06-09 父の研究

 ソファーから本棚を眺めているうちに、少し気になる事がでてきた。


 本棚にずらりと並ぶのは殆どが薬学系のものと思しき専門書。その多くは見た事のない物だが、中には見知った物もいくつか混ざっている。俺の記憶が確かなら、かなり高額な名書たちだ。しかも1冊2冊ではなく貴重な本が大量に所蔵されているようだ。

 ……非常に失礼だけれど、それ程裕福ではなさそうなこの家庭でこれだけの物を揃えられるとは到底思えない。


「……あの。お父さんってどこかの大きな研究所の研究員とかだったんですか?」


 ルルさんにそれとなく話を振ってみる。


「あ、いえ。そんな事はありませんが……どうしてですか?」


「あ、いえ。並んでる本がどれも立派な物ばっかりなもんで。下手な研究室より資料が揃ってるんじゃないかと思う程です」


「……そうなんですね。ここにあるのは全部、父が私のために買い集めた物なんですよ」


「ルルさんのため?」


「……はい」


 ルルさんがティーポットにお湯を注ぎながら少し寂しそうに答える。


「――父は元々商人だったんです。商才に恵まれた人で、お店をいくつも経営していました。お陰で、私も小さい頃は庶民としてはかなり裕福な暮らしをさせて貰っていたんです」


 ルルさんから漂うどことなく品の良い雰囲気は幼少の頃の影響だったのか。


「――けれど、ある年母が病気で亡くなって。生まれつきの肺の疾患という事でした。そして、その翌年。……私にも同じ疾患がある事が分かったんです」


 机に飾られた家族写真に目をやるルルさん。そこにはまだ小さなルルさんと、彼女を両側から抱き上げて優しく微笑む両親の姿があった。


「父はどうにか私を救おうと必死に駆け回ってくれました。けれど、どれだけ高名なお医者様にかかっても治療法は見つからず……おそらく二十歳までは生きられないだろうと言われました。――それでも諦められなかった父は、私を救うために自分で治療薬の研究を始めたんです。持っていたお店の権利なんかを全て手放して資金に変え、それからは研究に没頭するようになりました」


 ――成る程。不治の病から最愛の娘を救うために、全てを投げ打って治療薬の研究か……。

 娘思いの良いお父さんじゃないか。


 けれど――もし、そういう背景があるのだとすれば余計に気になってしまう。


 棚に並ぶ本の種類。確かに薬学に関するものが大半だ。けれど、それらに混ざって他の分野の本が沢山ある。

 しかもそれらは比較的新しいものばかりだ。つまり、途中で薬学から別の分野に研究を変更したという事だ。


「――あの、突然押しかけた上に失礼を承知でお願いするんですけど……もし良ければお父さんの研究室を見せて貰えませんか?」


「え? 研究室ですか?」


 そう。リビングに置かれているのはあくまで本や参考書ばかり。実験器具や薬品といった類が全く無い。

 ここはあくまでも居室兼書庫として使われていただけで他に研究室があるはずだ。


「はい。同じ研究職として興味があって」


「え、ええ。それは構いませんけど……ただ、置いてある物には触らないでください。危ない薬品なんかもあるらしく、私も普段はあまり立ち入らないんです」


「もちろんです!」



 ルルさんに案内して貰い、家の一番奥にある部屋のドアをそっと開ける。


 中にあったのは、資料や素材に埋もれた狭い部屋。棚にはフラスコやビーカー、薬瓶といった実験器具がずらりと並んでいる。

 そして……小さな窓から差すほんの少しの光に照らされ、部屋の隅に鎮座しているのは――



 部屋の大きさに似つかわしくない巨大な釜。



(間違いない……ここは錬金術の工房だ)


「あの、お父さんは薬学の他に錬金術の研究もされてたんですか?」


「え、錬金術ですか? いえ、そんな話は聞いた事ありませんけど……。というか、父は研究の内容について殆ど話してくれなかったんです。研究室に入ったのも実は数える程で。研究に必要だからと時折採血に付き合ったくらいです」


「なるほど、そうのんですね」


 自分の家のはずなのに物珍しいものでも見るように研究室の中を見渡すルルさん。丁度そこへキッチンからお湯の沸く音が聞こえてきて慌てて部屋を出て行いった。


 その隙にそっと部屋の中まで足を進めると、机の上に置きっぱなしにされたノートが目に入る。開されたページには大量の数式や図式が溢れんばかりに書き殴られていた。


 ルルさんが戻ってくる気配の無い事を確認し、数ページノートを捲る。


「……マジか」


 思わず口から溜息が溢れた。


 それなりの知識がある錬金術師ならば、パッと見ただけでコレが何の研究なのか解る。それ程までに有名なその“内容”。

 錬金術の創成から本日に至るまで、数多の錬金術師が研究し、例外なくその誰もが挫折してきた永遠に完成しないレシピ。


「――えっと、お父さん、研究は独学で?」


 キッチンに居るルルさんに大きな声で問いかける。


「はい! 独学のはずですけど?」


 キョトンとした声で返事を返すルルさん。


 ――信じられない。

 この人、元は商人だったんだよな? 商人から薬学を経由して、たった数年でここまだ辿り着いたってのか? しかも独学で。天才なんて凡庸な表現ではとても足りない。もはや執念を通り越して狂気じみたものすら感じてくる。


 ――娘を救いたい。ただその一心が彼をここまで突き動かしたのか。


「――へぇ。世の中に溢れてるトンチンカンなレシピに比べたら結構惜しい所まではいってるじゃない」


 いつの間にか傍から研究ノートを覗き込んでいたティンクが呟く。

 確かに、ノートに記されたレシピは錬金術の定石を踏襲しつつ、そこに計り知れない程の薬学の知識と気の遠くなるような試行錯誤の結果を反映させ従来の物とは全く違った方向へと昇華させている。

 特に薬学色の濃い部分は俺が読んでもサッパリ分からない程に複雑だ。


「それにしても凄い試行錯誤の数ね……普通これだけやってダメなら諦めるわよ」


 尊敬とも呆れとも思える表情で首をふるティンク。


「あぁ。諦めるって選択肢は無かったんだろうな。どつしてもアレが必要だったんだ」


 そう。ルルさんのお父さんが研究していたのは……


 【賢者の石】だ。



 そして……。

 一般的に信じられているその素材は――“純粋無垢な少女の鮮血”だ。

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