09-20 二人だけの時間

『――ですか!? あの!』


 どこか何処か遠くから声が聞こえるような気がする。


『大丈夫ですか!?』


 いや遠いのは俺の耳で、本当は近くからか?


『マグナスさん! 目を開けてください!』


「うーん……ん?」


 どこかで聞いたことのあるような声が、必死に俺の名前を呼んでいるようだ。

 重いまぶたを開くと、ぼやけた視界に見慣れない女の子の姿が映った。

 いや……見慣れはいないけれど、その顔には見覚えがある。


「……あれ? 何で?」


 目の前に居るたのはティンクでもカトレアでもなく、心配そうに俺の顔を覗き込むローラだった。


 ぼーっとしていた頭が徐々にはっきりしてくる。


(……ここは、何処だ? 俺は確か大波に呑まれて……)


「良かった。気が付いたんですね」


 俺の反応を見てローラがホッと胸を撫で下ろす。


 横になったまま首を傾けて辺りを見渡すと、暗い洞窟のような場所だという事が分かる。

 外は相変わらず大荒れのようで雷が鳴り響いているが、幸い洞窟の中までは雨は入ってきていないようだ。


「……ここは?」


 節々が痛むのを我慢してどうにか上体を起こす。

 辺りを漂っていた蛍のような光の群れが、俺に驚いたようにさっと逃げて行くのが見えた。


「本島から少し離れた所にある、無人の小さな島です」


「そっか。俺、波に流されて――って、え!? 何でローラがこんな所に!?」


「あ、えっと。私たまにここに貝や小魚なんかを取りにくるんです。今日も朝から来ていたんですけど、急に天気が荒れて戻れなくなってしまって。しかたないので雨宿りしながら外の様子を見ていたら――岩場に打ち上げられてるマグナスさんを見つけたんです! ほんと、びっくりしました」


「……そうだったのか。何にせよ助かったよ。まさかこんなに急に海が荒れるなんて。南国の気候をナメてたよ」


「いえ、元々こんな事は無かったんです。チュラは年間通して温暖な地域ですし、特にこの時期は雨なんか殆ど降らないんです。降ったとしても夕方に一瞬夕立が通り過ぎるだけだったのに。ですが……ここ数年の気候は普通じゃありません」


「異常気象ってやつか。大自然の気まぐれには勝てないな」


「……はい」


 何故だか煮え切らない感じでローラが頷いたように見えた。きっと彼女なりに島について思う事があるんだろう。


 ……何はともあれ、俺は助かったようだ。

 この島も、ローラが日常的に来るってことは本島に帰るのもそう難しくは無いだろう。

 後は嵐が収まるのを待つだけだ。



 ホッと落ち着くと、気が抜けたのか突然大きなクシャミが出た。

 悪寒が走り体がブルブルと震えてくる。


「――! も、もしかして寒いですか? そ、そうですよね! 大変……。そういえばお洋服も濡れたままですし、それだと寒いですよね!?」


 言われてみれば洞窟の中は随分とひんやりしている。雨のせいで気温が一気に下がったようだ。

 確かにこのままだと風邪ひくかもしれないな。……とはいえ辺りに暖を取れそうな物も無いし、これ以上ローラに心配をかけるわけにもいかない。


「大丈夫大丈夫、寒いっていっても夏だし。モリノに比べたらこれでも全然暑い方だよ。これくらい平気――へい、ヘックション!」


「無理してはダメですよ! ――そ、そうだ! 確か洞窟のもう少し奥に行けば良い物があったはずです! 立てますか?」


 俺を抱え起こしてくれたローラの肩を借り、壁に手をつけながら洞窟の奥へと慎重に歩みを進める。


 奥に進むにつれ……ここがただの天然の洞窟では無い事が分かってきた。

 薄暗くて良く見えないが――足元は明らかに人工的に作られた石材で整備されているし、通路の脇を流れる水路も人工の物のようだ。


 そんな通路を暫く行くと、広い空間に出た。

 通路脇に置かれていた松明と着火石をローラが手に取って渡してくれる。


「これ、使えますか!?」


 ずいぶん古い物のようだが、幸い湿気ってはいないようだ。


「あぁ、イケそうだ。助かる」


 何度か着火石を打ち鳴らすと、何とか松明に火がついた。


 松明の火に照らされて、さっきまで暗くて見えなかった洞窟の中がだんだんと明らかになっていく。

 人工物だったのは通路や水路だけでなく、壁面も丁寧に石材加工されており所々何か文字のようなものが刻まれている。


 そして――広間の中央には大きな祭壇のような物があった。

 俺の背丈を超える程の大きな石のモニュメント。俺の知識じゃ見た目から用途を推測する事は出来ないが、備えられた台座には枯れた花が捧げられている。


「ここは……遺跡か?」


 後ろに居るローラに聞いてみようと振り返ったところ、ローラが慌てて俺から距離を取った。


「――キャ!」


 松明の火が怖かったようだ。

 そんなに近づけたつもりは無かったけれど、火の粉でも飛んだか!?


「ご、ごめん! 大丈夫だった!?」


「あ、大丈夫です。急だったのでびっくりしただけ」


「そ、そうか。それなら良かった」


「――えと。遺跡というほど大層な物ではないですが、古いほこらです。昔は漁の安全を願ってよく漁師さんがお参りに来たそうです。今では誰も来ませんが」


「へぇ……」


 地元の神様でも祭ってたんだろうか。

 あいにくお供えする物も無いので、せめてもと思い崩れている小石を整えからみついた海藻を取ってあげる。


「すいません。少し雨宿りさせてください」


 祈り方が合ってるかどうかは分からないけれど、石碑の前に座り込み両手を合わせる。

 傍に置いた松明に照らされて、石碑に刻まれた模様がぼんやりと影を浮かべているのが見えた。


(ん……この模様、文字か? どう見ても統一言語とは違うな。もっと古い時代の文字か。読めはしないけど、このパターン……何処かで見たような……)


 ……まぁ、今はそんな事より体温の確保が先決だ!

 ここなら洞窟の入り口の方より幾分かは温かいし、熱源も手に入った。

 とはいえ……いくら松明の火に手をかざしてみても、体が温まるほどの物ではない。他に燃やせそうな物もないし――いかん、ズルズルと鼻水が出るし、頭もズキズキしてきた。


 せめて体力と体温を温存するために、床に縮こまって自分の身体を抱えて小さく丸まる。

 入り口から吹き込んでくる風に身体を震わせていると……


「――あの! 失礼しますね」


 意を決したように――突然ローラが抱きついてきた。


「――な、なに!?」


「体温を上げるには、こうして分け与えてあげるのが良いと聞きました。あ、あの。嫌かもしれませんが少しじっとしていてください」


 全身に伝わってくる彼女の仄かに温かな体温。俺の体が冷え切ってるせいか、普通よりも随分と冷たく感じる。


「あ、ありがとう。けど、ローラは逆に寒くない?」


「いえ、私平熱が低いのでこれでも暑いくらいです」


 恥ずかしいのか、じっと下を向いたまま応えるローラ。

 そんな彼女の健気さが嬉しかったのと、どうしても寒かった事もあり、悪いと思いながらも背中に手を回して抱き付かせて貰う。


 華奢で柔らかな身体を抱きしめていると……何だか不思議と落ち着く。


 何も言わずに俺の腕の中でただ呼吸だけを繰り返すローラ。

 暫くそうやって抱き合っているうちに、次第に瞼が重くなり……うっかり眠ってしまった。

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