03-03 豹変咳とマナ欠乏症

「すいません! 随分とお待たせてしまって!!」


 急いで店に戻ると、ティンクとお客さんがカウンターに並んで座り楽しそうにお茶を飲んでいた。


「おっそい! どんだけお客さん待たせるつもりなのよ!」


 俺の姿を見るなり立ち上がって怒り出すティンク。


「いえいえ、お気になさらず。ティンクさんとお喋り出来て楽しかったですし。あ、今度カフェにも寄らせて頂きますね」


「本当!? 絶対来てよ! ケーキ用意して待ってるから!!」


 お客さんの手を取り目を輝かせて喜ぶティンク。

 馴れ馴れしいというか、この短時間でよくそこまで仲良くなれたな。いつの間にかお客さんにタメ口だし。

 ……てか、ちょっと待て! ケーキってまさかあの激辛のやつか!?

 やめろ、病人だぞ! 殺す気か!!



「……あの、そちらの方は?」


 俺の後ろでニコニコと事の成り行きを見守る万能薬さんを見て、お客さんが少し不審そうに首を傾げる。


「あ、えっと、僕のアシスタントで……名前はバンさんです」


「はじめまして。お話は大まかに伺いました。――さっそくですが、そちらの薬を1粒だけ頂いても宜しいですか?」


 お客さんに向けそっと手を差し出す万能薬さん。


「え? あ、はい。どうぞ」


 少し不信そうにしながらも、その手のひらに薬を1つ乗せる。

 万能薬さんは受け取った丸薬を工房から持ってきたすり鉢ですり潰すと小指の先にほんの少しだけつけてひと舐めした。


「ど、どう?」


「……成分は、各種薬草類にヒャクヤクタケ、それと純水――普通の薬ですね。珍しいところではサンガク人参と、少量の仙人草が調合されています」


 ペンを取りサラサラと成分を紙に書き記していく。


「凄い! 少し舐めただけで成分が分かるんですか!?」


 たくさんの素材が書かれた紙を見て目を丸くする女お客さん。


「ええ勿論。この類の薬には相当に詳しいと自負していますから」


「しかしさすが王宮錬金術師だなぁ。仙人草ったら、粉末で1瓶40000コールとかする最高薬剤だろ? やっぱ使う素材からして違うなぁ」


 あまりにも豪華な素材に思わず感心してしまう。うちでもこれくらいの素材が揃えられればいいんだけど、当然コンビエーニュ森林で取れるような代物じゃない。


「へぇ……そんなに良いお薬だったんですね。知りませんでした」


 お客さんも手に持った薬袋をマジマジと見つめる。


「――え? 受け取る時に効能や成分について説明が無かったですか?」


「え、えぇ。何日も前から予約してやっと診て頂けた高名な錬金術師様ですから。頂いた物を疑うような真似は出来ません」


 ふるふると首を振る女性。


 そんなバカな。錬金術で作られるアイテムは市販の物と違って一般に広く出回っている物じゃない。取り扱い方や効果については引き渡し前に説明が必須。用途次第では健康被害を起こしかねない薬類となれば尚更だ。


 その話を聞いて万能薬さんが小さくため息をつく。


「……はっきり言わせて頂きます。これを作った方、どんなに高名な錬金術師様かは知りませんが――少なくとも万能薬の調合に関しては素人も良いところです」


 険しい顔でカウンターに置かれた丸薬を見つめる万能薬さん。心なしか、その顔は少し怒っているようにも見える。


「……え? でも薬自体は良い物なんですよね?」


 驚いたお客さんが目をパチクリさせながら聞き返す。


「確かに、使われている素材はどれも一級品です。特に仙人草は万病に効くとされる効果な薬草で、その効能も疑う余地はありません」


「そ、それじゃあ……」


「けれど、よく考えてみてください。病院に行って『誰が飲んでも、どんな症状でも、とにかくよく効く薬です』と言われて出された物を貴女は信用できますか? 私が言うのも何ですが、そんな適当な事を謳う薬は絶対信用してはいけません」


 万能薬さんは席を立つと戸棚にしまっておいた薬草類を一通り確認し、そのうちからいくつかを取り出しながら話を続ける。


「万能薬というのは、対処すべき症状をよくよく吟味し、想定し得る不調に合わせて最善な配合を持って作り上げるもの。術士の腕と知識があってこその万能薬です。高級な素材を適当に混ぜれば良いというものでは決してありません。……ちょっとこの薬、全部預かっても構いませんか?」


「え、あ、はい。私の症状にはあまり効き目が無いようなのでもう飲んでいませんでした。どうぞ」


 お客さんがすっと薬袋を差し出す。


「ありがとうございます。それと、症状を詳しく見たいので少し触診させてください。まずは、口を大きく空けて頂けますか?」


「あ、はい」


 お客さんが大きく口を開けると、その首元を触りながら喉の奥を覗き込む万能薬さん。


「……はい、結構ですよ。あと、肺の状態も心配なので服の上から少し胸元を触らせて下さいね」


「はい。……あの、それだけで大丈夫なんですか?」


 万能薬さんの言う通りにしていたお客さんが、何故か突然不安そうな顔を向ける。


「……? はい。何も痛い事はしませんのでどうか安心してください」


 安心させようとしたのか、優しくニッコリと微笑んでみせる万能薬さん。


「い、いえ。バンさんを疑っている訳ではないのですが……実は、王宮錬金術師様に診て頂いた際は有無を言わさずに服を全部脱げと言われまして……。その、心なしか嫌らしい目つきでジロジロと全身を見られたうえに……ろくに話も聞いて頂けなかったので……」


 恥ずかしそうに言葉を詰まらせると、顔を真っ赤にして俯いてしまうお客さん。

 これは完全に……いいようにあしらわれたんだろうな。

 王宮錬金術師ともなるとその腕を疑う人はまず居ない。そもそも一般の人達は錬金術の知識なんて殆ど無いに等しいし、偉い先生が言うならそうなんだろうと信じてしまっても仕方はない。

 だからと言ってやりたい放題、頼ってくれた人を騙すようなやり方――同じ錬金術師として絶対に許さない。


 万能薬さんも、呆れたように小さく首を振ると大きなため息をついて椅子に座り直す。


「ごめんなさい。……他人のやり方にとやかく口を出すつもりはありません。ただ、いい加減な調合の薬といい、怪しい診察といい。その方がお客さん一人一人と真摯に向き合ってくれるような、信頼に取る錬金術だとは私は到底思えませんね」


 その後、咳がいつ頃から続いているかやどんな時間帯に出やすいのかなどいくつか質問し、万能薬さんは預かった薬を持って工房へと戻って行った。

 俺もその後を追い工房へと戻る。



 ―――



「――容態からして、“豹変咳ひょうへんせき”ね」


「豹変咳?」


「正確には“光元素マナ欠乏症”という状態異常の1つよ。陽の光の届かないような地下のダンジョンなんかに長期間滞在すると稀に発症する事があるわ」


 工房の戸棚に元々あった“サンフラワー”や“陽光茸ようこうだけ”など光属性を持つ素材をいくつか取り出しながら話を続ける万能薬さん。


「症状としては、軽い咳が1ヶ月以上に渡って続くわ。症例が少ない上に風邪に似た症状だから医者では誤診される事が多いそうね。大抵の人は暗い場所から出て普通に暮らしていればそのまま改善する事が殆どよ。さすがにダンジョンに数ヶ月以上潜りっぱなしの冒険者なんて居ないものね。……ただ、体力が極端に衰えているなどで万一症状が治らない場合――2ヶ月程経過した頃突然病状が豹変するの。重度の呼吸困難を起こし、多くの場合肺炎を誘発して命を落とす事になるわ」


「や、やばいじゃないですか!」


 お客さんは1ヶ月以上前から咳が止まらないと言っていた。もし本当にその豹変咳という病気ならもうあまり猶予が無いという事だ。


「えぇ。放っておけば、ね。そうならないためにあるのが私たち薬の役目よ。適切な処方をした薬を飲めば充分に治る病よ。状態異常だから正確には解除される、と言うのが正しいのだけれど」


 よ、良かった。

 最初“命を落とす”と聞いた時はさすがにこっちの心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。

 けれど万能薬さんのお陰でなんとかなりそうだ。


「……でも、1つ我慢なんだけど。あのお客さん、どう見ても冒険者って感じじゃないよね? 長期間ダンジョンに潜ってたなんて事もなさそうだし、何でマナ欠乏症なんかに?」


「程度は体質にもよるけれど、別に完全な暗闇に居なくても光のマナが極端に不足すれば欠乏症を引き起こす可能性があるわ。話を聞いた所、あの子良い所のお嬢様らしいじゃない。父である領主が過保護過ぎて元々殆ど屋敷の外に出して貰えなかったそうよ。その領主が先日亡くなられて、しきたりに従って屋敷中の窓を締め切り数週間屋敷に籠って喪を明かしていたんですって。元々不足していた光のマナが遂に底を突いたんでしょうね。……人が生きていくのにいかにお日様が必要かという話よ」


 そんな事を話しながら、万能薬さんは素材を丁寧に机の上へ並べていく。


「さっき預かった薬に、今並べた素材を左から順に加えて万能薬を1週間分生成してあげて。ちゃんと薬を飲めば病はそれ以上進行しないし、飲み終わる頃には完治するわ」


 ……凄い。

 あの短時間の会話の中でこれだけの情報を分析して、一切の迷いもなく素材を選び出してしまう。

 正しくこの人自身が“万能薬”だ。


「――分かった! ありがとう、さすが万能薬さん!」


「ふふ、お仕事頑張ってね。それじゃ私はここで失礼するわ」


 最後にもう一度天使のような微笑みを残すと、万能薬さんは光に包まれて消えていった。



 ――さっそく教わった通りに薬を調合する。


(えっと、素材は普通の3倍量だから……足りるか?)


 必要な量の素材を慎重に取り分ける。


(――よかった! ギリギリいけそうだ。普段から採取しいれに力を入れてたお陰だな!)


 釜の温度は調整しておいたから、後は材料を入れるだけ。材料をどさりと投入し、再び万能薬のレシピを唱えると出来上がったのは――ポーション!!


「そうだったぁぁ!」


 手早く床にポーションを撒くと再び姿を表す万能薬さん。


「――そうだったわね。私も戻った後に気づいたわ。まだ少し魔力がを残ってて良かったわ。それにしても、いちいち出てこないといけないというのは中々に面倒ね。……はいこれ」


 紙に包まれた丸薬を手渡してくれる。


「す、すいません何度も」


 お互いに苦笑いしながらしっかりと薬を受け取った。

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