第88話 小さな嘘と大きな罪

 この事件の後、下総に戻ったばかりの小次郎は、護の呼び出しによりまたすぐに上総の地へと赴く事となった。

 小次郎を呼び出した護は、小次郎に謝罪を要求する。だが、小次郎側はその要求を拒否した。

 当たり前だ。見に覚えがないのだから。謝る事などできるはずもない。

 互いに食い違う主張に、両者の間では数ヶ月にも及ぶ平行線の言い争いが続いた。

 そして、話し合いが難航するにつれて、平家と源家の関係がギクシャクし始めた。


 事態に焦りを覚えたのは、平家の棟梁、平国香。彼は護同様に、源家と平家との関係を強め、一門の繁栄を目論んでいただけに、源家との争いは何としても避けたい事態。

 故に国香は、何とかして事態を治めんと、両者の仲介に入る事に。

 いや――正確に言えば国香の行動は、とても仲介とは言いがたいものだった。

 国香がした事は、小次郎側に非がなくとも、とにかく護に頭を下げるよう、しつこく迫ったのだから。断るようなら、一族を上げて小次郎達親子を討つと脅して。


 それでも小次郎の父は、我が子を信じて小次郎の無実を主張し続けた。

 結果、身内であるはずの平家の間にも不穏な空気が漂い始めた。

 今にして思えば、平家の間で溝が生じ始めたのは、既にこの時からだったのかもしれない。

 自分に向けられた父の信頼を嬉しく思いながらも、まだ十一歳と幼かった小次郎には、自分を庇うせいで一族の中、父だけが孤立して行く姿が耐えられなくなった。

 自分が頭を下げる事で、無駄な争いを避けられるのならと、不本意ながらも偽りの罪を認め、護に謝罪する事を決めたのだ。


 そんな小次郎の判断のおかげで、事がそれ以上大きくなる前に事件は解決したかのように思えた。

 ――が、認めてしまった偽りの罪によって、小次郎と小次郎の父は、思いもよらなかった大きな犠牲を払う事となってしまった。

 護側は、小次郎側の謝罪に加え、貢ぎ物を要求してきたのだ。

 貢ぎ物とは、小次郎の父良将が、その父高望王から貰い受けた土地の一部をよこせと言うもの。

 つまりは、いわれのない罪によって、小次郎達は大事な土地を奪われてしまったのだ。

 護の言っていた『責任を取ってもらう』――あの言葉の意味はこれだった。


 杏子姫が全ての結末を知ったのは、許嫁として再び目の前に太郎が表れた時。その時初めて杏子姫は自分の浅はかさを知った。

 自分がついてしまった小さな嘘――その償いきれない罪の大きさを知った。


「何故……貴方がここに?」

「何故って、私が貴方の許嫁だからですよ」

「許嫁? お父様、どう言う事ですか? 小次郎様に責任をとらせると、約束したではありませんか」

「あぁ。だから彼には責任はとってもらったよ。彼の土地の一部を我ら源家へと捧げさせたのだからな。さて、そこでだ。ここまで我が源家に力を貸してくれた平国香殿とその息子、太郎殿に感謝の意を評して、杏子、お前を太郎殿の妻にする事を決めたぞ」

「……そんな……そんな……」


 衝撃を受ける杏子姫に、すかさず耳打ちする太郎。


「貴方が嘘をついたせいで、小次郎はいわれのない罪を背負わされ、挙げ句土地まで奪われのですよ。貴方はなんと罪深い事を」

「…………」

「何故嘘をついたのです? 嘘をつけば、小次郎を繋ぎ止めておけるとでも思いましたか? だとしたら残念」

「………」

「貴方が嘘さえついていなければ、一族から疎まれたのは私だったかもしれないのに。その点では、私は貴方に感謝しなくてはいけないですね。貴方のおかげで私の首は繋がった」

「…………」

「どうです? 貴方が一番嫌いであろう私と婚約した気持ちは?」

「…………最悪です。最悪過ぎて、貴方を呪い殺してしまいたいくらいです」

「これはこれは、恐ろしい事を。ま、お手柔らかに。これから宜しくお願いしますね。私の奥方様」


 悔しさと、情けなさと、言葉に出来ない色々な感情に押し潰されて、涙が溢れそうになった。

 それでも、涙を必死に堪えようと、杏子姫は唇を噛んだ。

 泣いてはいけない。全ては自業自得なのだから。

 杏子姫の苦痛に歪んだ顔を満足げに見つめながら、太郎は楽しそうに言葉を続ける。


「そうだ。もう1つ良いことを教えて差し上げましょう。貴方が陥れた小次郎は、謝罪の後すぐに、京へと行きましたよ」

「……え?」

「私の父がね、私達の婚約を取り成すべく、厄介払いに小次郎を坂東から追い出したのです。表向きは平家繁栄の為、京で位を授かってくるよう命じて。でも実際は――」

「…………」

「貴方は小次郎の人生を狂わせた。貴方があの時嘘をつかなければ、小次郎は一族から疎まれる事も、京へ行かされる事もなかったのに。今小次郎は、貴方の事をどう思っていますかね?恨んでいますかね? それとも、貴方の事など忘れて京で宜しくやってますかね?」

「…………」

「どちらにしても、小次郎が貴方に振り向く事などこの先絶対にありはしませんよ」

「……………」


 楽しそうに語る太郎。彼の仕打ちに、ついに堪えきれなくなった涙が杏子姫の頬には一粒流れ落ちた。

 もう二度と叶わない小次郎への恋心、この気持ちをどこにぶつければ良いのか。行き場のなくなった少女の淡い恋心は、太郎への復讐へと形を換え、まだ幼かった少女の未来を狂わせた。

 あの日以来少女は、太郎への復讐の為、未来を、己の心を、全てを捨てて太郎の妻になる道を選んだ。

 そう、選んだのだ。今更――



  ◇◇◇



「やはり貴方の苦痛に歪んだ顔が私は一番好きだ」

「………」


 この男に抱かれたくらいで動揺するなど、今更だ。


「悪趣味です事、私の旦那様は」


 苦痛に歪んだ杏子姫の顔は、吹っ切れたように、笑顔に変わった。氷のように冷たい笑顔。


「悪趣味、ね。それを言うなら、貴方こそ悪趣味だ。大嫌いなはずの男に、今もこうして抱かれ続けているのですから。さて、貴方はいったい何を企んでいるのやら」

「それはもちろん。貴方への復讐ですわ。言ったでしょ。貴方に復讐する為なら、私はなんだってすると。たとえ大嫌いな貴方に抱かれようと、受け入れてみせましょう」


 杏子姫は、自身に覆い被さる貞盛の首に腕を回して、貞盛の体を抱き寄せた。

 貞盛もまた、杏子姫の誘いを拒む事なく受け入れた。


「ふふ。そうですか。まぁ、良いですよ。どんな感情であれ……貴方が私を見てくれているのであればそれで良い」


 太郎はいとおしそうに杏子姫の頬に触れた。無意識だろう彼女の目尻に溜まった水滴、それを拭ってやる為に。



 この事件には、実はまだ続きがある。

 十五年前、護の要求によって書かされた小次郎側の謝罪文は、小次郎の父の死後、護と国香の手によってその一部が書き換えられ、小次郎は父が残した土地の殆どを奪われた。

 以後、執拗なまでに小次郎を疎み、平家同士の潰しあいが絶えないのは、平家との繋がりを強め、裏で意図引く源家の存在が大きく関わっているからなのだが――

 その事実に気付いている者は、今はまだ少ない。

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