第76話 小次郎と貞盛

「皆、急に集まってもらってすまない。実は情報収集も兼ねて、近隣の村々の警護活動にあたっている際に、伯父達の不穏な動きが耳に入って来た。我が伯父、良兼、良正が、どうやら兵を集めているらしいとな。近々戦が起こるかもしれない」


 開口一番なされた小次郎からの報告。周囲からは一瞬にしてざわめきが起こった。


「そんな……まさかこの時期に戦をしかけてくるなんて……とても信じられない」

「そ、そうですよ小次郎様。だって、もう田植えの時期ですよ? これから本格的に忙しくなるって言うのに、そんな時にまさか戦だなんて……」


 屋敷の兵士達や集まっていた村人達が、信じられないといった様子で口にする動揺の数々に、一番後ろから見守っていた秋成が、不思議そうにぽつりと疑問を口にする。


「何故皆一様に驚いているのでしょう? ずっと戦を警戒していたのなら、今更何を驚く事があると言うんだ?」


 秋成の疑問に、千紗は先日桔梗から聞いたある話を思い出していた。


「そう言えば桔梗が言っていたな。御田伝祭を終えたら畑仕事が忙しくなる。稲作が忙しい春から秋にかけては戦をしないと言うのが、古くから坂東の地に根付く暗黙の約束事なのだと」

「……なるほど、そう言う事か」

「??? どう言う事だ?」

「相手はずっとこの時期を狙っていたんですよ。春になれば戦は無いと、油断している兄上達の隙をつく為に、わざと今この時期に動き出したんだ」

「な、なんじゃそれは。めちゃくちゃ卑怯な奴等じゃないか!」


 千紗の怒りに同調するかのように、豊田の人々の困惑も次第に怒りへと変わっていった。


「あいつら、また卑怯な手をつかって将門様達の土地を奪うつもりなのか?」

「許せねぇ。今度と言う今度は絶対に許せねぇ!」

「小次郎様、また何も抵抗せずに土地を明け渡すつもりですかい? おいら達は嫌ですよ。小次郎様以外の人間がおいら達の領主になるなんて、絶対に嫌だ!」

「落ち着け。分かっている。そう何度も奪われるわけにはいかないさ。出来る事ならば俺だってお前達の土地を守りたい」

「では……本当に戦をなさるのですか? 畑はどうなさるのですか? 戦に男手が取られてしまっては、収穫量は減ってしまいます。たとえ戦に勝ったとしても、蓄えがなくては坂東の厳しい冬は越せない。私達は飢え死にしてしまいますよ」


 目の前の怒りに任せて、戦に燃える男達。反対に女達からは先を見据えた不安から、戦に難色を示す声が上がった。

 豊田の民人達の中でも意見は真っ二つに分かれる。

 その状況に、静かに目を閉じ村人達の意見に耳を傾けていた小次郎は、難しそうな顔を浮かべながら暫くの間じっと黙り込んでいた。


「…………」

「兄貴、どうするつもりだ?」


 いつまで経っても何も口にしようとしない小次郎に、ついに痺れを切らした四郎が意見を求めて兄を呼ぶ。

 すると小次郎は、静かに目を開けると、視線を隣に座る貞盛へと移し、真っ直ぐ彼を見つめ言った。


「俺の意見の前に太郎、お前に聞きたい事がある」


 小次郎以外の皆の視線もまた、一斉に貞盛へと集められた。

 思いがけず向けられた多くの視線に、貞盛は少し不機嫌な様子で溜息を漏らしながら小次郎へと返事をする。


「何だ、小次郎?」

「貞盛……お前はどちらにつくつもりだ?」


 直球で問いを投げられたと共に、小次郎の鋭く険しい視線が貞盛へと突き刺さる。


「……唐突にどうした小次郎?」

「四郎から訊いたんだ。お前宛てに伯父上達から誘いの文が届いているそうだな」

「「「えぇぇ?!」」」


 小次郎の発言に、周囲からは再びどよめきが起こった。

 だが小次郎は一人冷静に、周囲の声などまるで聞こえていないといった様子で、彼だけに語りかけるよう更なる問いを投げ掛けた。


「お前はいったい何を考えている貞盛。何故いつまでも父を殺した俺達の傍にいる? 俺達を油断させておいて、俺達から土地を中から奪おうと、そう伯父上達と企ててでもいるのか?」

「……はぁ」


 小次郎から一方的に向けられる疑念の数々に、今度は隠す事なく貞盛は大きな大きな溜め息を漏らしてみせた。そして、心底うんざりした様子で項垂れながら、貞盛はこう言葉を漏らした。「私も見くびられたものだね」 と。

 貞盛の嫌味に、小次郎から返されたのは、隣に座る貞盛にしか聞こえない程の「すまない」と言う小さな小さな謝罪の言葉。

 その一瞬、小次郎の表情が苦痛に歪められたのを貞盛は見逃さなかった。

 向けられる厳しい追求とは裏腹に、小次郎の誠の気持ちを感じ取った気がして、貞盛はふっと小さく笑った。


「四郎にも話したが、私には小次郎や四郎達と戦う意志はないよ。勿論、伯父上達ともね。出来る事ならば身内同士、争いなどして欲しくはない。それが私の素直な気持ちだ」

「俺だって……伯父上達と争いたくなどない」

「だったらしなければ良い。争いなんて」

「………簡単に言ってくれる」

「簡単な事さ」

「太郎!事はもう、そう簡単な話ではなくなっているんだ!」

「いいや、簡単な話だ。私が、父がお前達から奪った土地を返せばよい」

「……何?」

「もとはと言えば、私の父がお前達から無理矢理土地を奪った事が争いの始まりなのだろう? ならばその土地をお前に返せば良い。違うか?」

「本気か貞盛? 本気で言っているのか?」


 突然貞盛からなされた突拍子もない発言に、本気で驚いている様子の小次郎。


「あぁ。本気さ。さっきのお前の言葉で決心がついたよ。私の大事な友に、これ以上辛い顔はさせられない」

「……さっきの言葉?」


 貞盛が言わんとしている事が、わからないといった様子で首を傾げる小次郎。

 そんな彼の姿に、貞盛はまた小さく笑った。


「駆け引きが苦手で、馬鹿がつくほど正直で、友として私を信じたいくせに、一国を預かる長としては私にも疑いをかけなければならない。すまないと、小さく零したあの瞬間、お前の真意がしっかり顔に出ていたよ。小次郎、お前はそれで良い。そのままのお前が、私は気に入ってるんだ」

「……貞盛……。だがそれではお前の兄弟や叔母上は納得すまい。父を殺された上に、一度手に入れた土地まで失っては」

「そうだね。だからこう言うのはどうだろう。あくまで表向きは私の土地としておこう。だが、その土地の管理をお前に一任するんだ。私は何も口を出さないし、必要以上の税も取らない。お前の好きなように管理すれば良い。そうする事で実質的な土地の権力者は小次郎、お前と言う事にならないだろうか。これでお互い、平和的解決にならないかい?」

「……それは確かに有難い話だが、お前の兄弟達は、本当にそれを納得するだろうか?」

「父が死んだ今、父に代わって一国を預かる頭は、長男であるこの私だ。私の遣り方に文句は言わせないよ」

「……伯父上達は? 納得するだろうか?」

「もともとこれは、私と小次郎の家同士のいざこざだ。関係のない伯父上達が口を挟む事の方がおかしいのだ。伯父上達の事は私が何とかして説得してみせるさ」

「…………」

「さぁ、他に何か質問は?」

「…………お前は父親を殺した俺が、憎くはないのか?」

「憎いさ。だが、その憎いはずのお前とて、私にとっては血の繋がった従兄弟だ。そして、幼い時を共に過ごした友でもある。父と同じくらいに大切な友を、恨む事など出来るはずがないだろう。故に私は、お前との争いを望まない。もう誰も死んで欲しくはないのだ」

「…………太郎」

「私達はお互いに平和的解決を望んでいる。もう争う事を考える必要などない。苦しむ必要などないのだ、小次郎」

「………」

「この先は、お前と私、二人で力を合わせて争いを止める事だけを考えよう」

「…………」


 貞盛からなされた提案、そして演説に、聴衆からは大きな歓声が沸き起こった。

 「太郎様」、「貞盛様」と囃し立てる賑やかな声を遠くに聞きながら、小次郎は何やら無言で考えこむ。


「兄貴?」


 四郎の呼び掛けに、はっと我に返った小次郎は、自分に向かって貞盛が手を差し出している事に気付いた。


「さぁ小次郎、私と共にこの争いを止めよう」

「………」

「さぁ!」

「………」


 何度となく握手を求める貞盛。

 だが小次郎は貞盛の手をなかなか握る事が出来なかった。幼い頃から共に過ごして来た友であるが故、小次郎は貞盛の良い所も悪い所も、よく知りすぎていたから。

 なかなか貞盛の手を取ろうとしない小次郎に、四郎が再び兄を呼ぶ。


「兄貴?」

「……四郎、お前はどう思う? 貞盛のこの誘い」

「勿論賛成だよ。何の犠牲も払わずに戦を止められるなら、それに越した事はない」

「あぁ、そうだな……。まったくその通りだ」


 自分一人の個人的な疑心のせいで、皆を守れるかもしれないその可能性を、潰すわけにはいかない――

 いかないんだと小次郎は、心の奥に残る不安を一所懸命押し殺して、貞盛の差し出す手を握りしめた。


「信じるぞ太郎。信じているからな……」

「あぁ。共にこの戦を止めようぞ。小次郎」


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