第37話 激怒―白銀の騎士―


 何なのだあいつらは!



 まったくもって腹ただしい。


 トーナ殿をお連れしたのは間違いだった。


 バロッソ伯爵も、ガラックやグェンとかいう陰気な薬師どもも、ぶくぶく太ったオーロソの生臭坊主も、か弱いトーナ殿に寄ってたかって!



 あの中でトーナ殿の立場が一番低い。



 バロッソ伯爵はこの街の領主であり、この領地での最高権力者だ。

 ガラックはファマスの薬師達を牛耳っている実力者であると聞いている。

 グェンはトーナ殿と同じ一薬師くすしだが、ガラックの威を借る狐の如し。

 オーロソ司祭にしても、このファマス一帯を仕切っている聖職者なのである。



 確かにトーナ殿は芯が強く、己の意見を口に出来る女性ではある。

 それでもあの中で彼女が自分の意見を主張するのは殆ど不可能だ。


 孤立無縁で抵抗できない可憐なトーナ殿を嬲りものにするなど言語道断の行い……


 はらわたが煮え繰り返りそうだった。


 殺気を抑えきれず、何度か本気で剣を抜きたくなった。


 だが、あの場で俺が乱心しても俺だけではなくトーナ殿にも迷惑がかかりそうだ。

 却って彼女の立場を悪くするかもしれない。


 だから時折トーナ殿を控え目に庇うくらいしか出来なかった。



 殺意で人が殺せたら!

 この時、割と真剣にそう思った。



 それにしても、これほど美しく凛とした女性であるトーナ殿が忌み嫌われる意味がさっぱり分からない。


 星の煌めく夜空の如く吸い込まれそうな艶めいた美しい黒髪と紅玉ルビーよりも神秘的で気高さを感じさせる赤い瞳――


 そのあまりに神聖にして穢すべからざる雰囲気に気圧され近寄り難いと言うなら分かるのだが。


 ……無骨な騎士の俺がすっかり愛を告げる詩人だ。


 これもトーナ殿に魅了されたからなのだろうか?

 恋に惑う愚かで憐れな男はこうも滑稽なのだな。


 まあいいさ。


 そのお陰で彼女に言い寄る変な虫がついていなかったのだから、トーナ殿には悪いのだが俺にとっては僥倖だった。



 屋敷の正面玄関エントランスで、トーナ殿と伯爵達の無体を愚痴って少しは鬱憤を晴らそうとしたのだが、どこまでも責任感の強い彼女は自分の至らない部分を反省しだした。


 いかん!


 トーナ殿の顔が憂いに沈んでしまった。


 眉尻を下げた愁眉な表情も魅力的ではあるが、俺はトーナ殿を悲しませたいわけじゃないし、俺との時間に悪い印象を持たれても困る。



「さあ、帰りましょうか」



 少し強引ではあるが、俺は話の方向を無理矢理変えた。

 俺と過ごした時間には好印象を持ってもらわないとな。


 その為にも彼女を家まで送る時間でもっと親密な関係を築かないと。



 俺はそう決意したのだが……



「あ、あの……」



 トーナ殿が困った様な顔で手を差し出してきた。


 その意図は明白だ。

 彼女は俺から鞄を取り返し、一人で帰るつもりなのだ。


 そう、あの森の中、トーナ殿と同じく可憐なラシアの花が咲き誇る花畑にぽつんとたたずむあの家に、一人でだ!


 ああ、分かっているさ。

 トーナ殿は謙虚で奥ゆかしい女性なのだ。


 俺が送るとと申し出ても遠慮するのは目に見えていた。


 だが、俺はトーナ殿を逃すつもりは毛頭ない!


 だから俺は、差し出された彼女の手を空いてる手で握った。

 素っ惚けたのだ。



「えっ、あ……あの、ハル様?」



 当然だがトーナ殿は困惑している。


 俺は彼女の手をしっかり握って離さず、笑顔で韜晦とうかいした。



 それにしてもトーナ殿の手は――


 俺の手にすっぽり収まるほど小さくて、

 俺の手に伝わってくる温度は優しくて、

 壊れてしまいそうなほど柔らかいのだ。


 ――良い……



 何故だろうか?

 ずっと彼女の手を握っていたいという抗い難い欲求が湧いてくるのは……



 だが、俺がトーナ殿の手に陶酔していると彼女は最終手段に出た。



「あ、あの……ハ、ハル様、私の鞄を……」



 俺が握っているのとは逆の空いた手を差し出してきた。

 彼女は頑なに鞄を返すよう要求してきたのだ。


 しかも上目遣いでだ!


 その困った表情でか細くお願いするトーナ殿の姿は弱々しく儚げで、俺の内から庇護欲が無制限に湧き出してくる。



 そんなトーナ殿に俺は満面の笑みを浮かべた。



 このまま幻の様に消えるのではないかと危惧したくなる彼女の言う事なら、なんでも聞いてあげたくなったのだ――



「お任せください。俺が責任を持ってトーナ殿も鞄も無事に家まで送り届けますから」



 ――だが断る!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る