喫茶店強盗のお目当ては

夜桜くらは

前編 強盗は男子高校生

「手を上げろ!」


 店に入って来るなり、男は大声を上げた。私─白木しらき香織かおりは反射的に両手を上げる。

 強盗だろうか。男は全身黒ずくめといった格好をしていた。


 しかし、自分で言うのもなんだが、こんな廃れた喫茶店にそんな大層な額があると思ったのだろうか。

 この喫茶店『セピア』は私が経営する個人経営の小さな店で、客入りは少ない。今日だってまだ一人しか来ていないのだ。

 その一人も常連のおばあさんであり、繁盛はんじょうしているとは言い難い状況だった。


「おい……」


 私が考え事をしていると、男は不機嫌そうにこちらをにらみ付けてきた。そして、銃をこちらに向ける。


「お前が店主か?」


「えっ……はい」


 男の問いに私は思わず答えてしまう。しまった。何も言わずにやり過ごせばよかったのに。

 後悔してももう遅い。男は完全に私のことを標的として見てしまっているようだ。


「この店には金はあるのか? 正直に話せ」


 男は銃口をこちらに向けたまま言った。


「いえ、ありませんけど……」


 嘘をつく理由もない。素直に答えると、男は舌打ちをした。


「チッ……!ならいい」


 それだけ言って、男は銃を下ろして店の外へ出て行ってしまった。

 何だったんだろう。今の人は。

 不思議に思いながらも、私は店内に戻った。



 この店は夕方六時に閉めることになっている。閉店作業を終えた後、私は従業員用の出口から外に出た。

 外は既に暗くなっていた。街灯や家の明かりで照らされた道を歩く。


 今日は本当に疲れた一日だった。まさかあんなことが自分の身に起こるとは思わなかった。

 あの強盗らしき男は一体誰なんだろう。もし本当に強盗だとしても、なぜうちのような潰れかけの店を襲おうとしたんだろうか。

 色々と考えながら歩いていると、突然後ろから肩を強く掴まれた。

 驚いて振り返ると、そこにはさっきの男がいた。


「うわああぁ!?」


 情けない悲鳴を上げて飛び退く。すると、男は苛立いらだった様子を見せた。


「うるさいぞ! 静かにしろ!」


「す、すみません……」


 どうやら彼は私をつけていたらしい。というより、待ち伏せしていたようだ。

 私は警戒しながら彼の顔を見る。こうして見ると思ったより若く、青年と言ったほうがいいかもしれない。どこかで見たことがあるような気がするのだが、思い出せない。

 青年は何か言いたげだったが、結局黙ったままだった。

 しばらく沈黙が続く。やがて痺れを切らした青年が口を開いた。


「……ついてこい」


 それだけ言うと、青年は歩き出した。私は困惑しながらもその後に続く。

 どこに行くつもりなのだろうか。疑問を抱きつつ、私はただ青年の後についていくことしかできなかった。



 連れていかれた先は公園だった。既に夜になっているため人気ひとけはない。

 ただでさえさびれた場所にあるこの公園は、昼間でもあまり人が寄り付かない場所なのだそうだ。

 そんな場所にどうして私を連れてきたのだろう。ますます謎である。


「……座れ」


 言われるままにベンチに腰掛ける。青年は少し離れた場所に立ったままだ。

 それからしばらくの間、私たちの間に会話はなかった。

 気まずい空気が流れる中、ようやく彼が重い口を開く。


「…………俺のことを覚えているか?」


「えっと……あなたは確か……」


 必死に記憶を辿たどる。だがやはり名前が出てこない。

 その様子を見て察してくれたのか、彼は自ら名乗ってくれた。


「俺は、黒井くろい拓実たくみだ」


 その名前を聞いてハッとする。そういえば前に一度だけ会ったことがあった。

 あれはいつのことだったか。確か私が喫茶店を始めて間もない頃だから、二年ほど前になるはずだ。

 その頃はまだお客さんもそれなりにいて、毎日忙しく働いていたように思う。


 そしてある日、店を閉めて帰ろうとした時、私は道端に壁を背にして座り込んでいる青年を見つけたのだ。

 それが彼――黒井拓実くんだった。



 その日はとても寒かったのをよく覚えている。季節は冬だったし、雨が降っていたからだ。そんな中、傘も差さずにいたのでよく風邪を引いたりしなかったものだと今更ながら感心してしまう。

 とにかく、私は彼に話しかけたのだ。このまま放っておくわけにもいかないと思っての行動だったと思う。


「君、大丈夫?」


「……放っておいて下さい」


 しかし、彼は私の呼びかけに対してっ気ない返事をするだけだった。まるで拒絶されているみたいだった。

 それでも私は諦めずに声をかけ続ける。


「こんなところにずっといると身体に良くないよ?せめて、店の中に入って休んでいったらどうかな?」


「……」


 私の提案に彼は答えなかった。聞こえていないわけではないはずなのに、何も言わずにうつむいているだけだ。


「……あー、じゃあさ、私の店に来ない?温かい飲み物くらいなら出せるから」


「……」


「それに、その……、なんだろ。ここにいても寒いだけじゃない?」


「……」


「ほら、立って!行くよ!」


 私は強引に彼を立たせ、店へと引っ張っていった。

 抵抗されると思っていたが、意外と素直についてきてくれたので助かった。


 店に入ると、とりあえずタオルを渡して身体を拭くよう促す。その間に私はコーヒーの準備を始めた。

 しばらくして、テーブル席に座らせた彼の目の前にカップを置く。


「はい、どうぞ。これはサービスだから」


「……いただきます」


 彼はゆっくりと口に含む。それを見て、私も向かい側の椅子に腰掛けた。


「それで、どうしてあんなところで座ってたの?何かあったのかな」


「別に何もありません」


「嘘だよ。だって君は……」


 そこまで言って、私は言葉を詰まらせる。

『泣いてた』なんて言っていいものだろうか。初対面の人間にいきなりそんなこと言われても困るだろう。

 迷っているうちに彼は立ち上がった。


「もう帰ります。ごちそうさまでした」


「あっ、ちょっと待って……」


 引き留めようとしたが、すでに遅かった。彼は足早に立ち去ってしまう。

 結局、私は彼の名前すら聞くことができなかった。だが、彼が落とした生徒手帳を拾ったことで、名前だけは知ることができた。


 その日以来、彼が店に来ることはなかったため、手帳は学校に届けることにした。彼は当時、高校一年生だった。



「あの時の……」


「やっと思い出したのか……」


 呆れた様子でため息をつく黒井くん。確かに言われてみれば面影があるような気がしないでもない。


「久しぶりだね。元気だった?……っていうか、なんでまたうちのお店に来たの?」


 私は疑問をぶつける。すると、黒井くんは苦虫を噛み潰したかのような表情になった。


「あんたに会いたかったからに決まってんだろうが」


「へっ?」


 予想外の答えに思わず変な声が出てしまう。黒井くんは恥ずかしくなったのか、慌てて顔を逸らしてしまった。


「べ、別に深い意味はない。ただ、あの時は世話になったから礼を言いたくてだな……」


「そっか……。わざわざありがとう」


「ふん、勘違いするんじゃねえ。俺は借りを作りたくないだけだ」


 そう言いつつも、頬を赤く染めて照れている様子が可愛らしく見える。


「あのさ、私の名前とか覚えてる?」


「当たり前だろ。忘れたことなんか一度もない」


「……えっ!?」


 思い掛けない言葉に動揺してつい大きな声を出してしまった。


「おい、うるさいぞ」


「ご、ごめんなさい」


 反射的に謝ってしまったが、今のは絶対に黒井くんが悪いと思う。


「でも、どうして?」


「どうしてって、そりゃあ……」


 そこで彼は口を閉ざしてしまう。

 何やらもじもじしているようだが、一体何があったんだろうか。


「…………っ、やっぱりなんでもない!」


「えぇ……」


 どうやら言うつもりがないらしい。教えてくれないと気になってしまうのだが。まあそれよりも、私には聞きたいことが山ほどあるのだけど。


「それより、どうしてうちの店に強盗しようとしたの?」


「強盗だと!?人聞きの悪いことを言うな!!」


「違うの?」


「違う!……とは言い切れないかもしれないけど」


「どっちなのさ」


 曖昧あいまいな言い方にツッコミを入れる。すると、彼は観念したのか、渋々といった様子で話し始めた。


「……ここ最近、金欠続きだったんだよ。それで、生活費を稼ぐために仕方なくやった。この銃は見た目だけの偽物だから安心しろ」


「いや、そういう問題じゃなくて……」


「わかってるよ!俺だってやりたくはなかったんだ!」


 自棄やけになって叫ぶ黒井くん。一体どうしたというんだろうか。情緒不安定すぎないか。


「……俺は、捨てられたんだよ」


「え?」


 急にトーンダウンしたので聞き取れなかったが、「俺は捨てられた」と言ったように聞こえた気がした。


「どういうこと?」


 恐る恐る訊ねると、彼は語り始めた。彼の家庭環境についてだ。

 彼の両親は離婚しており、母親に引き取られたものの、その母親が再婚することになったのだという。つまり、彼は母親に新しい家族ができたので邪魔者扱いされたということだ。


「それは酷い……」


「ああ、本当にな」


 怒りをにじませた声で答える。それだけで彼の気持ちが伝わってきた。


「だから、こうして家を出た。今はネカフェで生活している」


「そうだったんだ……」


 何と言えばいいかわからず、私は黙り込んでしまう。

 しばらく沈黙が続いた後、不意に彼が立ち上がって言った。


「……じゃあ、俺は帰るわ」


「……うん」


「……じゃあな」


 そう言い残し、彼は公園を出て行ってしまった。



 翌日。私はいつも通り店を開いた。今日もお客さんが来る気配はない。

 開店してから約三時間経った頃、一人の客が訪れた。黒井くんである。

 昨日はあれからどうなったのかと心配していたが、特に変わりはないみたいだ。


「いらっしゃいませ」


 笑顔を作って出迎えると、彼はどこか居心地悪そうな様子だった。


「……おう」


 それだけ言うと、彼はカウンター席に着いた。私は黙ったままコーヒーの準備を始める。


「……あのさ」


 しばらく沈黙が続いていたが、やがて黒井くんの方から口を開いた。


「なに?」


「その、迷惑かけてすまなかった」


 彼は頭を下げた。その姿を見て、私は少し嬉しかった。ちゃんと反省してくれていることがわかったからだ。


「ううん、気にしないで。お店には私しかいなかったし、怪我もしてないから」


「そうか……」


 ほっとした表情を見せる。その顔を見て、私も安堵あんどのため息が出た。


「でも、もう強盗なんてしないでね」


「わかったよ」


 彼は素直に返事をした。それから再び会話が途切れたが、今度はすぐに黒井くんから口を開く。


「そういえば、あんたはどうしてこんな店をやってるんだ?」


「こんな店って……」


 あまりの言い方に苦笑するが、彼は至って真面目なようだった。


「別に普通の喫茶店だと思うんだけど……」


「普通じゃないだろ。客はほとんど来ないし、経営も苦しいだろうし」


「まあ、そうだね。実際、潰れかけだし……」


 彼の言っていることは間違ってはいない。客が少ないのは事実だし、お金に余裕があるわけでもない。

 それでも、私はこの店を手放す気はなかった。


「私ね、ずっと憧れてたんだ。自分の好きなように店をやってみたかったの」


 私は小さい頃から夢を持っていた。いつかは自分の店をオープンさせたいと。そして、ついに念願叶って喫茶店を経営することができたのだ。


「私の理想通りにできたとは言えないけど、それでも後悔はしていないよ」


「そうか……」


 黒井くんは私の話を真剣に聞いてくれていた。こういうところを見ると、彼も優しい子なんだなと思う。


「はい、コーヒーどうぞ。あと、これ……」


 私はホットサンドを差し出す。それを目にした瞬間、彼の瞳が大きく見開かれた。


「え……俺、金持ってない……」


 そう言って申し訳なさそうにする彼に、私は笑って首を横に振る。


「これはサービスだよ。私が勝手に作ったものだから」


「でも……」


 遠慮しているのか、なかなか受け取ろうとしなかった。だが、そこで黒井くんのお腹がぐぅーっと鳴る音が響く。


「あっ……」


 彼は恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「ふふっ、おなか空いてたんじゃない。早く食べないと冷めちゃうよ」


「……いただきます」


 彼は小さく呟くと、ゆっくりと口に運んだ。その様子を私はじっと見つめる。


「……美味しい」


「本当?良かったぁ」


 思わずホッとする。不味いと言われたらどうしようかと思ったが、そんなことはなかったようだ。

 彼は二口目を食べると、その後は無言のまま完食してくれた。


 食事を終えた黒井くんは代金を払うと言って財布を取り出した。だが、私はそれを拒否する。


「いいってば。私が好きでしたことだから」


「いや、そういうわけにはいかない」


 彼はかたくなに拒む。頑固な人だなと思いながら、私は一つの提案をしてみた。


「じゃあさ、ここでバイトしない?」


「えっ?」


「ほら、君はまだ高校生でしょ?だから、せめて卒業するまででいいからさ」


「……」


 彼は考え込んでいる様子だったが、しばらくしてこくりとうなずいた。


「よし、決まりだね」


「……よろしくお願いします」


 こうして、黒井くんはうちでアルバイトをすることになった。



 黒井くんが来てからというもの、店の売り上げは格段に伸びた。やはり若い男の子というのは集客力があるらしい。

 それに、彼はとても働き者だった。仕事も覚えるのが早いし、文句も言わずにこなしてくれる。おかげで、今ではすっかり店の看板店員になっていた。

 黒井くん目当ての若い女性客も増えており、売り上げは右肩上がり状態が続いている。


 ただ一つだけ困っていることがあった。それは、黒井くんの態度が妙によそよそしくなってしまったことだ。


「なあ、ちょっといいか?」


 ある日の休憩中、黒井くんは私に声をかけてきた。何か相談事でもあるのだろうか。


「うん、どうかした?」


「その……、あんたにきたいことがあるんだ」


「なにかな?」


「あんたは、付き合ってる奴とか……いるのか?」


「えっ?」


 思い掛けない質問に思わず戸惑ってしまう。一体どういう意図があって、私に恋人がいるかどうかなんてことを尋ねてくるんだろうか。


「い、いないよ……?」


「そっか……。なら、よかった……」


 黒井くんは安心したような表情を浮かべた。一体なんだったんだろう。まさか、黒井くんが私のことを好きだとか……いや、流石にないよね。だって、彼は年下で私は二十代半ばだもの。恋愛対象にはならないと思う。


「ねえ、どうしてそんなこと訊いたの?」


「……なんでもない。忘れてくれ」


 黒井くんは答えようとせず、そのまま行ってしまった。何だかもやもやする。一体何が目的なのかわからないが、あまり詮索せんさくするのは良くないかもしれない。

 その日から、彼は私のことを『あんた』ではなく、『白木さん』と呼ぶようになった。理由はよくわからないが、きっと親しみを込めてくれたんだと思う。

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