第17話 ケヴィンの仕事

 朝の鍛錬のあと、ケヴィンはロバートに頭を下げた。

「仕事をください」

ロバートの、不思議な色の瞳に見つめられた。

「今のままでは居候です。私は、仕事をして、対価を得て、モニカと一緒に暮らしたいのです」

改まった口調で語るケヴィンに、ロバートがゆっくりと微笑んだ。


 人払いされた執務室で、エリックを傍らに控えさせたロバートと、ケヴィンは向かい合っていた。

「あなたが良ければ、一つ提案があります。この屋敷を離れることになります。

この屋敷の外の仕事です。今のあなたならばできるでしょう。ちょうど引き継ぐ者を必要としています。しばらく働いてみませんか。王都の東門近くにある宿です」


 なぜ、その宿でケヴィンが働くのかを、ロバートは語ってくれなかった。

「はい。謹んでお受けします」

ケヴィンがそれを知るのは、引き継ぎのときだろう。ケヴィンはかつて、第三王子という立場から逃げた。もう逃げない。ケヴィンは決意した。


 宿の主夫婦は、エリックの説明に軽く頷き、ケヴィンを受け入れた。


「お前は今日から、餓鬼の頃出ていった放蕩息子だな」

面倒くさそうな宿の主の言葉に、ケヴィンは察した。ライティーザ王国では、狼の一族は、諜報を担っている。


「じゃぁ、親父、お袋、今まで迷惑かけてすまなかった。心を入れ替えて働くから、よろしくたのむ」

ケヴィンは、今日からこの二人の息子なのだ。

「そうだな」

「まぁ、頑張りなさい」

二人は、ケヴィンの返事に満足したらしい。


 ケヴィンは、遠く離れた地で眠る父と母を思い出した。ケヴィンの瞼に浮かぶのは、まだ若かった頃、国王と王妃としてリラツ王国を統治していた両親の姿だ。長兄はリラツ王国国王となった。次兄は海軍を束ねている。第三王子ハミルトンはもう居ない。


 ケヴィンは、親父とお袋から宿屋の主という役目を引き継ぐのだ。この宿からは逃げられない。宿を守らねばならない。宿は、ケヴィンの城なのだ。宿を、国や城に比べるなどおこがましい。だが、この宿は、ライティーザ王国を守る要の一つだ。立派に守ってみせると、ケヴィンは決意した。


 宿の朝は早い。薪割り、水汲み、掃除、洗濯、買い出し、料理もある。今のあなたなら出来るでしょうとロバートは言ってくれたが、少々あれは買いかぶりだったと思う。


「なんだとお前」

「うるせぇ、貴様。何様のつもりだ」

ケヴィンの目の前で、厄介事が始まろうとしていた。客同士の揉め事だ。


「揉め事は辞めてくれ、ここは宿だ。出ていきな」

親父が杖で床を強く叩いた。

「うるせぇ爺」

「すっこんでろ」


 先程まで喧嘩をしていたのに、親父への悪口では意気投合するらしい。面倒な奴らだ。


「お客様、ここは宿です。揉め事であれば、外でお願いします」

ケヴィンは、渾身の作り笑いを顔に貼り付けた。王族としてうけた教育が、今更役に立つとは思わなかった。


「なんだと、貴様、お前も外に出ろ」

襟首を掴まれそうになったが、素人に捕まるケヴィンではない。毎朝影と鍛錬をしていたのだ。


「もちろんでございます。こちらにどうぞ」

適当に躱しながら、ケヴィンは扉を開け、一礼した。

「けっ」

「覚えていろよ」


 二人が出たところで、ケヴィンは扉を締め、二人を締め出した。

「ご利用をいただきありがとうございました。またのご利用を、お待ちしねぇよ」

ケヴィンの言葉に、宿の客たちが、一斉に笑った。


 外は、警備隊が巡回している。騒いでいれば、いずれ捕らえられるだろう。ケヴィンが手を出すまでもない。


 以前のケヴィンであれば、あからさまな挑発に乗っていただろう。


 ロバートとローズのおかげだ。何を言われようと、常に飄々としていた二人を思い出すと、ケヴィンは些細なことで腹も立たなくなった。


 使用人から、突如公爵となったロバート・マクシミリアン公爵と、孤児でありながら、聖女と讃えられ、公爵夫人となったローズ・マクシミリアン公爵夫人への、貴族からの風当たりは強い。


「声高に負け惜しみを繰り返し、自らの負けを周囲に知らしめておられるのです。気に留める必要などありません」

ロバートは、微笑みながら、穏やかな言葉遣いで毒を吐いた。


「あら、意外と優秀でいらっしゃるのかもしれないわ。人の足を引っ張るお暇があるのですもの」

ローズも微笑みながら、様々な資料を調べ、次々と貴族達の不正を暴いていった。


 売られた喧嘩を買う必要などない。最終的に勝てば良いのだ。


「ほら親父、無理するな」

親父は杖を手放せない。荒くれ者相手の体力仕事に、痛めた足では危険が伴う。何か事故が起こる前に、引退させてやりたかった。


 若い頃、国を出たケヴィンは、老いた父を労ることはなかった。そのケヴィンが、偶然親父と呼ぶようになった宿の主を労っている。不思議な巡り合わせを感じた。


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