇ、ここまできたら全部話してくれない? あなたが島の伝説に出て来る人魚なんでしょ? そういえば、ここに来る途中あなたを探す亡者にも遭ったわ。あれは何なの?」
「――!? 彼に会ったんですか!?」
ティンクの話を黙って聞いてローラが、突然目を見開いてティンクの顔を見た。
「えぇ。あなたとあの男、それにこの島に過去いったい何があったのよ? あの人魚伝説の真相って何なの?」
ローラに害意が無さそうなのを察したのか、ティンクがやや口調を和らげて諭すように話しかける。
ローラは少し戸惑う素振りをみせたが、やがて決心したように頷くとゆっくり話し始めた。
「もう随分と昔の話です――」
……ローラが話してくれたのは、とても切ないチャラの昔話だった。
――――
昔々、それこそ何百年も前の話。
チュラ島は人魚の楽園だった。
大陸から遠く隔離されたこの地にはまだ人間の姿は無く、美しい海と空、鮮やかに咲き誇る花々に囲まれて沢山の人魚が平和に暮らしていた。
ローラもこの島で暮らしていた人魚の一人。
驚いた事に、人魚には繁殖や出産といった概念が無いそうだ。
気付いた時には“海に居て”、やがて時が来れば“泡となって海に帰る”。それが彼女たちの一生らしい。
ローラ曰く、つまり人魚とは海の化身なんだと。
それはさておき、そんな人魚達の楽園にある時から人間が姿を現すようになった。
最初にやってきたのは小さな船に乗った数名の冒険者。
暫く島を探検すると、彼らは島から植物や鉱石、また古くからある遺跡の備品などを持って帰って行った。
それから暫くして、今度は大きな船で沢山の人間達がやって来た。
どうやらこの島にある鉱物や固有の植物が人間にとってとても有用かつ貴重な物ばかりだったらしい。
かくして、人魚から見れば極端に短命なこの生物は、外から移り住みまたは島で子を産みどんどんと数を増やして行った。
島に人間の町が出来上がるまでそう時間は掛からなかったそうだ。
当然人魚と人間が出くわす場面もあった。
外界からの移住者に最初は人魚達も驚き戸惑いはしたものの、大きな争いになる事は無かった。
彼らは島の先住民である海の民に深く敬意を表し、海を始め島の自然をとても大切にした。
また、彼らにとって必要な資源が海ではなく、人魚達とは無縁の陸地に集中していたのも衝突を避けられた大きな理由かもしれない。
何はともあれ、陸に住む人間、海に住む人魚、と互いに干渉せず距離を置いて上手く共存していたのだ。
そして人間の代替わりが進むにつれ次第に人魚は伝説上の生き物だとまで思われる程になって行った。
……けれど、いくら注意を払い距離を置いたところで同じ島に住む者同士。
長い年月の中で時折両者が接触する機会は出てきてしまう。
それは単なる偶然であったり、時には運命のいたずらのような必然的な物だったりもする。
……この出会いは、はたしてそのどちらだったのだろうか。
――きっかけは、うっかり漁師の網に掛かり動けなくなってしまったローラをとある人間の青年が助けた事からだった。
人間の目から見れば気が遠くなる程の長い時を、ただただ海を漂い過ごす人魚。
その目には、短く儚い時を精一杯に生きる人間の青年がとても眩しく映ったそうだ。
そこから恋に落ちるのにそう時間は掛からなかった。
生殖本能の無い人魚が抱いたこの想いは本当に恋なのか? そう聞かれると未だにローラ自身も分からないらしい。
ただ、後に読んだ人間の本で“恋”という概念を知り、自分のこの気持ちを恋なのだと定義付けたのだと。
ローラが出会ったその青年は、見習いの“錬丹術士”だった。
今は決して楽な暮らしではないが、いつか偉大な錬丹術士になるという夢を見て日々厳しい鍛錬に明け暮れていた。
海に映る星空のようにキラキラとした顔で夢を語る青年。
そんな彼の笑顔を眺めている時がローラにとっては何よりも幸せな時間で、いつしか彼の夢はローラの夢にもなっていた。
人間の恋人同士のように近くに居る事は叶わなかったが、青年は足繁くローラの住む岬に通った。
陸に上がる事の出来ないローラはただひたすら青年が会いに来てくれるのを待つしか無かったが、次に会う約束を心の支えに彼を待つ日々さえ彼女にとってはかけがえのない物だった。
しかし――
そんな幸せな日々は長くは続かなかった。
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