第10話 面白き姫
「……ん……」
額に冷たいものが触れ、千紗は目を覚ます。重い目蓋をゆっくりと開くと、見知らぬ天井と怯えた様子の少女の顔が視界に映った。
「お主……は……? ここは……どこじゃ……………?」
千紗の問いかけに、少女はただオドオドするだけ。そんな少女をまだ覚めきらぬ虚ろな目で見ながら、千紗はぼーっとする頭で記憶を手繰り寄せた。
「……っ!」
はっと、何かを思い出したのか急に勢いよく起き上ると、千紗は目の前の少女の腕をギュっと掴み、まるで襲いかかるような勢いで彼女の体を前後に激しく揺らし、問いただした。
「お主が妾達を襲った賊か? ここは何処だ? 何故妾はここにいる?」
「…………」
「キヨは? 皆は?! 屋敷の者達は無事なのか??」
「……………………」
だが、千紗の勢いに少女はただただ怯えを示すだけで、何も言葉は返ってこない。
痺れを切らした千紗の手には更に力がこもり、少女の細くか弱い腕をギリギリと締め付けた。
「何故黙ったままなのだ?!頼む、教えてくれ!」
だが千紗が与える痛みと恐怖に、酷く顔を歪めながらも少女は何故かそれらの感情すらも決して声に出そうとはしなかった。
「おいおい、あんまりイジメないでやってくれ」
そんな二人のやり取りに、不意に後ろから声が掛かる。突然の声に、千紗の力も一瞬弱まった。
その一瞬の隙に、少女は千紗の手を振り解き、声の主のもとへと駆け寄って行く。
千紗は、逃げられた少女を目で追うと同時に、声の主へと視線を向けた。
そこに立っていたのは、ヒョウヒョウと人を小ばかにしたような、薄気味悪い笑みを浮かべた男。年は秋成より少し上といった程度。
彼の後ろに隠れる少女もまた、千紗とそう歳の変わらない様子。
そんなまだ幼い彼らが、何故人を襲ったり攫ったり、賊紛いの事をしているのだろうか?
次々に沸き起こる疑問を頭に浮かべながら二人に鋭い視線を送っていると、男の方がニヤニヤと楽しそうな様子で口を開いた。
「こいつはな、“答えない”んじゃなくて“答えられない”。口がきけないんだ」
「口が?」
男の口から告げられた言葉は思いがけないもので、千紗は驚き、少女をまじまじと見た。
じっと見つめられた少女は千紗の視線に更に怯えを示し、少年の後ろへすっと隠れてしまって、かろうじて見える少年の着物を掴む手は酷く震えていた。
「そうだ。こいつはな、目の前で親を殺されたんだ。その時受けた精神的な衝撃から、声を失った。」
「親を殺された? 何故じゃ!!」
「……何故?」
千紗からの問い掛けに、今までヒョウヒョウと答えていた少年の声色が急に低く冷たいものへと変わる。その突然の変化にぞくりと、背筋に凍りつような悪寒を感じた。
「貴族のあんたがそれを聞くのか? あんたらが無理な年貢の徴収を迫るから。何もしないで贅沢なものばっか食って肥え太ってるあんたら貴族が、必死に働きながらも日々の食料すらままならない貧しい民達から、年貢と称して多くの食い物をぶん取って行くから! 知ってるか? 年貢を納められなかった民はな、ただそれだけで罪に問われ、切り捨てられて行くんだ。こいつの親もその一人。ここにいる奴らはみんなそうやって貴族連中に親を奪われた孤児なんだ!」
「…………」
千紗は絶句した。今まで自分が何不自由のない生活を送っていた裏で、そんな農民達の苦労があった事実に。
「そんなわけで、今俺達は今、生きる為に必死ってわけ。悪いがあんたには色々と協力してもらうぜ」
その口調はまるで、否を認める気などない、命令に近い脅し口調。
だが、脅されている事に当の本人はその事に気付いているのかいないのか?千紗はと言えば……
「分かった!妾に出来る事があるのならば何でも言ってくれ!!妾を囮に、父上を脅すのか?!それとも妾の身包みを全て売って金にするのか?」
あっさりと彼等への協力の意思を示した。
「……………」
今度は少年が絶句する番だ。
そして、暫くして盛大な笑い声が上がった。
「おい、お主!何を笑っておる?!無礼なっ!!」
「いや、悪い。あんた、面白い姫さんだな。怖がるどころか……っははは」
「物分かりが良いと言ってくれ。これでお主達に少しでも償うことが出来るのならば妾は協力を惜しまぬぞ。お主達を見ていると、ある一人の馬鹿を思い出す。そやつも幼いながらに真正面から貴族の妾に楯突いて来て、度胸のある奴だと関心したものだ。馬鹿な奴程、妾を応援したい気持ちにさせる」
「ふはは。やっぱり面白い姫さんだ。気に入った。騒ぐなら殺そうかとも思ったが、あんたは殺すのは惜しい。生かす方向で色々と手伝ってもらうぜ」
「勿論じゃ!それで、妾は何をすれば良い?」
***
その頃、千紗が盗賊との仲を深め結託している事など露とも知らぬ小次郎と、秋成達は――
「兄上!あそこにいるのは!!」
「っっキヨ!!」
「っ………小次郎様。秋成様……」
道中、千紗の世話役として千紗と仲の良い侍女キヨの姿を見つけ、二人は馬から飛び降り彼女の元へと走り寄る。
「無事かっ?怪我はっっ?!」
「小次郎様……私は大丈夫にございます。だからこそ、助けを呼ぼうとこうして……」
「怪我人がいるのか?」
「はい……。中には酷い怪我を負った者も数名。それに……姫様が……姫様が………」
「っ!千紗がどうした?あいつに何かあったのか?!」
それまで小次郎とキヨ、二人のやりとりを黙って聞いていた秋成が、物凄い形相でキヨに詰め寄る。
「落ち着け秋成!キヨが怖がっている」
「……すみません……」
「キヨ、ゆっくりで良い、状況を話してくれないか?」
強い口調で秋成を宥めつつ、小次郎はキヨには優しい口調で話の続きを促した。
「私もよく分からないのです。急に前方から悲鳴が聴こえて来て、護衛の方達が慌てて声の方へと集まっていかれました。周りから男の方たちが誰一人いなくなったと思ったら、急に後ろから固い物で殴られて……次に私が目を覚ました時にはもう、牛車の中に姫様の姿はなく。変わりにこんなものが置いてありました」
そう言って彼女が懐から取り出した物。それは……
「手紙?兄上、何と書いてあるのですか?」
「姫は預かった。姫を返して欲しくば我らの要求を聞き入れたし。我々は金や銀など食えぬ宝など要求はしない。我々がただ欲するのは30俵の米俵。今日の宵闇までに30俵の米俵を持って
「如意ヶ嶽。そこに千紗が!?」
小次郎が手紙を読み終えた、次の瞬間、秋成は走り出していた。
「おいっ!秋成!!」
秋成の暴走を止めようと小次郎が彼の名を呼ぶ。
だが秋成は小次郎の声など聞こえていないのか、一人如意ヶ嶽がある東の方へ向けて走り去って行ってしまった。
秋成の勝手な行動に小次郎が頭を抱えていると、小次郎の読み上げた手紙を覗き込みながらキヨがある疑問を口にした。
「小次郎様、字が書けると言う事は、貴族の者が姫様を? 藤原家に恨みを持った誰かが?」
「いや、多分違う。恨みがある貴族にしては要求が生易しすぎる。米だけが目的だとすると……キヨ、お前を殴った者の顔は覚えていないか?」
「顔と言われましても………」
キヨは記憶を手繰り寄せる。
「そう言えばっ!確か私よりも背が低く、あれは……子供のようだったかと?」
「子供か。なる程な。生きる為に賊に手を染めたか。まったく、いつかの誰かを思い出す」
そう漏らすと、小次郎は小さくなった秋成の背中を見つめながら小さくため息をついた。
「キヨ。俺は忠平様にこの事を知らせに行く。お前に怪我人の世話を頼んで良いか?」
「私は構いませんが……小次郎様は、秋成様の後を追わなくても宜しいのですか?変わりに私が忠平様に知らせに行っても」
「よくはないさ。俺だってあの馬鹿のようにすぐにでも千紗を助けに行きたい。だが……忠平様に一刻も早くこの事を伝えなくては」
「ですから、それは私が……」
「馬で駆けた方が早いだろう。キヨには馬術の心得が?」
「あっ……」
「そう言う事だ」
苦笑いを浮かべる小次郎。
「ったく、俺もあいつらみたいに後先考えず突っ走れる程馬鹿でいられたらな………」
「小次郎様……」
「俺は一人だけ、あいつらより先に大人になりすぎたのかもしれない。……なんてな」
そう冗談めいて呟く小次郎が、キヨの目にはどこか淋しそうに見えた。
***
___(千紗、どうか、どうか無事で……)
ただそれだけを願って、秋成は走った。
走り続けた。
手紙にあった如意ヶ嶽を目指して走り始めてから、どれ程の時間が経っただろうか?
如意ヶ嶽に近づけば近づく程に道にはごつごつとした石が増え、走りにくくなっていた。
ふいに履いていた草鞋の紐が切れて、秋成の足がもつれる。
なんとか前につんのめりそうになったのを堪えて、秋成の足はやっと止まった。
下に向いた視線には、指と指の間から痛々しく血が流れてている自分の足が映った。
指と指の間だけではない。他にもあらゆるカ所が切り傷だらけで、秋成の足は血と泥にまみれていた。
その痛みにさえも気付かずに、ただがむしゃらに走り続けて来た秋成だったが、足を止めた事で、じっと息を殺しこちらを監視するいくつかの人の気配を感じた。
手紙には詳しい場所の指定はなく、ただ勢いだけでこの地へと足を踏み入れたが、どうやら彼等の本拠地は近いらしい。
「千紗………必ず助けに行く!どうか………無事で………」
千紗の無事を願い言葉にしながら、糸の切れた草鞋を脱ぎ捨て、それらの気配を探り導かれるままに、秋成は再び裸足となって走り出した。
__________
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京都の東山に存在する山で、現在の京都市左京区と滋賀県大津市の境ともなっいる山。
また、京都の伝統行事である五山送り火のひとつでもある大文字の送り火が行われる山。
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